11月28日の日記
2004年11月27日私の教育観は時代遅れなのだろうか。チャールズさんが「多くの人が実際の能力以上のことができると思い違いしているようだ。これは、だれでもポップスター、高裁判事、有能なテレビ司会者になれるかのように教師が教えているからだ」という発言をしたところ、自国の教育相が「皇太子の考え方は時代遅れ。われわれ全員が王になる資格を持って生まれるわけではない。しかし、努力をすれば誰でも望む職業につける。私はこうした立場を支持する」このようなことを言ったらしい。
そもそも努力してもつけない仕事などいくらでもある。身長が2mに届こうかというウドの大木の私は、騎手や競艇選手になることは無理だった。産まれつきの体格でそれらの道が絶たれてしまった。最新の医学を使えば、骨を削ったりして身長を低くすることは可能かもしれない。しかしそれは努力とはいえないものだと思う。また年齢やさまざまな要因でその仕事の応募要項にすら該当しないということが往々ありえる。そんなものは努力で解決できるものではない。産まれついて持っている身体能力でつけない仕事があるのだ。産まれついてIQなどの思考能力にもかなり幅がある。それらは、身体能力と同じくらいどうしようもないものである。まあ努力は大切かもしれないけれど、努力しても越えられない壁があることを教えないとろくなこと無いと思うんですけどね。
そもそも努力してもつけない仕事などいくらでもある。身長が2mに届こうかというウドの大木の私は、騎手や競艇選手になることは無理だった。産まれつきの体格でそれらの道が絶たれてしまった。最新の医学を使えば、骨を削ったりして身長を低くすることは可能かもしれない。しかしそれは努力とはいえないものだと思う。また年齢やさまざまな要因でその仕事の応募要項にすら該当しないということが往々ありえる。そんなものは努力で解決できるものではない。産まれついて持っている身体能力でつけない仕事があるのだ。産まれついてIQなどの思考能力にもかなり幅がある。それらは、身体能力と同じくらいどうしようもないものである。まあ努力は大切かもしれないけれど、努力しても越えられない壁があることを教えないとろくなこと無いと思うんですけどね。
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