2月4日の日記

2012年2月4日 読書
クイズを題材にした漫画を読んだ。クイズなんて珍しいなと思っていた。ここに書くために検索したら、他にも2,3作品クイズマンガがあるようだ。

漫画だけあって初心者にクイズのいろはを解説してくれてるのがよかった。長年の疑問だった早押しクイズで問題文の途中で答えれるのは、八百長ではなく、早押しクイズがベタ問題という種類のクイズだから早く答えれるらしい。ベタ問題とは、読んで字のごとく、クイズ番組などで何度も出題され、定番となっている問題のこと。すなわちありふれた問題だから素早い解答ができるらしい。まあその他いろいろクイズテクニックの話でマンガがつくられていた。

一番驚いたのは主人公が属するクイズ研究会は金が無くて早押しマシンを購入できていないというエピソードだった。電卓の数字ボタンで代用して練習していた。その中では、ボタンを押して一番早く押した人の前のランプが点灯するような一般的な早押しマシンは10万円ぐらいすると書かれていた。市場が狭いので高いらしい。クイズする人って何でも知ってる優秀な人たちなのかと思ったけど、案外ろくでもない人間ばかりなのね。5000円から10000万円もあれば余裕でテレビで使っているような早押しマシンをつくれると思うんだけど。私の予想では価格でネックになるのは、ボタンを押したときに点灯するパトライトが1個2000円ぐらいするんじゃないだろうか。ついでにボタンを押した順番が表示されるような機能をつけるのもできるんじゃないだろうか。
まあネットで情報収集パーツ購入に1日、製作に1日見込んでおけば作れるようなものだと思うんだけど。どんな難問でもすぱすぱ解答できるのに早押しマシン1つ作れないなんて、クイズってなんなんだ。漫画だからか。がっかりだ。2chでももっと役に立つと思うんだけど。

1月29日の日記

2012年1月29日 読書
西美味しい先生の本を読んだ。たぶんKとJを押し間違えて証拠不十分というタイトルにするつもりが少女不十分になってしまったんだと思う。まさかタイトルが誤字だとは斬新だ。維新先生の作品は少女しか登場しないロリコン作家なので、誤字じゃないのかもしれないけれど謎はなぞのままである。

たぶん他にも前例はあると思うが、森一派が、「登場人物の発言は、作者と何も関係ない」というような事を言っていた。作中で登場人物が間違った事を発言してたとしても、それは登場人物が間違った知識を持っていただけで、作者にお前の知識は間違っていると指摘してくるなと言っていた。また、作中の登場人物の思想を作者の思想だと思って批判してくる人もいるらしい。作中の登場人物がどんなにひどい事を言おうと作者がそう思っているわけじゃない。
まあ当たり前の発言である。しかし、本を多く読み作者にファンレターを書くような人はそれがわからないらしい。
うろ覚えだが、森某氏の小説でチェルノブイリの事故があった頃に書かれた作品に、ヨーロッパから輸入されたパスタを食って放射能の隠し味のきいたパスタは美味いと主人公が言うシーンがあった。今だったら、福島さんのマンコは赤の隠し味がきいて一味違うなんて、小説の中に書かれていたら、いくら登場人物と作者は別だと言ってもそんな事を思った時点で人として間違っていると指摘されても否定できない気もする。

森一派と言えば、売れっ子ひろしの作品には、ミステリーマニアだったら速攻わかるトリックをなかなか見破れない、というトリックが登場した。読者が見破れるような簡単なトリックを優秀な探偵がなぜ見破れなかったかそれが本当の謎だとか。
そんな事を言い出したらなんでもアリじゃないかと思ったものである。

さて、そんな前置きがあって少女不十分であるが、新しい予防線が登場した。これは実話だと小説内で強調していた。どんな不自然な展開だったとしても読んで面白くなかったとしても、実話なんだから諦めてくれというスタンスだった。
そういえばネタバレがあるので、小説を読む予定がある人は読まないほうがいいかも。

まあ時効もすんでないし実話ではないと思われる。西尾維新がロリコンに目覚めたきっかけがかかれていた。目をつけた小学生の家に押し入り両親を殺害して小学生と一週間ばかりおくられた同棲生活がかかれていた。一週間後に不審に思った近隣住人の通報で警察が訪ねてきて同棲生活は終わりを迎える。
明記されてなかったので、西尾氏が小学生に暴力を振るって精神を壊したのか、両親が躾としょうして虐待して精神が壊れたのかわからないが、小学生は狂ってしまっていた。また西尾氏が京都大学生で信用があった、同時期に災害があり警察が忙しかった、西尾氏の偽装工作が非常に優秀であった。など様々な理由により、警察は両親の死亡は自殺と判断した。西尾氏がその家にいたのも小学生に誘拐されたという西尾氏の意味不明な供述が採用されて西尾氏が逮捕される事はなかった。そんな話だった。


話は変わるが、最近気がついたんだけど、青酸カリで毒殺されるって場面が物凄く減ったように思う。もしかしたら毒入りカレー事件があった頃から、毒殺のミステリーが物凄く減ったのかもしれない。ちょっと前だったら、人が食事中に倒れて探偵が近寄るとアーモンド臭がして青酸化合物による毒殺なんてシーンがよくあったように思う。最近は全然見かけない。若者はもう人が倒れてアーモンド臭といっても青酸化合物とは思わないのかな。毒殺が減ったのは、配慮なのだろうか、言論統制なんだろうか。どちらなのかな。


とても、嬉しい事がこの本にかかれていた。森さんは、もう金を稼いだから本を書かないのかと思ったら少し違うようだった。

森さんは、自分の書いた本が批判される事が最高に嬉しいらしい。ネットで森さんの本を批判している文章を見かけ読み出すと顔がニコニコしてくるほど、自分の作品が批判される事が好きらしい。自分ではそれをあまのじゃくだからと言っていた。しかし、それってただのM男ってことじゃないのかな。まあいいか。
何でも読者の作品を賞賛するような感想は、作者が意図した結果らしい。多くの読者が喜ぶように文章を書いているので作者が意図したとおり喜ぶ読者の感想は、別に貰ってもそんなに嬉しくないとか。逆に、自分が意図した1/10ぐらいの内容で喜ぶ読者を見ると、ああ全ては伝わらないとがっかりすることもあるとか。
反対に、作品を批判する読者は、想定外の切り口から批判してくるとか。物語に出てくる登場人物の性格が気にいらないから何とかしろといわれた事もあるらしい。まあ自分が意図しない意見というものは、批判してくる人が持っていることが多いらしい。作者として活動していく上で、自分が意図しない意見というのは参考になるらしい。
まあそんな感じで、自分の作品に対する批判を拾い上げていたら、その奇人変人ウォッチングが楽しくなったとか。今後も自分にない視点からの批判を求めてスローペースで本を出していくかもしれないらしい。森ファンがしなければいけない行動は、ネットで森さんの作品を批判する事である。

最近、効率が悪いと言っていた新書を多く出版しているのもその辺が理由なのかな。フィクションの批判って難しいものがある。フィクションだからで片付いてしまうものも多く一般の人は批判しにくいのではないだろうか。だから、新書というジャンルに進出して批判を集める事にしたのではないだろうか。
『大学の話をしましょうか』という本では、金をかけて世界の一番を求めないといけないのか、二番でも三番でもいいじゃないか。世界のトップに立とうとしなくても、個人の個人の幸せが満たされるならそれでいいじゃなかみたいな意見が書かれていた。レンホウさんと似たようなニュアンスの発言をしてアンチファンを釣ろうとしていた。
また今作でも、作品をつくるクリエイター側の人間で、2chで自分のつくった作品のアンチスレが読めなかったり、読んでショックを受けるような人はクリエイターに向かないとも言っていた。

批判しやすい釣り針を仕掛けて新しいアンチファンを獲得しようとしているらしい。という事で、森博嗣のファンはこれから森さんの本を読んだらネットに批判的感想をアップする事が求められているみたいだ。それが次作の発表につながる。ファンなのにネットで批判しないといけない。アマゾンにも批判レビューを書かないといけない。

とここまで書いて、もしかして森さんは熱心なアンチファンがそうであるように、ツンデレが好きなのか。
よくわからないので、この辺で。まあ『小説家という職業』という本は、小説家に興味がなく、森博嗣にも興味がない人にはくその役にも立たない本だと思う。もちろん日本語を読めない人にも何の役にも立たない。本を買って積んでおく人の役にも立たない。そんな本でした。



6月26日の日記

2011年6月26日 読書
この本を読んでいたら悲しくなってきた。悲しみの中にいる人をすこしでも楽にするための本を読んで悲しくなるとかこれいかに。まあ、そもそも悲しくも無いのにこの本を読んだのが間違いだったかもしれない。

大体の本の流れは、親しい人に死別されたときにおきる悲しみの分類と、作者に読者から送られてきた体験談の紹介だった。
問題は、読者の体験談だった。ショック過ぎて詳細は忘れたが概要は、『夫が死んでから年末年始のイベントの続く時期が辛い』というものだった。何でもクリスマスから始まる年末年始の浮かれた雰囲気の中を1人で過ごすのがとても辛いらしい。外にでて幸せそうな家族連れを見ると妬みを感じ、それがまた嫌になるとか。
またこんなのもあった。『夫が死んでから自分の為だけに食事を作るのがだるくなった。だから、インスタント食品ばかり食べている。ホント美味しくない。』

わかるだろうか。本に載っている悲しみに暮れている人の生活が、私の日常生活と同じなんである。自分たちはこんなに悲しいと嘆いている状況が、私の普通日常だった。こんな悲しいことは無い。

6月24日の日記

2011年6月24日 読書
最近読んだ本でも。
新聞を読んでいたら、国立がんセンター名誉総長が妻をガンで亡くしたという記事を見かけた。その名誉総長が、その経緯を本にして出版したとあったので読んでみる事にした。
私的には、国立がんセンターのトップなのに、妻をガンで亡くすなんて、m9(^Д^)プギャーって嘲笑しようと思って読み出した。

読んだらびっくりした。さすがに国立がんセンター名誉総長だけあって、早期発見できるガンで死ぬことはできないとガン検診は、夫婦共に受けていた。実際、著者は大腸がんを早期発見して治療済みらしいし、妻の方は、三度ともガンを早期発見したのに、三度目にかかったガンにより命を落としたらしい。

私が思っていた認識は間違っていた。私は今までガンは早期発見早期治療ができれば、治せる病気だと思っていた。死ぬのは発見が遅れたからか、早期発見できても治療できない位置にガンができたかのどちらかだと思っていた。だから、まじめに金をかけてがん検診を受けて、やばい位置にできたガンは、保険非適用の最先端治療を受ければガンで死ぬことは無いと思っていた。しかし、早期発見しても治せないガンもあるし、そもそも早期発見が望めないガンもあるらしい。国立がんセンター名誉総長であるがために、妻がかかったガンが早期発見にもかかわらず治療不能のガンだと知ったときの落胆はわかるだろうか。私はよくわからん。

まあ、第三者の視点で言えば、享年78歳だったらしいので、寿命って言えば寿命だったんじゃないのかね。3度なったガンのうち前の2度は治療できた。それは医学の発達のおかげだろう。しかし、人は死から逃れることはできない。
医学で死を先延ばしにできるようになったせいで、病死を寿命だと受け入れれない人が増えたのではないだろうか。それは幸せにつながっているのだろうか。遺族の後悔を増やしているだけではないだろうか。


いやー、時代から取り残されているかもしれない。

私が普段見て回っているブログで数年前にマルドゥックスクランブルが絶賛されていた。その後、他の複数のブログでも絶賛されていた。私の経験則だと、私が普段見ている、関連のない複数のブログで絶賛される作品は面白いと言うものがある。
まあ、そんなわけでマルドゥックスクランブルを読もうと数年前に思っていたんだけど、すっかり忘れていた。去年、本屋大賞を冲方丁の天地明察が取ったという話を聞いたとき一時的に思い出したんだけど、またすぐに忘れてしまっていた。
まあそれで、今月になってやっとマルドゥックスクランブルを読むことになった。物凄い期待をして読んだんだけど、イマイチだった。
出版されてから時間がたって陳腐になってしまったんだろうか。それとも、SFという分野が私にあわないのだろうか。もしかしたら私の感覚がおかしくなってもう面白いと思わなくなってしまったのかもしれない。

ここからネタバレがあるかもしれない。
マルドゥックスクランブルの舞台設定は近未来だと思う。技術はいまより発展していると思われる。物語の半分から1/3が、カジノでイカサマする話なんだが、近未来SF小説なのに、出てくるイカサマが実際のカジノであったイカサマと変わらないか劣っているかどちらかなのである。読んでいる時のこのがっかり感わかるだろうか。
まあ、私が知っている一番凄いカジノのイカサマは、ディーラーがカードをシャッフルするのを見て、すべてのカードの動きを目で追えるという技を持った人がブラックジャックで勝ちまくるというものだ。技と言ってもホントにとても目がよく記憶力も抜群でシャッフルしているカードの動きを目で追って記憶してるだけなので物語には出せないとおもうけど。
まあ、それにしてもかなりの分量をカジノの話が占めているんだけど、でてくるギャンブルが既存のものばかりで、そこがイマイチだった。カジノがメインの読み物だったらもっと面白い物がほかにある。
これを読んで福本伸行さんの凄さを改めて思い知った。せっかくのSF小説なんだからカジノもオリジナルギャンブルを登場させればよかったのに。

それにしても、何年も前から期待していた小説がはずれだったとは、ショックがでかすぎる。ショックで今月は立直れないかもしれない。鳴きたくなるね。
致命的にどうしようもない話を聞いた。本当に、現実は面白い、、のかな。

サンデル教授の哲学授業が話題になったとき、なぜ授業を受けている大学生が皆、正義を行使しなければいけないという前提で話を進めているかわからなかった。
「外を歩いていると目の前に人が倒れている。どうしますか?」という問いがあったら「見なかったことにして倒れている人は無視して目的地に向かう」こんな回答があってもいいだろうと思っていた。しかし、よくよく聞いてみると、サンデル教授の授業は「JUSTICE( 正義)」というテーマで行なわれているとか。
まあ、その授業内容が書かれた本があったので読んだのだが素晴らしいたとえ話がでていた。

斜め読みしたので固有名詞が違っているかもしれない。ニュアンスのみを読み取ってもらえるとありがたい。
アメリカの特殊部隊に所属する隊員が、タリバンの幹部が潜伏している建物の情報を入手して、その情報の真偽や必要な兵力の調査などを行なう為に、潜伏情報のあったパキスタンの山間部にある村目指してパキスタンに潜入し情報収集を行なっていたらしい。人数は4人。
村付近で、2人と羊を大量に見つけたらしい。情報収集のために、その2人に銃を突きつけて身柄を確保した。尋問したら、ただの羊飼いの親子だった。そこで困った問題が発生した。紐はもちろん身柄を確保した二人を拘束するための物を一切持っていなかったらしい。一応アメリカ政府からは、作戦行動上で障害になりそうな場合、一般人でも殺すことを認められていたらしい。
つれて歩く事はできない。身柄をおさえた羊飼いの親子をどうするか?考えられる方法は、殺して自分達が潜入捜査していることを隠すか、開放するか。の二択にまでしぼったらしい。そこで隊長は多数決で決めることにした。多数決の結果、殺害1開放2棄権1で開放に決まった。殺すのが安全だか、そこは正義の味方症候群のアメリカ兵である、何の罪も無い羊飼いの親子を殺す事に躊躇した。

その後、開放された羊飼いの親子は地元に帰り、潜伏しているタリバンの幹部にアメリカ兵の情報を流し、4人のアメリカ兵は、150人の重武装したタリバン兵に襲われたらしい。アメリカはヘリを派遣して4人の特殊部隊隊員を救出しようとしたが、ヘリは落とされ17人死亡、4人の特殊部隊隊員も3人が死亡し、1人のみ重傷を負いながらも逃亡に成功して、アメリカよりの部族にかくまわれて、何とか生還したらしい。
その生還した兵士は、解放に一票を投じていた。それをアメリカに帰還後後悔している。それは、墓場までもっていく悩みだと思っている。今思えば殺すのが最善だったと、その判断をミスし多くの仲間を失った事を悩んでいるそうである。


まあこんな小話だった。実際にあった正義の選択問題である。自分達の安全のために何の罪も無い羊飼いの親子を殺していいのか?みたいな。
私がこれを読んで思ったのは、特殊部隊の隊員といってもアメリカ人は馬鹿なんだなあということである。もしかしたら、マスメディアに毒されているのが原因かもしれない。
いくら、アメリカ政府が認めたからといってパキスタンで一般市民を殺す事がパキスタン人にとって正義であるはずが無い事はちょっと考えればわかると思う。すなわち、それが認められていた自分たちはパキスタン人から見れば極悪非道の兵士である。パキスタン人だけではない。勝手にパキスタンに潜入して人殺しの許可を与えられている何て、アメリカ以外のどこの国から見ても正義ではないだろう。そんな正義のかけらも無いと思われている自分達が正義を行使しようとしたことが馬鹿げている。
隊長は、羊飼いの親子処分を多数決で決めようとしたが、選択をとるまでもなく殺すべきだった。たとえロープを持っていたとしても、殺した方が良かったと思う。それぐらいのつもりがないのならば、パキスタンに潜入すべきではなかったと思う。そんな事をしている時点で人殺しに関係なく正義にそむいているんだから、殺すか殺さないかを悩むなんて馬鹿げている。まあ自分たちは正義のために戦っていると思われていた悲劇なのかな。
永遠の0と言う本をよんだ。素晴らしい本だった。私の求めていたストーリーだった。
この本は、太平洋戦争をモデルとしてかかれたフィクションらしいが、舞台を宇宙なりロボットなりにしてアニメにしたらどうだろうか。

以降、ネタバレありになるかもしれない。
大体のストーリーをガンダムに例える事にする。あまりガンダムを知らないので、ウィキペディアであらすじを取ってくる。
『舞台は、スペースコロニーへの宇宙移民が始まって半世紀あまりが過ぎた未来世界、宇宙世紀0079年。地球から最も遠いコロニー群サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦からの独立を求め、独立戦争を挑んできた。圧倒的な連邦軍の戦力数に対して、ジオン軍は人型機動兵器「モビルスーツ(MS)」を実戦投入し、戦争は膠着状態に陥る。』
ガンダムはこんな感じである。

永遠の0は大体で言うと、日本軍はジオン公国、アメリカ軍は地球連邦のような国力である。圧倒的に国力は劣る日本軍には、ゼロ戦という画期的な飛行機があって戦争は何とかなっていた。まさに、ゼロ戦強ぇぇぇぇー主人公補整って感じの威力である。
ただ、アニメにはありえない、最初からつまづきから始まる。不真面目な在米外交官のせいで宣戦布告が奇襲攻撃後に行なわれるという失態がありアメリカから卑怯者よばわりされる。多くのアメリカ人は正義の味方症候群にかかっているので、卑怯者を物凄く嫌う気質で本気で怒って反撃してくる事になった。

それまでの常識では、船同士が大砲を撃ちまくる艦隊戦が海上戦の主体だった。飛行機はオマケみたいなものだった。それが、日本軍がイギリスの艦隊を飛行機で攻撃しぶっ壊した事から、グリコのオマケぐらいに飛行機が重要になった。
日本は開戦当時最強の飛行機ゼロ戦があった。まさに、ゼロ戦無双な状態になる。ゼロ戦の魅力は高火力高機動性高航行距離。欠点は装甲の薄さである。流れ弾にちょっと当たっただけで火を噴いて駄目になるほど弾に当たれば簡単に落ちたらしい。反対に、アメリカの飛行機は、とりあえず装甲が厚くちょっと弾に当たったくらいじゃびくともしないものだったらしい。その代わりそれ以外は皆ゼロ戦より劣っていた。
日本は当初国力の差を考えればとてもいい戦いをしていた。ただ、日本軍の兵士は優秀でも仕官が無能で、戦い戦いで誤った指揮をとりちょっとした失策を犯し続ける。
あとは麻雀みたいなもんである。流れを失い、反対に相手は流れが向いてくる。もともとの国力の差もある。また、飛行機乗りにしても、日本軍は装甲が薄くすぐに死ぬ。なんなら帰還不能な場合は相手の艦船に特攻しろという命令も出ている。それを続けていくうちに日本軍の熟練飛行士は減っていく。
また、アメリカは国力に物を言わせてとんでもない高出力のエンジンを開発して終戦間近には、日本がアメリカより優れている点は兵士の死ぬ気ぐらいになってくる。
舞台背景はこんなもんだ。
主人公は凄腕の飛行機乗りである。ただ、今の価値観においての凄腕である。何をおいても安全第、一命が一番大切。そんな生き方は戦争当時、物凄い常識外れで、場面場面で迫害を受ける。それでもそれをつらぬこうとする。命を大切にしてきたので終戦間際まで生き延びる。しかしいろいろあって、終戦間際に特攻隊員として特攻して死亡する。いろいろあって特攻は成功し船にぶち当たるものの爆弾は不発で終了である。


長すぎてうまくまとめれなかったが、脚本家が永遠の0を読んで、ロボット物や宇宙戦争物に置きかえてアニメにすれば、俺は見る。たぶん、バットエンドで売れないと思うけど、私が思う今のアニメに足りないものがすべて含まれている。本を読んでこんな事を思うようじゃアニオタとはもう自称できないな。

久しぶりに西尾維新の本を読んだら見事に騙された。私は、ミステリーをミステリーとして読まずにただの娯楽小説として読むので、犯人を予想したりトリックを考えたりしない。それだけでなく、話の先を読むとか、登場人物に感情移入するとかそんなのもまったくない。だから騙されるはず無いと思っていたのだけど、最初に読んだあとがきで仕入れた予備知識に見事に騙されてしまった。テレビCMが面白そうで映画を見に行ったら、CMのシーンがまったく無かったような感じだろうか。
あと気になったのは、作中の地の文章に嘘が混じっていたのかどうかです。私が唯一知っているミステリーのルールは、『地の文章に嘘があってはいけない』というものだけである。この本を読んだ感じミステリーファンの腰を折るのが好きらしく、いろいろトリッキーな事をしていそうな箇所があった。まあそのルールを知らない私には理解できなかったのだけど。そんな中で唯一わかったのが、作中で登場人物が「地の文章で嘘をつくかもしれないよ、だけど怒らないでね」という伏線をしかけまくっていた。伏線には気がついたのだけど、実際伏線が回収された箇所をみつけれなかった。こういうことがある度に思うのだけど、私みたいな薄っぺらい読者は、あらすじとネタバレを予備知識として入れてから本を読んだ方がいいのかね。
まあ、感想というか結論は、何時間もかけて本を読む必要性を感じられなかった。読書する必要性があるのは、暇な人が時間を潰す時だけなんじゃないかな。睡眠愛好家の私としては、言葉では言い表せないけど私の見る夢を超えた作品に出会った事が無い。
人に読んで面白かった本を薦めるのは、自分の恥部を晒すようであまり好きじゃなかった。そこで私が読んでない本を薦めてみることにする。まだ読んでいないのであらすじしか知らないが、あらすじを読んだだけで魂を抜かれた。誰か読んで本を読まない私に、原稿用紙数枚の読書感想文にまとめてくれないかな。文部省さん来年の夏の課題図書に期待しています。

あらすじ
「廃用身」とは、脳梗塞などの麻痺で動かなくなり、しかも回復の見込みのない手足のことをいう医学用語である。医師・漆原糾は、神戸で老人医療にあたっていた。心身ともに不自由な生活を送る老人たちと日々、接する彼は、“より良い介護とは何か”をいつも思い悩みながら、やがて画期的な療法「Aケア」を思いつく。漆原が医学的な効果を信じて老人患者に勧めるそれは、動かなくなった廃用身を切断(Amputation)するものだった。患者たちの同意を得て、つぎつぎに実践する漆原。が、やがてそれをマスコミがかぎつけ、当然、残酷でスキャンダラスな「老人虐待の大事件」と報道する。はたして漆原は悪魔なのか?それとも医療と老人と介護者に福音をもたらす奇跡の使者なのか?人間の誠実と残酷、理性と醜悪、情熱と逸脱を、迫真のリアリティで描き切った超問題作。

7月16日の日記

2007年7月16日 読書
スカイクロラから始まってクレィドゥ・ザ・スカイでこのシリーズは完結したようである。作者が意図したのかどうかは知らないが、新感覚の小説だった。多分、多くのまともな読者は読んでもこのすばらしさに気がつかないと思う。もしくは途中で挫折するかのどちらかだろう。
うまく伝える自信がないが珍しく絶賛したくなったので何がよかったのかを紹介しようと思う。
このシリーズは5作でている。一年間隔ぐらいで出版されていた。私は買う価値のない本だと判断して図書館で借りてこのシリーズを読んでいた。1作目を読んだ感想は森氏のオナニー小説だなと言うものだった。読み終わったとたんに本のストーリーが思い出せなくなるほどどうでもいい話だった。1年たって、そんな評価すら忘れたときに2作目が出た。図書館で新刊コーナーに森氏の本が並んでいたので借りてみて読み終わったときにやっと続編だという事に気がついた。くだらなかった上に1年も時間が空いていたので1作目をすべて忘れていた。それでも2作目は普通に読むことができた。ただ読み終わった感想は1作目とまったく同じだった。ふと、1作目を忘れているから2作目が面白く感じないのかと思って読みかえそうかとも思ったのだが面倒だったので1作目2作目とも記憶から抹消された。また1年後、図書館で背表紙につられて本を手にとったら3作目だった。これまた、なぜか借りて読んでみる事にした。明らかに前回の話と変わっているような気もしたのだが面倒臭いので違和感を抱えたまま読み終えてとっとと本を返して違和感を忘れて解決することにした。もうここまできたら惰性なので1年おきにこのシリーズを図書館で借りるのが習慣になっていた。

最終巻がでてそんな私の苦行が報われる時がきた。なんと私と同じような状態で物語に参加している登場人物が出てきたのである。年をとらない主人公は、長年生きている内に記憶が多くなりすぎて頭がおかしくならないように物凄く忘れっぽいという設定だった。だからなんとその主人公は、前作で自分がどんな活躍をしたかを覚えていない。前作に登場した人物を覚えていない。前作で乗っていた戦闘機の名前を覚えていないのである。ここでポイントが高いのは、乗っていた戦闘機の名前は覚えていないのに戦闘機の特徴はイメージとして覚えているのである。なんと私もストーリーなどは綺麗に忘れていたのに、主人公が乗っていた戦闘機の特徴は覚えていたのである。他にも1作目にでていた登場人物で一番目立っていた人の存在だけ記憶していた点など、前4作を読んだけどほとんど何も覚えていない私と前4作に登場したけど、ほとんど忘れてしまった主人公の記憶がリンクするような感覚を覚えたのである。当たり前の話だが作者が私の記憶を知っているはずがないので、私が忘れたことを作品の中の世界でも忘れられているなんてことは今まで一度もなかった。
その上、それに気づいてからそれを気にしだして本を読み出したらあることに気がついた。多分、作者は登場人物の名前が覚えにくいように書いているのである。ストーリーも覚えにくいように書いているのである。だから特にわすれっぽい私は読み終わった瞬間にその本のあらすじがわからなくなるほどに忘れてしまったのである。
5年かけて読者の記憶と作中の主人公の記憶がリンクするように狙ってこの本を書いていたのならこの作者は天才やね。まあ忘れっぽい私だから偶然かもしれないけど。まあ時間のある人は5年かけて忘れても読み返しをせず読んでみると面白いかもしれません。ちなみに本の刊行された順番と物語上の順番は一致していないらしいです。
世の中世知辛いですね。この本に日本にディズニーランド設立までの紆余曲折な話などが紹介されていました。詳しく知りたい人は図書館でかりたりして読んでみるのがいいと思います。さて今日私がショックを受けたのは現実の世知辛さがこんなサクセスストーリーの本にまで進出していたからであります。
米国のディズニーランドと契約を結ぶに当たって、三菱財閥系の富士急ハイランド近辺の案と、三井財閥系の千葉県浦安案の2案で誘致合戦が行われることになったそうである。結果はたいしてやる気の無かった三菱系が負けて三井系連合が勝ったのですが、そこからも一筋縄ではいかなかったようである。ディズニーランドをつくるにあたり、三井財閥系の三井不動産と京成電鉄は子会社のオリエンタルランドを設立したのだが、米ディズニーランドがだした収入の1割というロイヤリティの高さに怖気づいたり、莫大な建設費に怖気付いたり、そもそも日本と言う土地でテーマパークが成功するのかびびったりして、三井不動産が逃げ腰になったそうである。三井不動産は事あるごとにオリエンタルランドの邪魔をしてディズニーランド計画を頓挫させようとするのです。紆余曲折があり、結局はオリエンタルランドの従業員の熱意が勝りディズニーランドは開園へとこぎつけました。今では、日本のディズニーランドは世界でもいちにを争うほどの集客を集めています。サクセスストーリー的には子会社のオリエンタルランドは親会社の三井不動産の嫌がらせにも負けずディズニーランド開園にこぎつけ大成功するのですが、しかしなんと三井不動産も、48%のオリエンタルランドの株式を持っていたので大儲けできたのでありました。
結局、この世界何よりも大切なのは、資本の大きさなんですかね。
今日図書館に行ってこの本を借りてきた。借りる時、司書の方が怪訝そうにこちらの顔を見ながら貸し出しの処理をしていたので心の中で『半ひきこもりの私が図書館の本を借りることになんか文句あるのか、文句あったらぶっ殺すぞ』なんて事を考えていた。もし私がひきこもりではなく外交的だったら声に出して対応がなっとらんと怒っていたことだろう。まあ無料で本をかしてくれるんだしすこしくらい対応が悪くてもいいかなと自分をなだめて家に帰ってきて、本を読み始めて驚愕しました。まだ1ページも読んでいないのにこの本に書いてあることを感じとる事が出来たのです。私もエスパーの仲間入りかなと思ったら先々週この本を借りていました。だからですかね、司書さんが怪訝そうな顔をしていたのは、いやーひきこもりでホントよかった。声に出してたらホントに最低でした。まあ声に出していなくても私は最低なのですが。

やっぱり読んだ本はここに記録を書いていかないとダメなのかね。そんなことを思って、この本の感想を書こうと思ってみたモノの筆がいっこうに進みません。何でかなと思って本をパラパラめくってみるとどのページも読んだ記憶はあるのにまったく内容を覚えていません。読んでいくたびにそうだったと思い出すのですが、いっこうにどんな話だったか思い出せません。読んだのに夢のよう。そこでまたびっくりして私は今日2度びっくりしたのでした。このあとミステリーのトリックにびっくりすれば、007は三度驚く、なんてね。

2月10日の日記

2007年2月10日 読書
前、週刊誌に載っていた劇団ひとりのエッセーだか書き物を読んだときも思ったのだが、この本も同様なことを感じた。本に定番があったとすればこのような本になるのではないだろうか。こんな本を書くと面白いという教科書に沿って書かれたように感じた。
この本は、関連性のある短編集みたいな感じだったが、叙述トリックが仕掛けてあったり、他にもどんな話があったかよく覚えていないが多彩な物語だった。凄いのが、どの短編を読んでもデジャビュを感じるという点である。ある作者とか作品が思いつくわけではなく、それぞれの短編についてああこんな展開の一冊の長編小説があったなと思うわけである。長編の贅肉をそぎ落として短編にしてあるので簡単に読める上に面白さが凝縮されているので、手軽に読めて面白かった。売れないアイドルのファンの話なんて、前私がわからなかった、売れれば売れるほどアイドルは遠くに行ってしまうという心理をファンがどう処理してるのかがわかって非常に良かった。

ところでこの本の中に、オタクがファッションの最先端の渋谷に服を買いに行くシーンがあるのだが、渋谷にいる人の視線が自分のオタクファッションに突き刺さってくる気がして逃げ出して『オタクが渋谷で服を買うためには、まず渋谷に着ていくようの服を買わないといけないのか』見たいな事を思うのである。
似た展開の話をどこかで見たと思うのだがなんだったかね。誰か知りませんか。

1月28日の日記

2007年1月28日 読書
少し前に、森博嗣氏原作の「カクレカラクリ」がドラマ化されていたのでどんなもんなのか見てみたら非常にクソだった。森さんも年をとってもう駄目なのかなとさえ思った。あまりに面白くなかったので原作も読んでいなかった。時がたって私の心も軟化してきたので、カクレカラクリを読んでみた。

読んでみた感想、他の森氏の作品と何の変わりも無かった。普通の森氏の作品だった。さて、ドラマも小説も両方がコカコーラ社創立120周年を記念したものだったらしい。小説にはコカコーラのペットボトルを首から提げて常備しているキャラクターがいた。ドラマでも同じことすればよかったのになぜしなかったのかね。森氏の作品は実写映像化に向かないんじゃないだろうか。そんな事を考えながら、amazonののだめカンタービレのブックレビューを見ていたらあることに気がついた。
なんでも、のだめカンタービレのマンガが気に入らなかった人のレビューに「ピアノマンガなら神童があるし、天才少女モノならスバルの方が面白い。何の新規性もなく面白くない」見たいな評価をしている人がいた。少年マンガすべてを否定するようなレビューだなと思ったのだが、案外核心を突いているのかもしれない。
マンガを大雑把に分類すると、特異な設定や特異なキャラクター主体のマンガとストーリ主体のマンガに分けられるのではないだろうか。多くの少年マンガは設定主体である。だから、ありふれた設定だと子供はがっかりする。典型はドラえもんやアンパンマンである。両者ともストーリーは数種類しかない。あとは新しい道具や新しい登場人物が装飾する。多くの少年マンガは人気が出てくると面白く無くなっていく。人気で連載が長期化するが、新しい発想が尽きてストーリーも無いのでネタ切れになる。読んでないけどじゃぱんやテニスの王子様がそんな感じで終焉を迎えたんじゃないかね。
ストーリー主体の少年マンガとなると、あだち充とかだろうか。あだち充の漫画の設定は定番である。何も変わったところが無い。でもそこそこ長期連載すると言うことはストーリーが優れているのだろう。あと少女マンガはほとんどがストーリー主体だろう。その上ストーリー自体も定番化しているような気がする。

なんやかんやで最近私が少年マンガを読まなくなってきたのは、イロモノに飽きてきたからなのかもしれない。なんやかんや言ってストーリーがちゃんとしていないと面白くない。さてこれはマンガだけの話では無いんじゃないだろうか。森氏原作のドラマがこけたのもこの辺に原因があるのではないだろうか。多分森氏の小説は、キャラクター設定主体の小説であって、ストーリーに中身は無い。小説でキャラをたたせるのは簡単である。かわいいと書けば読む人がかわいいと思ってくれる。華麗だと書けば華麗に、妖艶なら妖艶を想像してくれるだろう。でも面白いネタと書いても誰も面白いと思ってくれないのは何でかね。
さて実写化を行うとうまく表現できない部分が出てきてしまい、キャラクターがくすんでしまうのではないだろうか。小説では魅力的なキャラクターの振る舞いを楽しめたものが、ドラマ化で売りのキャラがくすみ、ストーリーは元からそれほどでもないので魅力が無くなってしまったのではないだろうか。

思えばゲームなんかもそうである。私は昔はありふれていないゲームを求めていた。ファミコンなんて狂ったゲームの宝庫だった。一方FFは何の変わった設定もなくクソゲーだと思っていた。しかしゲームであっても本来はFFやドラクエと言った何の変哲も無い普通の王道をいくモノが通好みなのかね。

でカクレカラクリを次にドラマ化するとしたらグリコをスポンサーに迎えて、活発な妹役を新垣結衣にしていつもポッキーかじってるって設定にしてくれないかね。そんなドラマにしてくれれば、どんなにストーリーがクソだったとしてもストーリーが無かったとしても新垣さんだけで楽しめそうです。なんか邪道ですか

4月23日の日記

2006年4月21日 読書
14歳の死刑囚が死刑になったことを愚痴ったのをまとめたレポートかと読んでみたらまったく違った。意図的に作者の思想を他人に押し付けるために奥歯に物が挟まったような物言いが多い中途半端な本だった。一番ひどいと思ったのは、ある章では少年法改正で未成年者への刑の厳格化は犯罪抑止力を持たないからこれ以上少年法を厳格化してもしょうがないと言っておきながら、違う章では、年々少年法が改正され厳格化されたために昔に比べて未成年者の犯罪発生率が減ってきているのでこれ以上少年法を厳格化する必要はないと書かれていた。まあ、精神障害者の犯罪は他の犯罪者と別に考えなければならないとか、今の日本の刑務所は犯人を更生出来ていないそもそも今の刑務所のシステムはおかしいなど大筋では犯罪を分かっている人みたいだ。しかしそれならなぜこんな馬鹿みたいな本を書いたのだろうか。まったくもって疑問だ。死刑に何の犯罪抑止力もないと頭から思い込んでいるようだ。しかし、今まで与えられた知識を総合するとわかるだろうに、日本の刑務所に入ってもなんら更生は期待できずに再犯率は高い。特に凶悪な犯罪を少年時代起こした人間は、社会システムもあいまって更生はほぼ不可能にちかい。また日本には終身刑は存在しない。結果、再犯率を減らすために今行える最善策は死刑という名の殺人を行い、犯罪者が二度と犯罪を行えないようにすることしかない。精神障害者も同様である。犯罪の善悪を判断できない人間は、悪いと知った上で人を殺した人間よりヤバイ。何でこんな簡単なことを理解出来ないのかね。まあ子供に各種犯罪の刑罰を教えようとするのは同意だす。小学校でくだらない社会や理科を教えるぐらいなら、刑法を教えて何をするとどんな罰があるのか教える方が社会のためだろう。義務教育期間中に何をしたらどんな罰を受けるかすべての国民に公知する必要があると思う。少なくとも日本ではしてはいけないことは何も無い。ただ、刑法など法律を犯すと罰を与えられるだけだ。罰さえ許容できれば、法律を犯すことを禁止する法律は存在しない。
昨日に続き今日も本の感想でも書くことにしようと思う。ネタバレがあるかもしれないので今後読む予定がある人はこれを読むのを避けた方が賢明かもしれない。
今日はこの本を読んだ。この本も何らかの賞をとった新人作家の本みたいだ。さて、肝心の内容だがこれがデビュー作かと思うぐらいすばらしかった。十分商業誌としての価値はあるのではないだろうか。
なにがすばらしいって、主要な登場人物が2人だった。人が死んだり殺される場面もあった。名探偵も登場した。美人助手は登場はしなかったが存在は語られた。まあ何が凄いって、記憶力の悪い私のために死んでいく人は名前以外の情報がでてこない。まあどうせ死ぬんだから無くても困らないわね。犯人とかもしゃしゃりでてこなく、また一度に登場する人が少なく誰の発言か一目瞭然、読みやすい小説だった。
まあしいて文句を言うとすれば、私は図書館で借りたので0円で読むことが出来たのだが、果たして1600円出して読む価値があるのかということである。もしここがアフィリエイトOKで本を紹介して誰かが買ってくれれば私の懐に金が入るということなら両手を挙げて絶賛するのだがそんなことは無い。まあそれは横において置いたとしても、私ですらこの本を読んで本当に得をしたのか分からない。0円で本を読むことが出来たが読むのに3〜4時間かかった。私は別にすることが無いわけではない。どちらかといえば毎日の自由に出来る時間が少なくて困っている。そんな貴重な時間を4時間も使って本当に良かったのか未だに分からない。まあせめてもの救いは、3時間は就業時間中に読んだのでそれほど私の自由時間を犯さなかったことぐらいだろうか。まあ評価としては読んだら1000円くれるという条件なら読んでもいいんじゃないだろうか。この本に限ったことではないが、金を出して貴重な時間をつぶしてまで読む価値がある物語なんて無いと思う。じゃあお前が思う貴重な時間をつぶす価値のあるものは何だといわれたら非常に困ってしまうが・・・
誰か貴重な時間を使う価値のあるものを教えてください。お願いします。
最近、公務員死ねとか高齢者死ねとかろくでもないことしか思わなくなった。そんなことを毎日書いていてもしょうがないので読んだ本の感想でも書くことにしようと思う。ネタバレがあるかもしれないので今後読む予定がある人はこれを読むのを避けた方が賢明かもしれない。
今日はこの本を読んだ。現役高校生が賞を取ったとか、全編携帯電話かで書かれたとかいろいろな話題を提供していた本である。読んだ感想としては話題にされたのに比べて内容はいまいちだった。そこらのネットでばら撒かれているSSと同レベルのように感じた。まあ作者が現役高校生なのでジェネレーションギャップがあるのかもしれないが、登場人物が多すぎる。4人以上主要なキャラが出てくると私は収拾つかなくなる。私はそれほど忘れっぽいのだ。ついでに殺人も起きないし、名探偵も出てこなければ美少女助手も出てこない。もっと言えば事件など起きない、これをミステリィとよんでいいのだろうか。
そもそも、この題名からして違うものを想像させられる。私はてっきり淋病は免疫不全より100倍恐ろしいというのを略した、淋病とエイズを対比した話かと思った。小便ついでにチンポから膿が垂れるのはかなり怖いと思う。旧時代は淋病など抗生物質で簡単に治っていたが最近の薬物乱用のあおりを受けて耐性菌がメジャーになりつつあり、淋病を軽視すると怖いらしい。
思いっきり話がずれた。えーと本の内容としては、高校生デビューした主人公がバスケ部の中での地位の確立を画策し奮闘する話だった。まあ紆余曲折あるのだがスケープゴートがやられて主人公の自分が標的にされたときなぜすぐに部活をやめなかったのか。もっと言えば最初にスケープゴートにされた奴もなぜ即効部活をやめなかったのか。両者ともバスケがうまいわけでもなくバスケ部に固執する理由が分からなかった。あるとすれば、小説を書き続けるためにいじめられているのにバスケットを続けているみたいな風に感じられた。どうせ小説ありきのストーリーにするのならもう少しトンデモな展開が良かったと思う。
まあ唯一納得させられたのは、主人公がいじめられるのはすべていじめられる奴が悪いと言っていたとこぐらいだろうか。まさにそうである。よくいじめられっこが何もしていないのにいじめられるといっているがそんなものは、何もしないからいじめられるのであって、給食の時間にでも特別教室にいじめっ子を呼んでカッターナイフで首を切ればもうがっこうでいじめられることはないだろう。ただ今後は社会からのいじめが待っているのだけど。まあ自分の首も切れば・・・
なんだこの展開、最低だな

そういえば、環境が悪くて犯罪に走る人がいる。貧しいとか家庭環境が劣悪だとか、もしなんの問題もない環境にいれば犯罪を犯さなかったかもしれない。しかし、それはその人が更生できる理由にはならないだろう。元犯罪者は元犯罪者というレッテルを張られる。それはそれだけで悪環境である。まあ中にはその劣悪な環境でも犯罪に走らず更生する人がいるかもしれない。しかし多くの場合、もし劣悪な環境に耐えることが出来るのなら、最初の段階で犯罪に走らなかったはずである。
たった一度の前科がその後の犯罪を誘発する。最初にこのシステムを考えた人は偉いね。日本から犯罪がなくならないはずだ。
まだ前半、半分ぐらいしか読んでいないが成果主義の崩壊というか富士通の崩壊話なのですが、他人が不幸になっていく話はサクセスストーリー並に面白いですね。ただ運が悪くて崩壊したわけではなく崩壊するだけの理由があっての崩壊なんともいえませんよ。
まあ私はもともと富士通にはいい印象を持っていませんでした。はじめて買ったPCが富士通製でDOS/VのPCでありながらマザーボードに施されたプロテクトにより富士通製のHDDでしかbootできないというものでした。クソですよ。PCを買って2年目ぐらいでしょうか、酷使に耐えれずにHDDがクラッシュした時に市場の安物HDDの2倍近い値段のHDDを買わなければならないなんて、私には耐えれなくて自作するようになりました。
さて上記の本は成果主義の批判本かと思っていたが、実際のところ富士通が導入した成果主義が成果主義とは似つかないクソだっただけみたいだ。いろいろ問題点が乗っていたが、特にすごかったのが降格制度がないところである。成果主義なのに役職の降格は一度も無かったそうである。また給料の総支給額は決まっていたので成果主義でありながら好成績者が多くなると総支給額を頭数で割って給料を支払うので結局は給料元と変わらない状態だったとか。社会主義が何で崩壊したのかを証明するような状態になり社員のやる気やモラルが効果的に低下したそうである。
そもそも、富士通の一番の失敗は目標を上司と本人の2人で話し合って決めるといったとこにあったのではないだろうか。富士通では主に自分で考えてきた目標を上司がチェックして特に問題が無ければそれが半年間の目標になるらしい。それで、半年後その目標の到達段階で成果を判断していたらしい。こんなあほな制度あるだろうか。自分でハードルを設定してそれを越えれば高評価が与えられるのである。ハードルの高さはなんら影響しないのである。少なくとも、成果を判断する目標は上司が一意で決め、また最後の到達度の判定ではハードル自体の難易度も加味する必要があると思う。しかし、今いる管理職は年功序列で出世した組なので部下のハードルを決めてあげることもできない能無しが多数存在したらしい。また目標の難易度を評価できないのではなく、部下が出した目標自体の意味すら分からないということが多々あったらしい。
管理職が成果主義を勝ち抜いてきた生え抜きならばもう少し結果も違っただろうけど、降格制度が無かったのでダメな管理職が優秀な人材と入れ替わることも無く崩壊していったらしい。
成果主義を導入するのなら新しい会社でないと難しいみたいですね。
まあ一度歯車がずれ出すと面白いもので、富士通のハード部門は、自社のソフトは使いにくいといことでオラクルやらサンソフトのUNIXをハードに入れて猛烈に値下げして販売していたらしい。売れば売るほど赤字、しかし目標は売上高なので目標クリアとかね。
これは他の販売業にも言えることだと思うのだが、なぜ販売高で会社の業績を判断できると思うのだろうか。まあ在庫を利益と換算する経理では利益を指標にしても同じなのかもしれないが、それでも販売額基準よりは利益基準だろう。まあ儲けるだけが全てじゃないのかもしれないけれど、
まあいつもどおりグダグダなので今日はこの辺で

夢かもしんない

2005年1月29日 読書
たまには実りあることでも書きましょうかね。ここ1日間で読んだ漫画の中で一番面白かったのはこの作品でした。amazonとかで古本だと1冊1円とかありえない値段で売っています。全5冊そろえても50円もかかりません。たぶん送料の方が高くなるでしょう。そもそも古本買っても直接作者には金は流れないので、買う必要は無いですか。立ち読みなり漫画喫茶なりで一読の価値はあると思いますけどね。
漫画の面白さは古本の値段で決まるものです。そもそもamazonにレビューもありません。まあきっと私が面白いと思ったのも夢だったのでしょう。

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