12月10日の日記

2005年12月9日
忘れないうちに書いておこう。
ふと思ったのだが何度消しても色が変わって火が復活する誕生日用のロウソクってどうだろうか。7歳用だと消すごとに7回色の違う炎を見れる。いやーいい感じじゃないですか。ただ問題は、炎色反応おこすには、銅たらストロンチウムたら体によい影響を与えるとは思えないものを使うということでしょうか。金属の燃えカスのついたケーキは食いたくなくなるね。まあ摂取してうまく体にたまれば火葬場で七色の炎をあげれますって宣伝文句にすればプラスイメージ持ってもらえるでしょうか。

ちょい10年ぐらい前の、近未来モノのドラマやアニメなどを見ていると人の声の偽装が手軽に行われているシーンが出てきた。有名人などのテレビから流れる声をサンプリングして、音と音程でいろいろなパーツを集めると、違和感無く有名人の声を合成できるみたいな感じで登場していた。さて今は10年後、昔から見れば近未来である。名探偵コナンに出てくるような蝶ネクタイ型の小型を求めているわけじゃない。そこらのノーパソに入るぐらいのソフトで、人の声は偽装できないのだろうか?まあ私は素人なので、語や音程の違う声のサンプルを大量保持しそれを切り貼り組み合わせて喋り声をつくるのと、声紋解析しそれを元に勝手に合成した似た声で喋り声を作るののどちらが簡単かはわからない。が、どちらにしてもそう難しくないと思うのよ。誰か、人の声を偽装するソフト作ってくれないかな。アイドルなどのファンクラブの名簿を手に入れて、アイドルの声を偽装し、振り込め詐欺をすれば物凄いと思う。

昔どこかで聞いた話と被るのだが、部分的効率を求めてもそれが必ずしも全体最適につながるとは限らない。多分それは誰もがが認めることだと思う。例えば、製造部門でいくら大量生産するとコストが下がるからと言って、少数しか売れないものを5年分まとめて生産すると、製造コストは下がるかもしれない。しかし、会社全体でみると保管料やら在庫増によるキャッシュフローの悪化など会社に与える悪影響ははかりしれない。いくら製造部門の効率が最適化されても、大量の在庫を抱えて販売部門が5年かけて販売するのは非常に不効率的で会社的に見るとマイナスである。製造部門は、いくら製造コストが高くなっても少量生産をした方が会社にとっていい結果をもたらすことがある。
さて会社の場合は、失敗しても潰れるだけの話である。またある程度力をもった社長がくれば一気に変われる。しかしもっと大きな組織になるとそれがそう簡単にはいかなくなる。
例えば日本という国では、中央省庁の人たちが、みんな国がトータルでよくなることを考えて仕事をしてくれれば問題ないのだが、やっぱり人間、競争が合ったりしてなんやりで、いつの間にか仕事の目的が自分の所属する省の利益を追求することになる。まあ省内の人事は省が管理しているので、国の利益のため自分の省が不利になることをしても、省はトータルでは評価せずに、省に不利益をあたえたとなり、左遷候補になってしまう。のでみんなが、省の利益を優先して仕事をしていたら、国全体で見た場合に、不効率的なことが多すぎた。そのうえ、多くの省が自己の利益を優先することで徒党を組み、国が行おうとしている効率化を邪魔をする。
何だろうね、目的を忘れて、もしくは結果を追求するあまり目的を見失い目的から外れた結果だけを求めてしまう人が多いのではないだろうか。まあ、組織が大きければ大きいほど個々の人が部品化し組織の求めるものと個々の人々が求められるものが乖離してくる。
とある人の話では、ナチスでさえ、幹部がヒトラーに気に入られようとしたばっかりに、ドイツの国の害になるホロコーストをすることになったと。国を良くするのが仕事だったのがいつのまにか国はどうなっても自分が評価されたいに変わってしまう。競争社会の限界でしょうかね。それとも、個々の部品に全体の利益をわからせることはできるのでしょうか。
学校では個々が最善を尽くせば全体で見ても最高のものができると教えられる。しかし現実はみんなが最善を尽くすことが、全体の最善とは限らない。何だろうね。これ。まあまとめると私は無理をして働かない方が全体がうまく回ると言うことでしょうね、きっと。誰か、かこってください、お願いします

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