12月21日の日記
2005年12月21日今日はどこかの小学校で授業参観があったみたいでした。小学校先生の話を賜った母親が子供に説教していました。
一学期の時も今回も2回連続で先生に、おたくの子供さんは聞けばできる子なのに、先生が話しているとき上の空だったり、周りの子としゃべっていて先生の話を聞いていないことが多々ある。でよくミスを犯す。集会の前にトイレに行きましょうと先生が言った時,
従順なほかの子供たちはトイレに行ったのに、雑談をしていて先生の話を聞いていなかった子2人は、必要なものも持たずに体育館に行ってしまったそうです。それを先生に指摘されて、子供に対して母親は怒っていました。マンガの登場人物みたいに「次は無いものと思え!!」って言っていました。口答えする子供に頭ごなしに先生が話し出したら無心で先生の話だけを聞きほかのことは考えないと教え込んでいました。
私が聞き耳をたてていたことを察したのか、3学期末にもう一度同じ指摘をされたら子供にどのような折檻を与えるのかは名言していませんでした。
子供の才能はこうやって摘み取られていくのかなと思った瞬間でした。
認める認めないにかかわらず、頭の回転の良さなどはもって生まれたものです。掛け算の九九を10分で丸暗記できる子もいれば10週間かかる子供もいます。しかし、障害が無ければどのような子供でも時間をかけてそればっかり勉強させればいつかは九九を覚えることが出来ます。まあ習得にかかる時間は、もって生まれた才能と自分の力の使い方でしょうか。今の小学校は才能というものを認めたくないのか力の使い方の教育はなされません。PCにたとえると、学校に来ている子供にはCPU Pentium4 4ギガ、メモリ2Gの逸材からCPU Athlon 3G メモリ64MとかCPU インテルのI386 メモリ2Gまで幅広い種類が存在します。しかし小学校ではどのようなPCがきてもBASICを採用します。6年間かけてBASICを叩き込みます。まあどのようなマシンでもBASICは快適に動きます。しかし本当にそれでいいのでしょうか。何年後かはわかりませんが、自分の能力はどうであれ子供たちは、みんな同じフィールドに立って受験をしなければなりません。同じことをしていたのでは優秀な人には勝てません。今のやり方で残されているのは時間ですが、時間は有限です。優秀な人の倍すれば同じ結果が残せるとしても優秀な人が毎日13時間勉強を始めたらどうがんばっても2倍の時間、勉強するのは不可能です。そこで私が思うのは自分の才能を最大限有効に使える方法を探すということです。単純な能力が1/2だとしても、マルチタスクにして2個のことを同時にすれば足りない能力を最大限有効に使うことが出来ます。
で最初の話に戻りますが、先生の話を聞かずに回りの子供と雑談している。先生の話を聞かないと問題が発生すると仮定する。しないのなら話など聞く必要が無い。もし問題が発生した場合、何らかの対策をとろうと子供は考えるでしょう。そこで先生が武力を使い雑談を止めさせるのは簡単です。しかしそれでは恨みしか生まれません。もし、先生の話は重要だ、でも雑談もしたい、なら両方同時にやってみようと思い実践すれば、最初は苦難の連続でしょうか慣れればできるようになります。もしくは人間の会話の8割は無駄な部分なので先生が話している内容の重要な2割を聞きあとは自分で補完する方法もあるかもしれません。まあ方法はたくさんあるでしょう。先生の重要な話を聞き逃したら怒るのはいいでしょう。だからといって話だけを聞くように仕向けるのは才能を潰してはいませんかね。
私が子供のころは勉強でもテレビ見ながら勉強すると頭に内容が入らないといわれていました。しかし私はそんなもん無視してテレビを見ながら勉強する習慣をつけたら、最初は成績が下がりましたが、慣れてくるとテレビを見ながらでも以前と同じ効率で勉強することができ同水準の結果を出せるようになりました。それが人間というものです。もし、テレビの代わりに勉強の合間に英語の映像を見るようにしていたら今私は日記を英語で書いていたでしょう。
まあそんなこんなで、人間限りある才能をどう有効に振り分けるかが本当の勝負です。まず一歩自分をタブルタスク化してみてはいかがでしょうか。今までの約1.5倍の効率で物事が進むようになります。
私は苦行を重ね、酒を飲みながら吐いたり、カレー食いながら・・
一学期の時も今回も2回連続で先生に、おたくの子供さんは聞けばできる子なのに、先生が話しているとき上の空だったり、周りの子としゃべっていて先生の話を聞いていないことが多々ある。でよくミスを犯す。集会の前にトイレに行きましょうと先生が言った時,
従順なほかの子供たちはトイレに行ったのに、雑談をしていて先生の話を聞いていなかった子2人は、必要なものも持たずに体育館に行ってしまったそうです。それを先生に指摘されて、子供に対して母親は怒っていました。マンガの登場人物みたいに「次は無いものと思え!!」って言っていました。口答えする子供に頭ごなしに先生が話し出したら無心で先生の話だけを聞きほかのことは考えないと教え込んでいました。
私が聞き耳をたてていたことを察したのか、3学期末にもう一度同じ指摘をされたら子供にどのような折檻を与えるのかは名言していませんでした。
子供の才能はこうやって摘み取られていくのかなと思った瞬間でした。
認める認めないにかかわらず、頭の回転の良さなどはもって生まれたものです。掛け算の九九を10分で丸暗記できる子もいれば10週間かかる子供もいます。しかし、障害が無ければどのような子供でも時間をかけてそればっかり勉強させればいつかは九九を覚えることが出来ます。まあ習得にかかる時間は、もって生まれた才能と自分の力の使い方でしょうか。今の小学校は才能というものを認めたくないのか力の使い方の教育はなされません。PCにたとえると、学校に来ている子供にはCPU Pentium4 4ギガ、メモリ2Gの逸材からCPU Athlon 3G メモリ64MとかCPU インテルのI386 メモリ2Gまで幅広い種類が存在します。しかし小学校ではどのようなPCがきてもBASICを採用します。6年間かけてBASICを叩き込みます。まあどのようなマシンでもBASICは快適に動きます。しかし本当にそれでいいのでしょうか。何年後かはわかりませんが、自分の能力はどうであれ子供たちは、みんな同じフィールドに立って受験をしなければなりません。同じことをしていたのでは優秀な人には勝てません。今のやり方で残されているのは時間ですが、時間は有限です。優秀な人の倍すれば同じ結果が残せるとしても優秀な人が毎日13時間勉強を始めたらどうがんばっても2倍の時間、勉強するのは不可能です。そこで私が思うのは自分の才能を最大限有効に使える方法を探すということです。単純な能力が1/2だとしても、マルチタスクにして2個のことを同時にすれば足りない能力を最大限有効に使うことが出来ます。
で最初の話に戻りますが、先生の話を聞かずに回りの子供と雑談している。先生の話を聞かないと問題が発生すると仮定する。しないのなら話など聞く必要が無い。もし問題が発生した場合、何らかの対策をとろうと子供は考えるでしょう。そこで先生が武力を使い雑談を止めさせるのは簡単です。しかしそれでは恨みしか生まれません。もし、先生の話は重要だ、でも雑談もしたい、なら両方同時にやってみようと思い実践すれば、最初は苦難の連続でしょうか慣れればできるようになります。もしくは人間の会話の8割は無駄な部分なので先生が話している内容の重要な2割を聞きあとは自分で補完する方法もあるかもしれません。まあ方法はたくさんあるでしょう。先生の重要な話を聞き逃したら怒るのはいいでしょう。だからといって話だけを聞くように仕向けるのは才能を潰してはいませんかね。
私が子供のころは勉強でもテレビ見ながら勉強すると頭に内容が入らないといわれていました。しかし私はそんなもん無視してテレビを見ながら勉強する習慣をつけたら、最初は成績が下がりましたが、慣れてくるとテレビを見ながらでも以前と同じ効率で勉強することができ同水準の結果を出せるようになりました。それが人間というものです。もし、テレビの代わりに勉強の合間に英語の映像を見るようにしていたら今私は日記を英語で書いていたでしょう。
まあそんなこんなで、人間限りある才能をどう有効に振り分けるかが本当の勝負です。まず一歩自分をタブルタスク化してみてはいかがでしょうか。今までの約1.5倍の効率で物事が進むようになります。
私は苦行を重ね、酒を飲みながら吐いたり、カレー食いながら・・
コメント