1月16日の日記
2006年1月16日とある人が言っていたのだが、医者を座学と技師に分けるというのはいい考えかも知れない。外科手術とか器用な人しかできないのではなかろうか。しかし、医者は頭がよくならないとなれない。病気の診断やらなんやらはまあ知識が必要だろう。しかし、刃物で臓物を切り散らかしたり糸で縫ったりする仕事は別に知識は必要ないだろう。横に医者がいて器用な人が医者の指示で臓物をカットするほうが効率がよいのではないだろうか。手術を執刀する人は勉強できる必要はない。ただ指示を受けて器用な手を持ち細かい仕事をこなせる人が求められているのではなかろうか。ほかの心臓カテーテルなどもとりあえずは知識とは関係ない部類だろう。
今の医師試験は筆記試験だけだろう。ので勉強できる優秀な人材は選分できる。しかしその人が器用だとは限らない。だから技術不足の医療事故が起こるのだろう。ので、器用な人を集めて、手術や内視鏡、カテーテルなど実技を不器用な医者に代わって行う技師を認めてもいいのではないだろうか。何が原因で調子が悪いか調べるのとそれを治療するのは別の分野だろう。どこの世界に、火事にあいてくて放火する消防士とか、警備をしている警察官が要警護者を襲い切り付けるなんて事があるのだろうか。
今の医師試験は筆記試験だけだろう。ので勉強できる優秀な人材は選分できる。しかしその人が器用だとは限らない。だから技術不足の医療事故が起こるのだろう。ので、器用な人を集めて、手術や内視鏡、カテーテルなど実技を不器用な医者に代わって行う技師を認めてもいいのではないだろうか。何が原因で調子が悪いか調べるのとそれを治療するのは別の分野だろう。どこの世界に、火事にあいてくて放火する消防士とか、警備をしている警察官が要警護者を襲い切り付けるなんて事があるのだろうか。
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