3月13日の日記

2006年3月13日
なぜ日本にはうまい金の使い方をする金持ちがいないのだろうか。ただうまく金を使い目立たないようにしていて私の目に触れないだけだろうか。しかし、諸外国に比べて女や芸術など散財し巨税で市民の反感を買い潰れた幕府が少ない気がする。
もう少しランクを落として昭和初期までは高等遊民と呼ばれる上流階級の散財要員がいた。昔から大体金持ちの家には放蕩息子がついていた。しかし今はどうだろうか。パンがないのなら第3のビールを飲めばいいじゃない。いやー飲み物まで貧素になってしまった。

とある欧州の国では、人質とって立てこもると人質の命どうのこうのより強制突入、犯人射殺という流れになるらしい。そのほうが人質が受ける被害が少なくなる可能性がたかいとかなんとか。10人の命の危険より1人のより命の危険を選ぶとか。
さて人の命は、1人の命より2人の命のほうが価値があるみたいに数えれて多ければ多いほど少ないより価値があるという種類のものなのだろうか。それとも、1人でも10人で両者に差はなくどちらが大切か比べられないものなのだろうか。
ふと思った。健常者1人が死んで、臓器移植で3人の命が助かるのなら健常者を殺して3人の病人を助けることに正義はあるのだろうか。もっと言えばほっておけば餓死しそうな家族から1人臓器提供者を金を払って提供してもらい家族はしばらくはその金で延命でき、金を払う側はいきのいい心臓を移植できて生き延びれる。そんな取引認められるのだろうか。なんか怖いね。自分が殺されて臓器を様々な人に配れば5人の命が助かる、家族には今後一生生活に不自由しないぐらいの金を支払うから、5臓6腑を売ってくれといわれたときに、それを断る正当な理由はあるのだろうか。

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