3月29日の日記

2006年3月29日
最近忘れっぽくてだめだ。
「こしょう」(故障)の表示が出ている踏切に立ち入って列車にはねられる死亡事故が東京都と愛知県であったらしい。これを聞いて思ったのがこのひかれた人たちは、スタンドバイミーという映画を見たことが無いのだろうか?ということだった。私も見た気はするが記憶がほとんど残っていない。覚えているのは線路に耳を当てて電車が来ないか音を聞いているシーンや汽車用の鉄橋をわたってたら機関車が怒ってやってくるシーンぐらいだろうか。まあそんなこんなで、踏切が故障していたとしても踏み切りを渡る前に左右確認などの安全確認が必要だろう。なんか管理社会の恐怖を感じるね。きっと踏み切りに管理されることになれて、踏み切りが急に使えなくなった時に反応できない。今後ますます日本が管理社会になっていくと同様のハザマにおちて帰ってこれなくなる人が増えるんだろうね。
もし皆さんが今後、故障した踏み切りを渡る機会もしくは酔っ払って線路で寝てしまうような機会がありましたら、線路に耳を当てて電車が来ないか確認しましょう。もし下手うっても電車が一思いに殺してくれることでしょう。

"割りばしが脳に刺さり男児死亡"で、医師に無罪判決…「延命の可能性低かった」
という裁判もあったみたいだね。まあ割り箸が脳みそまで達していたのならたとえ助かったとしても国のお荷物になったんだろうしね。医者としてはベストな診断だったのではないだろうか。まあ、そんなことよりも食べ物を食べながら歩いてはいけない、座って食べなさいという当たり前のことを子供にしつけできなかった親の過失を責めたほうがいいのではないだろうか。まあ責められなくても自覚しているかもしれないがニュースで死んだ子供のためにも有罪判決が出て欲しかったといっていた親を見ていて非常に思った。まず死んだ子供は医者を恨んではいないだろう。自分の過失から起きた事で人の不幸を願っているのをみてやるせない気持ちになった。私なんかは小さい時、箸をくわえて台所まで行っただけで足腰立たなくなるくらいまで折檻された。その時親は「箸なんてくわえて歩いて転んだら大怪我するでしょ」って言っていたのだがその時叩かれていた私はこのクソ親がおめーに折檻される方がよっぽど怪我するは、などと叩かれながらに思ったものですがその親の方針は確かだったようですね。
人工呼吸器はずして7人の命を奪ったという外科医にも言えることですが、人工呼吸器つけてないと生きてられない人を生きているといっていいのだろうか。生かされてるの間違いだろう。医療費高騰とか騒いでいるのだから、回復の見込み無く死期をだらだら延ばしているような状態なら人工呼吸器をはずして、結果患者がそれで死んだとしてもそれは自然死だろう。両者とも医者の行為どうのこうのより、お前はすでにしんでいる。アタタタタタタタタ

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