3月31日の日記
2006年3月31日アップルという会社の話を聞いていて思ったのだが、上場企業の取締役の給料はその会社の株で貰うべきではないだろうか。それも、就任時の株価を基準に配る株数を決めるべきではないだろうか。株価が上がれば報酬が増え、株価が下がれば報酬が減る。会社は紙を刷って印刷するだけなので金がかからない。まあ、官庁の天下りのように、粉骨砕身、会社のために働いてくれた人をねぎらうための取締役会が無くなってしまうと士気低下をまねくのかもしれませんが、取締役ぐらい株価に責任を持ってほしい。
学校に行っていた頃、先生方はよく新聞を読めーと言っていた。最近気がつくと新聞を読んでいるのだが年をとったということだろうか。新聞を見ていて思ったのだが、新聞には恣意的な記事と私には関係ない記事と私の興味がない記事しかのっていない。それをどうこう言うつもりは無いのだが、私が知らなくてはならないニュースとはどんなものなのだろうか。普通だったらスーパーの今日の特売品の広告なんだろうけど、近所の大型スーパーは広告を出すよりその分値段を安くしようという所なので特売のチラシが新聞に挟まっていない。
最近、新聞での流行はコンピュータでの情報流出だろうか。多くの人が目にしているであろうこれ系の記事は害しか生んでいないのが現状らしい。かの偉人である私が言った「問題は認識から発生する」という言葉である。最近話題になっている情報流出事件でも、情報が流出したことをテレビで知った人達が一度見てみようとその流出したファイルをダウンロードすることで流出が加速するということが起こっているらしい。基本的にP2Pだと情報が流出しても誰も興味を示さなければ流出したファイルが大々的に広まることは無いらしい。海自の内部書類が流出した際も当初は20人あまりがそのファイルを手にしただけだったらしい。しかしその後ニュースで海自の内部書類が流出したことが取り上げられた後は、多くの人がそのファイルを求め現在は千人単位の人がそのファイルを手に入れたと予想されているらしい。情報流出があったことさえ言わなければこんな大事にならなかったのである。そもそも、海自の内部書類がネットを通じて流出したというニュースを聞いた人の中にその情報で得をした人がいるのだろうか。たぶんいないと思う。海自の内部書類流出という事件は本来海自もしくは自衛隊員が知っていればいいだけの話しではないだろうか。私がそのニュースを聞いてもどうすることも出来ない。しかしそのニュースが流れることで事件の被害は拡大する。さてこんなニュースには何の意味があるのだろうか。
日本人はオリジナリティの少ない人間である。自分でひらめいて何かする人は非常に少ない。もしニュースでまったく個々の少年犯罪事件を取扱わなかったら、少年による犯罪は減るのではないだろうか。同世代で殺人事件を起こした奴がいる。という情報を知っている若者と知っていない若者では確実に前者の方が殺人を犯しやすいのではないだろうか。
そう考えていくと新聞やテレビニュースなどで取り上げられている事件のほとんどは、有害なものもしくは視聴者に益をもたらさないものである。知ることを拒絶するのは危ないことかもしれない。私が本当に知らなくてはならない、そして知ることによって現実を変えようとできることは、どんなものがあるのだろうか。
私は天気予報しか思いつかない。こんな時期に雪ふるってあーまじムカつく。予報をした奴を一回殺さんといかんね。あーお寒い限りです。
学校に行っていた頃、先生方はよく新聞を読めーと言っていた。最近気がつくと新聞を読んでいるのだが年をとったということだろうか。新聞を見ていて思ったのだが、新聞には恣意的な記事と私には関係ない記事と私の興味がない記事しかのっていない。それをどうこう言うつもりは無いのだが、私が知らなくてはならないニュースとはどんなものなのだろうか。普通だったらスーパーの今日の特売品の広告なんだろうけど、近所の大型スーパーは広告を出すよりその分値段を安くしようという所なので特売のチラシが新聞に挟まっていない。
最近、新聞での流行はコンピュータでの情報流出だろうか。多くの人が目にしているであろうこれ系の記事は害しか生んでいないのが現状らしい。かの偉人である私が言った「問題は認識から発生する」という言葉である。最近話題になっている情報流出事件でも、情報が流出したことをテレビで知った人達が一度見てみようとその流出したファイルをダウンロードすることで流出が加速するということが起こっているらしい。基本的にP2Pだと情報が流出しても誰も興味を示さなければ流出したファイルが大々的に広まることは無いらしい。海自の内部書類が流出した際も当初は20人あまりがそのファイルを手にしただけだったらしい。しかしその後ニュースで海自の内部書類が流出したことが取り上げられた後は、多くの人がそのファイルを求め現在は千人単位の人がそのファイルを手に入れたと予想されているらしい。情報流出があったことさえ言わなければこんな大事にならなかったのである。そもそも、海自の内部書類がネットを通じて流出したというニュースを聞いた人の中にその情報で得をした人がいるのだろうか。たぶんいないと思う。海自の内部書類流出という事件は本来海自もしくは自衛隊員が知っていればいいだけの話しではないだろうか。私がそのニュースを聞いてもどうすることも出来ない。しかしそのニュースが流れることで事件の被害は拡大する。さてこんなニュースには何の意味があるのだろうか。
日本人はオリジナリティの少ない人間である。自分でひらめいて何かする人は非常に少ない。もしニュースでまったく個々の少年犯罪事件を取扱わなかったら、少年による犯罪は減るのではないだろうか。同世代で殺人事件を起こした奴がいる。という情報を知っている若者と知っていない若者では確実に前者の方が殺人を犯しやすいのではないだろうか。
そう考えていくと新聞やテレビニュースなどで取り上げられている事件のほとんどは、有害なものもしくは視聴者に益をもたらさないものである。知ることを拒絶するのは危ないことかもしれない。私が本当に知らなくてはならない、そして知ることによって現実を変えようとできることは、どんなものがあるのだろうか。
私は天気予報しか思いつかない。こんな時期に雪ふるってあーまじムカつく。予報をした奴を一回殺さんといかんね。あーお寒い限りです。
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