4月11日の日記

2006年4月11日
路上駐車禁止の取締りが民間委託されて取締りが強化されるとニュースでやっていた。それに対する一部偏った国民へインタビューがテレビで流されていた。大まかに分けると取り締まり強化に賛成する人と反対する人だけだった。
他の例は後で挙げるが彼らは路上駐車禁止について何らかの考えは持っていないのだろうか。私が生まれた時から、実勢がどうであれ路上駐車が禁止された道があった。しかし、生まれた時からあった規制だからといって必ずしもそれを盲信してしまうのはどうだろうか。路駐禁止の道が本当に路駐禁止で妥当なのか考える必要があるのではないだろうか。そのほかの規制も、同様である。多くの人が違法や違反に対する考えを述べる時、その法律や規制が本当に妥当なものなのか評価することを忘れているような気がする。
例えば見通しのよい車の通りが少ない交差点の信号を無視したとしよう。これには主に2通りの意見がでてくるだろう。見通しがよく周りに警察官や車が来ていないのを確認できる場合、信号無視しても安全だから信号無視してもよい。信号は交通安全のためにあるのだから確実な安全さえ確認できれば無視してもよいという意見。決まりは決まりだからどんな状態でも信号無視してはいけないという意見に二分されると思う。しかし、私が思う答えは、信号の必要の無い交差点に信号を立てた警察が悪いということになる。今の制度では利権や何やらで無駄に立てられた信号をどうすることも出来ないが、上の問題で明らかに間違っているのはそこに信号があることである。まあそんなこんなで間違った前提条件の元に議論してもろくなことが無い。
路上駐車にしても同様である。路上駐車禁止されている道が本当に禁止されるべきかを考える必要があると思う。少なくとも私が思うにどうしても路駐禁止の道で路駐する正当性がわからない。まあ路駐を道路の無断借用と考えるのなら、違反した場合の罰則点をなくし道路の交通量や道路の重要度に合わせた罰金制にすればいいだけである。不便な思いをする一般運転手へは道路特定財源になるくらい罰金を高額にしてガソリン税や様々な車の税金が安く還元するとかね。まあ事故って動けなくなった車をどう定義するかとか様々な問題が考えられますが偉い官僚がうまく調整してくれるでしょう。私は路上駐車禁止が悪いとは思わない。ただ、どこの道でもどんだけ駐車しても一律決まった罰金というのが間違っているのだと思う。多くの人に迷惑をかけている路駐ほど厳罰化すべきだろう。まあそれを誰が評価するのかがまた問題になってくるかもしれないが、
まあてっとり早く民間委託しなくても路上駐車の車を減らす方法がある。
『路上駐車してる車ってほんとムカツキますよね。私は縦列駐車ができないので路上駐車できません。いつも駐車場を使うことになります。この差はなんでしょうかね。
私が駐車場に払っている対価を路上駐車している人にも負担してもらうべく、路上駐車している車のサイドミラーを剥がしていこうと思うのですが、これはどのような罪になるんでしょうかね。私も鬼じゃないので道に面している方のサイドミラーだけ引っぺがそうと思うのですが、路上駐車を減らす為努力している私の行為警察も認めてくれますよね。私が毎日100台のサイドミラーを剥がして行けば、1台の修理費が5万円として1年200日したとしても1億円の経済効果を生むことになります。、私が普通に働くより日本政府にも貢献できると思います。こんなにも愛国心あふれる私に国会議員なみの逮捕されない特権もらえませんかね。

これは私が昔書いた日記であるが、路駐をなくすには路駐禁止の道に路上駐車されている車を壊しても合法にしてくれればいい。日ごろストレスのたまっている高校生やイライラしている私などが金属バットで路上駐車の車を破壊していけばたぶん多くの人は路上通駐車しなくなるだろう。その上、車の修理代やら、新車購入で経済にプラスの影響を与えれると思うのだが。まあ何でもいいから私に不逮捕特権をください。

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