4月13日の日記

2006年4月13日
人間は忘れる動物である。

最近、個人情報保護法が施行され捜査機関や慈善事業団体までが情報の出し渋りにあっていると報道されている。マスコミは事実をちゃんと報道すべきである。個人情報保護法では、個人情報取扱事業者のうち、「事業の用に供する個人情報データベース等を構成する個人情報によって識別される特定の個人の数の合計が過去6ヶ月以内のいずれの日においても5,000件を超えない者」は、法令上の義務を負わないものとされています。早い話ざる法です。名簿業者は5000件個人情報を集めるごとに違う紙会社を作っていけば個人情報を垂れ流しても何の罰則も問われません。法律が作られるとき、これをめぐって散々ザルだといわれてきました。しかし、法が施行されてからの過剰反応を見ているとこの小規模事業者の特例を知っている人が少なすぎると感じます。まあ個人情報を大切にするのはいいですけど、過剰反応はどうなんでしょうか。

過剰反応といえば、皆さんはホロコースト批判を否定すると犯罪になるということを知っているでしょうか。今のところ、旧鳥取の人権保護法と同じで禁止する法があるドイツとオーストリアでしか捕まることは無いが旅行する際は気をつけたほうが良いのではないだろうか。言論の自由が規制されるとはドイツとオーストリアはおわっていますね。まあ多くの人が言っている事なので私は強くは言いませんが、与太にしろでっち上げにしろある話題に対して議論することは非常に重要だと思うのですが。ホロコーストに限ったことではありませんが、多くの過去の歴史は権力者によって行われるプロパガンダである。そんなまがい物の歴史にすがりつく奴はクソだ。
当たり前の話だが、今現在起こっていることさえ多くの人は把握していない。それなのになぜ過去の歴史に意味があると思うのか私には分からない。歴史は学校で教えるべき教科ではない。ゴミだ。少なくとも学問として歴史をとりあつかうのなら再現性が必要だろう。例えば数学や化学は何回繰り返してもほぼ同じ結果が出る。一歩劣って、国語や英語は表記の違いあれほぼ再現できる。しかし歴史は違う。歴史を再現するすべを人間は持っていない。再現性を持たない歴史は学問ではない。社会から歴史を抹消すべきである。
でもほんと歴史の必要性はなんだろうか。老後の楽しみにしか価値を見出せそうに無い。なぜ世界中の学校で歴史を教えているのだろうか。わからない。

たまに歴史は繰り返すとか、過去の過ちを繰り返さないといっている人がいる。もし、すべての人からホロコーストを忘れさせればもう一度ユダヤ人虐殺が起こると思っているのだろうか。もし、歴史を疎かにしてホロコーストがもう一度起こるというのなら歴史は再現性があるということになる。ただ、重要なのは悲惨な出来事が過去にあったことを心に留めておくことではない。なぜユダヤ人が迫害されたかその理由を知ることではないだろうか。こんな言い方は嫌だが、何度もユダヤ人が迫害されるとしたら加害者被害者に何らかの原因があるのだろう。頭越しに仲良くしましょうって言ったところで、ヨルダンイスラエルみたいになることは見えている。今の歴史はそんな無駄なものではないだろうか。改善策は隔離もしくは殲滅しか思いつかないが・・・

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