5月28日の日記

2006年5月28日
日本には愛国心を持った人がいないのだろうか。教育基本法に愛国心教育について文言を入れるかどうかでもめているらしい。テレビで見た感じ小学生な子供を持った親達も露骨な愛国心教育をよしとしていないような感じのコメントを残していた。本人の思いとは別に評価を得るために愛国心があると偽ることをよく思わないようだ。そんな行為を馬鹿らしく教育する意味が無いと言っていた。小学校教育に意味が無いとか馬鹿らしいと言ってはいけないだろう。理科も社会もホント意味も無い馬鹿みたいなことを小学校では教えている。そういえば私が小学校のころは道徳という馬鹿らしい授業まであった。自分達の営利目的で募金活動している某団体ぐらい胡散臭い授業だった。本心どう思っているか知らないが多くの馬鹿が先生に媚びたような模範解答をしているのを見て吐き気がしたものだ。まあ、長いものに巻かれるそんなスマートな生き方ができる人が偉くて、私みたいな自我を抑えれない自己中が馬鹿なのかもしれないけれど。
先生の評価を得るために愛国心があることを装うのも、テストで点数取るためにしたくも無い勉強するのもある特定の条件下でしか役に立たないという面ではそうかわらんのとちゃうかね。

なんにしてもみんなが一斉に同じ方向を向くことは怖いことだと思う。今世界は温暖化におびえ皆で温暖化対策に取り組んでいる。テレビではそれをさも当然、皆で協力して一つのことをやり遂げるのは素晴らしいみたいな視点で報道している。こんな怖い事があるだろうか。
明日の天気も予想できない人を私は知っていますが、天気の予想は非常に難しい。例えば30年後の平均気温は今年より高いか、低いか、わからないかという質問をすれば大半の学者はわからないと答えるのではないだろうか。たとえそれが100年後だとしても10年後だとしてもわからないと答える学者が大半だと思う。未来のことなんて今の技術では予想できない。でも大気中のCO2濃度が上昇しているそれだけで地球は温暖化するということになったらしい。まあ実際未来がどうなっているかわからない。そこで思うのだが日本を挙げて寒冷化対策をした方が益が多いのではないだろうか。もし将来温暖化したら諸外国の温暖化対策を取り入れればいい。寒冷化した場合は自分達しか寒冷化対策研究をしていなければそれは素晴らしい価値を生み出す。皆と同じことをして競争に勝ち利益を手に入れるのもいいが、逆張りして少ない費用ででかい利益を求めてみてもいいのではないだろうか。多くの教育機関では、協調性とかそういうものを素晴らしい教えているようだが、予想できない自然の脅威と対峙するに当たっては、多様性こそが人間の取れる唯一の道ではないかね。そんなこんなで日本は温暖化対策はほどほどにして、寒冷化対策に本腰をいれたほうがいいんではないだろうか。

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