8月25日の日記
2006年8月25日何か怖い世の中になっていますね。ちょっと前にはノーベル文学賞受賞作家がナチスの親衛隊に所属していた事を告白して話題になっていました。最近も、直木賞受賞した日本人作家が子猫や子犬を殺す内容のエッセイを新聞に載せたところえらい話題になっています。
後者の場合、動物愛護協会のひとが法律をたてに苦情を言うのは正当な行為でしょう。しかし蛮行が批判される時、直木賞作家なのにと言う枕詞がつくのはどういうことなのでしょうか。直木賞作家は聖人君子な行いにつとめないといけないのでしょうか。そんなことしてると、賞の価値自体低下してしまうのではないでしょうか。作家は奇人であってもなんら問題なんでしょう。賞で評価されるべきは、作家の人間性ではなく作品でしょう。現に直木賞もある作品に与えられたもので、作家個人に送られたものではないでしょう。また、烏合と同じ感覚の持ち主だったらたいした作品など残せないでしょうしね。
それにしても、動物愛護法なる法律があること自体違和感を感じてしまいます。極論、食うために家畜を殺すのは構わないが、動物虐待目的でベットを飼育してなぶり殺してはいけない。多分、家畜で殺された中にも肉市場に流れず廃棄される事もあるでしょう。結局のところ、多人数が納得する屠殺は許されて、個人的に楽しむための虐待は許されない。
飼いやすいように避妊するのはいいけど、ふらふら外へ出て行って車にひかれて死ぬのを予防するために手足を医者で切断して、勝手に外を出歩かないようにするのはだめ。なんだかなー、規制するなら動物を飼うことから規制してほしいですね。あれも十分非人道的行為だと思うのですが。もうホント糞害に憤慨ですよ。
後者の場合、動物愛護協会のひとが法律をたてに苦情を言うのは正当な行為でしょう。しかし蛮行が批判される時、直木賞作家なのにと言う枕詞がつくのはどういうことなのでしょうか。直木賞作家は聖人君子な行いにつとめないといけないのでしょうか。そんなことしてると、賞の価値自体低下してしまうのではないでしょうか。作家は奇人であってもなんら問題なんでしょう。賞で評価されるべきは、作家の人間性ではなく作品でしょう。現に直木賞もある作品に与えられたもので、作家個人に送られたものではないでしょう。また、烏合と同じ感覚の持ち主だったらたいした作品など残せないでしょうしね。
それにしても、動物愛護法なる法律があること自体違和感を感じてしまいます。極論、食うために家畜を殺すのは構わないが、動物虐待目的でベットを飼育してなぶり殺してはいけない。多分、家畜で殺された中にも肉市場に流れず廃棄される事もあるでしょう。結局のところ、多人数が納得する屠殺は許されて、個人的に楽しむための虐待は許されない。
飼いやすいように避妊するのはいいけど、ふらふら外へ出て行って車にひかれて死ぬのを予防するために手足を医者で切断して、勝手に外を出歩かないようにするのはだめ。なんだかなー、規制するなら動物を飼うことから規制してほしいですね。あれも十分非人道的行為だと思うのですが。もうホント糞害に憤慨ですよ。
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