8月27日の日記

2006年8月27日
案外、いろいろな事はつながっているのかもしれないね。私は今の今まで左翼的考えが理解できなかった。平等と平和がどうリンクするのかよくわからなかった。しかし日本の強盗発生件数の推移を見ていて理解できそうな気がしてきた。そもそも平等と平和では言葉が足りていないと思う。資産や物資を均等割りしても一人当たりの必要量を下回る場合、例え完璧に平等だったとしてもそこには平和は訪れない。平等で平和が訪れるのは、均等割したときに資産や物資が一人当たりの必要量を上回る時だけである。北朝鮮を見て入ればそれは簡単にわかるだろう。多くの平民が平等に飢えているが平和そうには見えない。もし北朝鮮から湯水のように石油が湧いていれば北朝鮮国民は平和を感じれたかもしれない。

日本の戦後の強盗発生件数をみていると、簡単にわかる事がある。自分が飢えている時しょうがなく自分が生きていく為に強盗する人は比較的多くいる。しかし、強盗犯のすべてがそうではない。私たちが普通に仕事をして生活するように、平常時の金を稼ぐ手段の中に強盗が入っている人間もいるようだ。ただものすごく少数派のようである。すなわち多くの強盗を防ぐには、強盗しないでいいほどの社会保障をしてやればいい。ただどんなに社会保障を充実させても快楽殺人者に殺人を止めさせれないように、生活に困って無くても自分が裕福になるために強盗をする人を止めるのは難しいだろう。
なんか似た様な構図のものがあったなと思ったら、アメリカの軍隊もこんな感じではなかったろうか。一部の愛国主義者を除き軍隊に入隊して戦争しているのは、貧困層の貧乏人ではなかったろうか。彼らは戦争がしたいわけではないだろう。兵士以外に収入を得るすべがあれば喜んで兵士を辞めるのではないだろうか。ただ、一部の愛国者はどんな状況でも兵士を続けるだろう。テロリストの集団もそんな感じではないだろうか。テロリスト集団だとそれに一部の金持ちが自分の思想反映の為にありあまる金をテロリストに提供している。もし、すべての人が平等であったらなら、そしてそれが十分であったなら、大規模な軍隊もできないしテロリストも存在しないのではないかな。しかし、悲しいかなお金は寂しがりや。金持ちにしかお金はなつかない。まあ世界平和はまだ遠そうね。ただ、平和を頭から否定する人は少数派ではないだろうか。多かれ少なかれ多くの人は平和な方がいいと思っているのではないだろうか。

そんなことを考えていたら、似たような問題を取り扱っている学問を見つけた。ゲーム理論という学問なのだが、有名な例としては囚人のジレンマというものがある。
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囚人のジレンマ
ある事件において、共犯と思われる二人の被疑者が別件逮捕で捕らえられた。決定的な証拠がない二人の被疑者は、完全に隔離された上で双方に同じく以下の条件が与えられた。

もし、あなたがこのまま黙秘を続け、もう一人も黙秘を続けた場合(別件の罪にしか問えないため)二人とも懲役2年だ。
もし、あなたが自白し、もう一人が黙秘を続けた場合、あなたを司法取引によって刑を1年にしよう。ただし、もう一人は懲役15年だ。
もし、あなたが自白し、もう一人も自白した場合、双方とも懲役10年だ。
もう一人の方にも、全く同一の条件を伝えてある。

このとき、囚人がどちらを選択するのがよい戦略かというのが問題である。
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大好きなウィキペディアにはこのような問題が載っていた。これってまったく右翼左翼にも適用できないかね。多分極論をいうと右翼は自己中、左翼は平等中毒だろう。多分世界中が左翼になると、発展性を無視すれば平和な世界で、人材損失も少なくトータルで見れば最高の世界になるのではないだろうか。しかし、みんなが左翼のとき一部勢力だけ右翼につっぱしれば左翼で均等割りされたときよりも多くの実利を手に入れれるのではないだろうか。ただ全体で見ると全体左翼より益は少ない。全部が右翼だと全体で見ても個々でみても最低。

さて、囚人のジレンマには拡張されたバージョンがある。繰り返し型の囚人のジレンマと呼ばれるものである。

選択が一回きりの「囚人のジレンマ」では、個々の利得を最大化するため、両者が「裏切り」を選択するのがベターな戦略となる。選択回数を複数にしても有限回数、すなわち、最終回がいつかをプレーヤーが知っている場合、最終回の選択で両者が「裏切り」を選択し、最終回で裏切られることがわかっている両者は、その前の回の選択も「裏切り」の選択をすることになり、結果的に、両者とも最初から「裏切り」を選択し続けてしまう。
ところが、何度繰り返すかあらかじめわかっていない場合(繰り返し型の囚人のジレンマゲーム)、最終回で相手が「協調」を選択する可能性が残されるため、相手から協調を引き出すために、その前の選択でも 「協調」を選択する戦略が有効となりうる。

と言う事で繰り返し型の囚人のジレンマのベストな解を探してコンピュータープログラムどうしを戦わせて成績を競わせる大会があった。すこし前までのベストだと思われた戦略は、
しっぺ返し戦略(最初は「協調」し、以降は前回相手の出した手をそのまま出す)であった。(実験の結果は実験の具体的方法や他の戦略の種類、数にも影響されるため、しっぺ返し戦略が常に最強とは限らない。)

こんな感じの戦略だった。なんか日本の外交を見ているような気がしてきた。そして驚いた事に最近これ以上に利得を得られる戦略が見つかったそうである。ウィキペディアのゲーム理論の項目が更新されていないので詳細はコピペできないがおおまかには、王と奴隷戦略と呼ばれるものらしい。あらかじめ、王様プログラムと奴隷プログラムを大会に参加させておき、一方的に王様プログラムが奴隷プログラムから搾取を行なって大会優勝したらしい。そのことが記されたHPではその戦略ひいては大会のルールにケチをつけていたが、主要先進国の外交戦略ってまんまこんな戦略じゃないのかね。日本の外交戦略の不味さがこんなところでも証明されてるってことになるのかね。日本国も学者大量に雇ってゲーム理論やらせれば、素晴らしい戦略開発できないかな。世界が平和になるまでの間、私はテレビゲームに興じようと思います。同じゲームだし似たようなもんだよね。

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