9月8日の日記

2006年9月8日
皮肉な世界の話が本にのっていたので紹介します。
昔、モハメド・アリというボクシングのスーパースターがいました。彼は、ある時ボクシングの試合を全米の劇場に配信して、入場料に1ドルの献金を上乗せして、集めた献金でアフリカのセネガルに井戸を掘ったそうです。当初は、アリはいい行いをしたと、ムネオハウスのように掘った井戸をアリの井戸と名づけアリを褒め称えたそうです。
しかし皮肉な世界、こんないい話が美談で終わるはずがありません。数年たって、遊牧民は水がわく井戸の周りで定住をはじめました。セネガルの人がなぜ貧困にあえいでいたかそれは、土地が枯れていたからではありません。楽な方へ楽な方へと向かう生き方が問題しているのではないでしょうか。まあ井戸の周りに遊牧民が定住を始めたことで、薪に木が切られ草は家畜に食い荒らされて井戸が掘られて数年で、周り100キロ四方が禿げ地になったそうです。その禿げ地に大西洋から熱風が吹き込むようになり、大西洋からアリの井戸一帯まで草木の生えない風の通り道が出来てしまったそうです。アリは弱者救済を行なおうとして、大規模な自然破壊を誘発してしまったそうです。いやー現実ってホント面白いですね。

さて、日本の過去の歴史をなぞっていて思ったのだが、なぜ多くの論者は両極端な意見を言うのだろうか。例えば、憲法9条改正の話が出ると、すぐに日本は戦争に踏み出すのかと言い出す人がいる。憲法9条は戦争抑止力を持っているのだろうか。昔の日本は、憲法9条が無かったから戦争を始めたのだろうか。私は、昔の国民は愚民だったから知らず知らずのうちに戦争が始められたのかと思っていた。しかし、歴史をなぞった限り、好戦的なのは一部の軍部と多くの国民で文官は概ね戦争に反対していたらしい。なんだろうね。現状では極端に軍部が悪者にされすぎているのではないだろうか。極端に偏った意見ほど悪いものは無いと思うのだが、事実を無視した極端な意見が広まる。ホント変な話ではないだろうか。
いいか悪いかは別にして、言論統制されても多くの人が納得すればそれでいいのではないだろうか。一部の反対派が、他の国民は愚民だから何も分かっていない。だから優秀な自分が言論統制に反対運動をしなければいけないと思うことがどれだけ有害か。

人のためを思ってする行動ほど有害なものは無いということを、皮肉が証明している気がする。

そういえば、儲かる話を仕入れてきたので紹介しておこうと思う。来年あたり世界的に食料危機が起こる可能性が高いそうである。
世界的に食糧危機が起こったときに何に投資すれば大もうけできるか私は分からないが、何かに投資すれば大儲けできると思うので、来年は食糧危機、これを覚えておきましょう。

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