9月15日の日記

2006年9月15日
私がネットで見ているページはものすごく偏っているのだろうか。信じれないようなへんな主張をしている人のページばっかり見ているので日本中、変人ばっかりなんじゃないかと思えてくる。
携帯の番号ポータビリティ導入に向けて、ドコモとソフトバンクを叩いている人を良く見かけるようになった。auの工作員がネガティブキャンペーンを展開しているのだろうか。もし私がネットで目にする情報が事実だとしたら、番号ポータビリティが開始されてたらauがドコモを食べてしまう展開になるんじゃないかね。もしかすると、私にauの株を買わせて損をさせるという秘密結社の陰謀が張り巡らされてるのかね。

さて、私が見ているページでは、最近「水からの伝言」という本に書かれた内容を批判している人が多くいる。ついでに酸素水の効果について懐疑的な文章も沢山見かけるようになってきた日本人のモラルというか民度が低下しているのかね。
上記の2つを批判している人は、無作為二重盲検法などを用いてプラシーボ効果を除外した時にそれらに何の効用も無いことを主張している。しかし、それはおかしいことなのではないだろうか。酸素水にしても水からの伝言にしても、公金が使われているわけではない。使用したい人が自分の責任で自分の判断で使用しているような部類の商品である。買う人ははじめから効果あると思って買っているのだから、その商品の効果を測定する時はプラシーボ効果も含めた効果を調べなければならないだろう。
私のおしっこを万能治療薬と信じて飲むとガンが治るのだが、現時点では誰も信じていないので私のおしっこは価値を持たない。もし私が宗教法人を作って教祖になり頑張って信者を増やして、私のおしっこが万能治療薬であることを伝道すればきっと信者の間では私のおしっこは凄い価値をもつ事になるだろう。健康商品なんてものは、効能の値段よりプラシーボを起こすネームに価値がついている。ブランドのバックと同じである。それを効能が無いといってけなす人はなんなんだろうか。ブランドという価値があることを知ったほうがいいのではないだろうか。
最初の携帯電話の話ならば、他社を批判すれば自社の契約増につながった。しかし、酸素水や水からの伝言を批判して誰が得をするのだろうか。いくら買っている客がだまされているとしても彼らは、だまされることに満足して買っているはずである。少なくとも騙されているうちは幸せである。騙している方も騙している間は幸せである。2者が幸福を分かち合っているというのに、何の利益も生まないのにそれを批判している人はなんなんだろうか。自分が詐欺師や盲信者になれなかったから幸せな人をひがんでいるのだろうか。幸せな人をひがんで追い落とそうとするなんて最低だと思う。

ついでに、胡散臭い話の仲間として鏡の法則というものが紹介されていた。それについても何か意見を言おうと思ったのだが無理だった。
鏡の法則
http://www.arai516.com/blog/2006/07/post_e7bc.html
上記に鏡の法則なるものが書かれているのだが、駄文な上に長文で読んでいて自分の日記を読んでいるような錯覚を覚えてしまった。反響の割りにあまりのくだらなさにどこを縦読みすればいいのか必死に探したのだが適当な場所は見つからなかった。まあこの日記をここまで読んだ駄長文好きなら、鏡の法則を最後まで読んで泣けるかもしれない。できれば私のかわりに読んで、3行でまとめてくれないだろうか。
まあ読む前に鏡の法則を予想しておく。鏡に映った自らの伝言で自分の血漿がきれいになって健康になるんじゃないかね。

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