9月18日の日記

2006年9月17日
障害者を普通学級へ行かせろどうのこうのと書かれた2ちゃんねるのスレを見ていたら『生きているのに意味がないニートこそ 社会の不要物』という書き込みがあった。それを見て障害者にはどんな生きる意味があるのか考えさせられた。それを考えてたら、どんな人間には生きる意味があるのかまで分からなくなってきた。無条件で誰にでも生きる意味はあるとでも馬鹿なことを言わないと多くの人は生きる意味は無いのではないかね。

その次のスレは学級崩壊についてだった。教師の体罰禁止が定着化して粗暴なガキが増えてきたらしい。教師に暴力を振るった子供の数もかなりのものになるらしい。体罰は暴行なので教師にだけ違法行為を認めるのかという問題になるのかもしれないが結果だけを見れば体罰をしていた時の子供の方が国益にかなう人が多いのではないかな。最近話題になっていたニートなんてのは、体罰禁止のゆとり教育が生んだ産物じゃないのかね。ゆとり教育を受けた私はひしひしとそう感じますね。
まあ体罰許可で一番問題になるのは子供が障害を持ったり死亡する場合であろう。体罰などで子供が死ぬと多くの場合教師が徹底的にたたかれている。しかし、それはゆがんだ結果しか見ていないからではないだろうか。サディスティックな趣味で快楽のために子供に体罰をふるう教師は別ですが、普通に学校生活を送ればそう体罰を受ける機会などないでしょう。多分、普通に社会にでて生きていけるような人は教師からの体罰が嫌で避けたかったら避けれるでしょう。飲酒運転と同じようなものじゃないですかね。嫌だったら避けれる。優等生ぶってればいいだけです。嫌でも避けれない人は、社会不適合者なんじゃないですかね。まあ、だから死んでもいいという話にはなりませんが、多分体罰を受けて死んだ人は何らかの体罰を受ける理由をもっていたんじゃないですかね。
まあなんだ、体罰もそう悪いもんじゃないんじゃないですかね。まあだからといってニートが悪いとも思えませんが。一番の問題は国民が一体となってないことでしょう。それぞれの目標が違うので何がいいと評価するのがまちがっているのかもしれませんね。

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