9月26日の日記
2006年9月26日最近気がついたのだが、私の考えは大きく間違っていたのかもしれない。最近まで日本の競争の無い医療制度はクソだと思っていた。医者の技術がどうであれ、行なった治療に対して標準報酬が決められている。だから医者として稼ぐには数をこなすか、より難解で高度な治療を行なうしかない。だから、底辺の医者の技術が正等に評価されずに医療過誤など弊害がおきている。すべては競争の無い、社会主義的な医療制度が悪いのだと思っていた。もし、ある程度医療報酬が自由化されれば、下手くそな新人医師は、料金3割引で治療を行なって患者は自己負担無しで医者は技術を磨くことができる。なんてことが出来るかもしれない。いうまでも無く今の制度ではそんなことは無理である。しかし、様々な話を聞いていくうちに、厚生省が望む理想と私が掲げていた理想の食い違いを感じ始めた。事実だけをしるせば、日本の医療サービスに対する治療費は世界的に見ても安価らしい。それは、医者や看護婦の過酷な奉仕活動でまかなわれているらしい。日本の医療制度は社会主義的だがそのおかげでその医療制度に賛同してくれるボランティア精神豊かな人が、医者や看護婦の仕事を非常に安いお金で奉仕してくれるおかげで、比較的高品質で安価な医療が行なわれている。今の医療制度は一部の下部で頑張る人によって支えられているのである。厚生省の立場からみれば理想にあった制度が構築されたのだろう。しかし、弊害は思わぬところからやってきた。馬鹿な患者が医療過誤が起こると訴えだしたのである。苛酷な労働環境にいる医者はミスもするだろう。安い金で長時間働いているのに、何でもかんでも医療過誤だと訴えられたらやっていれないだろう。その顕著な例が、産婦人科医の減少だろう。過酷な労働環境だから産婦人科医が減ったわけではない。昔から過酷だった。しかしそれに生きがいやらやりがいを感じる奇特な人が産婦人科医で働いてくれていた。しかし、今はどうだろうか。産婦人科医は医者の中で一番訴訟される可能性が高いらしい。自分はがっばってやっているのに訴えられたらたまったもんじゃないだろう。だから、きっと産婦人科医の人気は低迷したのではないだろうか。きっと、今まで産婦人科医をやってきたような奇特な人種は、患者を殺しても精一杯治療してれば感謝してもらえる高齢者医療にシフトしていってるんじゃないのかね。まあ、何はともわれ、産婦人科医の減少は日本の医療制度の利点を考えずに、医師報酬がハイリターンのアメリカ同様に低報酬しか貰っていない医者を訴えだしたからだろう。まあ、医療過誤を訴えるのはそれ単体では悪いことではないかもしれないけど、もたらす結果は最低なんじゃないかね。
もしかしたら、今話題になっている飲酒運転も同様の危険をはらんでいるのではないだろうか。飲酒運転を取り締まるのは確かに褒められた行為かもしれない。しかし、馬鹿な国民の意見を鵜呑みして危険運転致死罪を創設してどうなっただろうか。飲酒運転で人をひき殺すよりひき逃げして逃げた方が罪が軽くなるということで、ひき逃げが増えたらしい。それをきいた馬鹿が今度はひき逃げの罪を重くしろと言い出した。いうまでも無く日本の刑法は、単体の罪をとりあつかっているわけではない。怒りに身を任せてどこかをかえれば全体の整合がとれなくなってくる。一部を変えて狂った制度を対処療法で直そうとしても上手く行くはずがない。
今に目撃者がいないような交差点で信号無視をして歩行者をひきそうになった場合、下手にブレーキを踏んで方向者が助かるよりも、ノーブレーキでひき殺してしまって「歩行者は信号を無視して飛び出してきた、だからブレーキも間に合わずにひいてしまった」と供述した方が罪が軽くなるかもしれない。そんな世の中いやじゃないですかね。
皮肉な世の中、感情のまま揺れ動く馬鹿の意見を聞いていてうまく行くはずがない。アメリカでは、麻薬常習者が注射針を複数人で使い回していたのでHIVキャリアが増加していたらしい。それの対策のためにと言って、使用済みの注射針を新品の物と交換するという公共サービスを始めたら、一部の者が大量に使い古しの注射針を集めて、無料の新品針と交換して麻薬常習者に1ドルで販売するということを始めたらしい。まあ普通の馬鹿は、無料で配っている針で金儲けするなんてけしからんという風潮になったらしい。しかしその活動を推進していた学者は逆に好都合とばかりに、仲介者にエイズの知識や脱麻薬セミナーを行なっている施設の位置を教えたりして、仲介者に啓蒙活動してもらおうと考えたらしい。その後の結果は知らないがなんか馬鹿のたわごとを聞いても役に立たないなーって思ういい例じゃないかね。
歴史からも経験からも何も学ばず、感情のおもむくままに行動する馬鹿には何を言っても無駄かな。
もしかしたら、今話題になっている飲酒運転も同様の危険をはらんでいるのではないだろうか。飲酒運転を取り締まるのは確かに褒められた行為かもしれない。しかし、馬鹿な国民の意見を鵜呑みして危険運転致死罪を創設してどうなっただろうか。飲酒運転で人をひき殺すよりひき逃げして逃げた方が罪が軽くなるということで、ひき逃げが増えたらしい。それをきいた馬鹿が今度はひき逃げの罪を重くしろと言い出した。いうまでも無く日本の刑法は、単体の罪をとりあつかっているわけではない。怒りに身を任せてどこかをかえれば全体の整合がとれなくなってくる。一部を変えて狂った制度を対処療法で直そうとしても上手く行くはずがない。
今に目撃者がいないような交差点で信号無視をして歩行者をひきそうになった場合、下手にブレーキを踏んで方向者が助かるよりも、ノーブレーキでひき殺してしまって「歩行者は信号を無視して飛び出してきた、だからブレーキも間に合わずにひいてしまった」と供述した方が罪が軽くなるかもしれない。そんな世の中いやじゃないですかね。
皮肉な世の中、感情のまま揺れ動く馬鹿の意見を聞いていてうまく行くはずがない。アメリカでは、麻薬常習者が注射針を複数人で使い回していたのでHIVキャリアが増加していたらしい。それの対策のためにと言って、使用済みの注射針を新品の物と交換するという公共サービスを始めたら、一部の者が大量に使い古しの注射針を集めて、無料の新品針と交換して麻薬常習者に1ドルで販売するということを始めたらしい。まあ普通の馬鹿は、無料で配っている針で金儲けするなんてけしからんという風潮になったらしい。しかしその活動を推進していた学者は逆に好都合とばかりに、仲介者にエイズの知識や脱麻薬セミナーを行なっている施設の位置を教えたりして、仲介者に啓蒙活動してもらおうと考えたらしい。その後の結果は知らないがなんか馬鹿のたわごとを聞いても役に立たないなーって思ういい例じゃないかね。
歴史からも経験からも何も学ばず、感情のおもむくままに行動する馬鹿には何を言っても無駄かな。
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