10月14日の日記

2006年10月14日
貧乏な若者というと、劇団員だったり芸人だったりがイメージされる。たぶん、若手の劇団員も芸人も多くが貧乏なんだと思う。その上、成功するのは、ごく限られた人でしかない。どんなに努力しても、多くの劇団員や芸人は一度も日の目を見ずに沈んでいく。続けていても、成功する可能性は限りなく低いのに彼らはなぜそれを続けていけるのだろうか。そのモチベーションはどこからやってくるのだろうか。そんなことを考えていた。
最近は、学校化がすすみ若手劇団員や若手芸人は、所属する団体に金を払わないといけなくなった。将来金を稼げる見込みの非常に少ない仕事を志すために金を払わないといけない。そんな非常に不条理な仕事にもかかわらず志願者がなくなることはない。これはどういうことなのだろうか。例えば司法試験でたくさんの人が浪人しているがこれなんかも無駄に才能が浪費されていると聞く。しかし司法浪人の場合、司法試験さえ受かればある程度生活は保障される。なので一生の安定を求めて司法試験に人生をかける人がいることは理解できる。しかし、劇団員や芸人はやっぱりそれとも違うだろう。

んーなんだろうなと考えて思ったのだが、違う自分を演じて他人に見せると言う行為が物凄く楽しいものなのではないだろうか。劇団員や芸人は金や生活のためではなく、それ自体が面白いからそれに取り組んでいるのではないだろうか。でもそう考えると話がわからなくなってくる。もし、したいことだけしていればいいのなら、劇団員や芸人は物凄く楽しいだろう。しかし、客のことを考えずに自分勝手にしているだけでは、マスターベーションと同じである。この日記と何も変わらない。他人のマスターベーションを見たいと思う人なんていないだろう。などと思ったのだが、容姿端麗な女性だったら、オナニーしてるだけで客が呼べるかもしれないね。私が男だから嫌悪しているだけで女性から見ればかっこいい男のオナニー姿をみたいものなのかね。

話が変わってしまったが、多くの劇団員や芸人は、自分がしたいものを演じているわけではないだろう。しかし、それでもなお金を払ってまで演じたいと思うほど、人に演技を見せるのは面白いことなんだろう。

ここまで考えて、すごく手軽に人生を楽しむ方法を見つけたかもしれない。素人が急に客を呼んで演技を披露するのはむずかしいだろう。そこで、日常生活に演技を取り入れてみたらどうだろうか。
仕事場で物凄く仕事が好きな人の演技をするのである。その中で大切なのは、仕事を楽しむのではなく、仕事が好きな人を完璧に演じきっている自分やそれにだまされた同僚や顧客を見て喜びをえるのである。演技をして、同僚や顧客を喜ばせて、金まで入手できる、一石三鳥ではないだろうか。ただ自分が仕事が好きな人を演じればみんなが幸せになれる。これってすばらしい発見じゃないだろうか

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