10月23日の日記
2006年10月22日柄にもなく、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行を創設したムハマド・ユヌスの自伝を読んだ。流行に乗るのは恥ずかしいね。
マイクロクレジットを詳しく説明するのはめんどくさいので避けておく。
さて、自伝なので脚色が付きすぎて真実が歪められているかもしれませんが自伝を読んだ感想でも書いておきましょう。
巷の批評では、グラミン銀行が行うマイクロクレジットと呼ばれる金貸しの方法は物凄くすばらしいと言う人と、グラミン銀行のせいで多重債務に陥って自殺した人がいるのでグラミン銀行はそれほど褒められるものではないという否定意見が錯綜していた。
まああれだね、否定意見に関すれば理想論を元に批判を展開しすぎじゃないのかね。金貸しが原因での自殺があるかないかを論じてもしょうがないのではないだろうか。日本というか世界中で借金苦を理由で自殺する人がいるのだから、理想論を元に世界中を全否定しても生むものがないんじゃないかね。どんなに優れたシステムでも運用する人間が完璧じゃないので、少なからず腐敗や問題が起こることは許容しないと駄目なんじゃないかね。比べるべきは、理想論とグラミン銀行ではなく、既存の金貸しや先進国のアコムや武富士などのサラ金とグラミン銀行だろう。否定は相対評価でおこなうべきじゃないのかね。
一方、肯定意見は絶対評価で行うべきじゃないのかね。ネットで意見を見る限り、善意をたくさん持ったバカ共は、グラミン銀行がすばらしい福祉プログラムであると思っているらしい。しかし、私がみた限りグラミン銀行は資本主義のルールに従って当たり前のことをしてるに過ぎない。
グラミン銀行は、慈善団体ではない。すべての貧しい人に金を貸すわけではない。担保などの保障を取らないかわりに、借り手には試験をかして合格しないと金を貸さない。複数人でグループが組めないと金を貸せない。グラミン銀行はすべての貧民に金を貸すわけではない。かえす見込みのある貧民にだけ金を貸しているだけである。貧民に金を貸してるのに返済率98%はすごいと言われているが、確実に返済を見込める人にしか金を融資しないのだから返済率が高いのは当たり前だろう。担保がある場合は、返済見込みがなくても金を貸せるのだから。
まあ、しかしそれが一番すばらしい。英知を集めた銀行は、機会の不平等で貧民になった人と不真面目で貧民になった人を区別することができなかった。だから、銀行はすべての貧民は不真面目の可能性があると言うことで融資を行わなかった。善人を集めた慈善団体でも、貧民を色分けすることができなかったので、すべての人間が機会の不平等で貧民になった可能性があると言うことにして金をばらまいた。その結果、機会の不平等で貧民になったまじめな人さえも、堕落してしまい金だけを貰うようになった。
今までどんな人も選別できなかったことをグラミン銀行はやり遂げたらしい。貧民で何もないけれど、少しの元手があれば貧民から這い上がる力を持った人を識別することに成功した。
すべての人に救いの手を差し伸べるわけではないけれど、やる気のある貧民を識別し、生活向上の手出すけをできる方法を発見できたのはすばらしいのかもね。
しかし、マイクロクレジットの仕組みを知っていくうちに思ったことがあるのだが、これはゴールと言う経済書に書かれた全体最適化やTOCと呼ばれる改善策を銀行に対して行えば導けた結論だったのではないだろうか。バッチを小さくして商品の回転を早めて・・・など銀行の業務に全体最適化をもっていけばマイクロクレジットと同じことになる。今まで客じゃない人もとりこめる。まあ堅い銀行は新規事業をしてまで手をひろげたくないのかもね。それにしてもなんやかんやで、世界は不効率にうごいているのね。案外、ゴールドラット博士を日本に全権改革大臣として雇えば少しは効率的になるかね。まあ問題は、政治家や官僚が誰もそれを求めていないことでしょうね。
最後に皮肉な世界が見つかったのでひとつ紹介しておきます。
食糧危機が起きて、外国から食糧援助が行われるとそれに絡んで、政治家は横領したり、援助が行われた物資を船から降ろす人も居る。トラックで運ぶ人も居る。大衆に配る人もいる。まあ援助が行われることによって、仕事をもらえたり横領して自分の懐を暖めれる人がでてくる。彼らは援助が続く限り生活は安泰である。しかし、自国の生産が回復すると仕事を失ってしまうので、国内復興にマイナスの力を発揮し、永遠に援助を受けれる国にしようとするらしい。
インドの物乞いは、子供がより援助を受けやすいように、小さいうちに子供をつぼに入れて育てて体を変形させるらしい。人々はその異形をみて物乞いに金をくれるようになるらしい。
まあそんなこんなで、援助によって起こる弊害もあるらしい
マイクロクレジットを詳しく説明するのはめんどくさいので避けておく。
さて、自伝なので脚色が付きすぎて真実が歪められているかもしれませんが自伝を読んだ感想でも書いておきましょう。
巷の批評では、グラミン銀行が行うマイクロクレジットと呼ばれる金貸しの方法は物凄くすばらしいと言う人と、グラミン銀行のせいで多重債務に陥って自殺した人がいるのでグラミン銀行はそれほど褒められるものではないという否定意見が錯綜していた。
まああれだね、否定意見に関すれば理想論を元に批判を展開しすぎじゃないのかね。金貸しが原因での自殺があるかないかを論じてもしょうがないのではないだろうか。日本というか世界中で借金苦を理由で自殺する人がいるのだから、理想論を元に世界中を全否定しても生むものがないんじゃないかね。どんなに優れたシステムでも運用する人間が完璧じゃないので、少なからず腐敗や問題が起こることは許容しないと駄目なんじゃないかね。比べるべきは、理想論とグラミン銀行ではなく、既存の金貸しや先進国のアコムや武富士などのサラ金とグラミン銀行だろう。否定は相対評価でおこなうべきじゃないのかね。
一方、肯定意見は絶対評価で行うべきじゃないのかね。ネットで意見を見る限り、善意をたくさん持ったバカ共は、グラミン銀行がすばらしい福祉プログラムであると思っているらしい。しかし、私がみた限りグラミン銀行は資本主義のルールに従って当たり前のことをしてるに過ぎない。
グラミン銀行は、慈善団体ではない。すべての貧しい人に金を貸すわけではない。担保などの保障を取らないかわりに、借り手には試験をかして合格しないと金を貸さない。複数人でグループが組めないと金を貸せない。グラミン銀行はすべての貧民に金を貸すわけではない。かえす見込みのある貧民にだけ金を貸しているだけである。貧民に金を貸してるのに返済率98%はすごいと言われているが、確実に返済を見込める人にしか金を融資しないのだから返済率が高いのは当たり前だろう。担保がある場合は、返済見込みがなくても金を貸せるのだから。
まあ、しかしそれが一番すばらしい。英知を集めた銀行は、機会の不平等で貧民になった人と不真面目で貧民になった人を区別することができなかった。だから、銀行はすべての貧民は不真面目の可能性があると言うことで融資を行わなかった。善人を集めた慈善団体でも、貧民を色分けすることができなかったので、すべての人間が機会の不平等で貧民になった可能性があると言うことにして金をばらまいた。その結果、機会の不平等で貧民になったまじめな人さえも、堕落してしまい金だけを貰うようになった。
今までどんな人も選別できなかったことをグラミン銀行はやり遂げたらしい。貧民で何もないけれど、少しの元手があれば貧民から這い上がる力を持った人を識別することに成功した。
すべての人に救いの手を差し伸べるわけではないけれど、やる気のある貧民を識別し、生活向上の手出すけをできる方法を発見できたのはすばらしいのかもね。
しかし、マイクロクレジットの仕組みを知っていくうちに思ったことがあるのだが、これはゴールと言う経済書に書かれた全体最適化やTOCと呼ばれる改善策を銀行に対して行えば導けた結論だったのではないだろうか。バッチを小さくして商品の回転を早めて・・・など銀行の業務に全体最適化をもっていけばマイクロクレジットと同じことになる。今まで客じゃない人もとりこめる。まあ堅い銀行は新規事業をしてまで手をひろげたくないのかもね。それにしてもなんやかんやで、世界は不効率にうごいているのね。案外、ゴールドラット博士を日本に全権改革大臣として雇えば少しは効率的になるかね。まあ問題は、政治家や官僚が誰もそれを求めていないことでしょうね。
最後に皮肉な世界が見つかったのでひとつ紹介しておきます。
食糧危機が起きて、外国から食糧援助が行われるとそれに絡んで、政治家は横領したり、援助が行われた物資を船から降ろす人も居る。トラックで運ぶ人も居る。大衆に配る人もいる。まあ援助が行われることによって、仕事をもらえたり横領して自分の懐を暖めれる人がでてくる。彼らは援助が続く限り生活は安泰である。しかし、自国の生産が回復すると仕事を失ってしまうので、国内復興にマイナスの力を発揮し、永遠に援助を受けれる国にしようとするらしい。
インドの物乞いは、子供がより援助を受けやすいように、小さいうちに子供をつぼに入れて育てて体を変形させるらしい。人々はその異形をみて物乞いに金をくれるようになるらしい。
まあそんなこんなで、援助によって起こる弊害もあるらしい
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