10月23日の日記
2006年10月23日今、教育テレビを見ていたら小学生が片付けについて議論していた。見てた感じ小学生相手に議論すればけちょんけちょんにできそうな感じがした。まあ他の議論にも言えることだがお互いを批判、否定することしか考えてないのかね。
片付け推進派の人は、部屋が散らかってると物がどこにあるかわからなくなる。物を探す時間が無駄になると主張していた。片付け反対派は、部屋を片つけると逆に物がどこにあるかわからなくなる。身の回りに見えるように出されていた方が物がすぐ使えるので便利だと主張していた。お互いに、片付けするとモノの場所がわからなくなるのは片つけ方が悪いとか、散らかっていても自分は欲しいモノがどこにあるかすぐわかるとか言っていた。
ホント、だめな議論ですね。結局お互い同じことを言っているだけである。物がどんな状態にあろうとも、モノの位置が覚えられるか、覚えられないの話ではないだろうか。部屋が散らかって物を探すのもどこに片付けたか忘れて物を探すのも同じ事だろう。
まあ結局のところ、汚い部屋に嫌悪感を覚える人は片付けるし嫌悪感を感じない人は片付けないだろう。他人がどう思うかなんて勝手だろう。それを議論して少数派やその他弱い意見を叩くなんてものは、いじめのはしりじゃないかね。
片付け推進派の人は、部屋が散らかってると物がどこにあるかわからなくなる。物を探す時間が無駄になると主張していた。片付け反対派は、部屋を片つけると逆に物がどこにあるかわからなくなる。身の回りに見えるように出されていた方が物がすぐ使えるので便利だと主張していた。お互いに、片付けするとモノの場所がわからなくなるのは片つけ方が悪いとか、散らかっていても自分は欲しいモノがどこにあるかすぐわかるとか言っていた。
ホント、だめな議論ですね。結局お互い同じことを言っているだけである。物がどんな状態にあろうとも、モノの位置が覚えられるか、覚えられないの話ではないだろうか。部屋が散らかって物を探すのもどこに片付けたか忘れて物を探すのも同じ事だろう。
まあ結局のところ、汚い部屋に嫌悪感を覚える人は片付けるし嫌悪感を感じない人は片付けないだろう。他人がどう思うかなんて勝手だろう。それを議論して少数派やその他弱い意見を叩くなんてものは、いじめのはしりじゃないかね。
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