11月5日の日記

2006年11月5日
すばらしい商売を考えた。さまざまなカルチャースクールや習い事が存在するが、子育てって分野は存在するのかね。考えてみれば、普通に生活していたら子育ての仕方を習う機会なんてないんじゃないだろうか。多くの人は自分や周りの人の子育てや教育書などをみて子育てを学んでいるのではないだろうか。しかし、よく子育てに失敗する人をみる。
典型的な失敗としてあげられるのは、兄弟間で比べることだろうか。不幸フラグをたくさん持った人はよく「兄弟はできるのになぜあなただけこんなにダメなの」と親に注意された経験を持つらしい。逆側の、比べられる優秀な方も親の過度の期待につぶれてしまうことが良くあるような気がする。一人っ子だと後者でつぶれてしまうのかね。たぶん、多くの親が勘違いをしているのではないだろうか。
同じ兄弟を同じように育てたのに結果が違う場合、自分は同じ教育をしたのだから結果が違う原因は子供にあると子供を追い詰める。しかし、当たり前の話だが、子供には何種類かの種類が存在するのではないだろうか。まあ大半の子供は、親に褒められるのをうれしく思い、自分の気持ち関係なしに親に褒められるように行動する。だから親は勘違いして、子供はみんな従順でかわいいとおもってしまうんじゃないだろうか。まあだからと言って私はここの子供をどう教育すればいいのかわからないが、教育学者や心理学者のなかには体系的に子供を分類してそれぞれどんな育て方が言いか研究してる人もいるんじゃないだろうか。そういうプロが、年何度か親子と面談して、個々の子供にあった育て方を親に教えるスクール経営をしたらどうだろうか。それに宗教なんて絡めたりしたら最高の信者獲得方法にならないかね。

あと子供に過度の期待をかけて子供の将来望む姿が見える進路に子供を無理やり進めさせる親がいる。しかしそれは多くの場合失敗してしまうのではないだろうか。ある本にこんな話が載っていた。娘があまりにわんぱくで手がつけれなかった。母親はどうしても娘が淑女に育って欲しかったので、その娘をむりやりキリスト系の学校へ通わせたらしい。周りにいる子供も先生もみんなが、おとなしければ娘もそうなるだろうと考えたみたいだが、結果は最悪だったらしい。誰も、そんなおてんばな子供を対応した経験がなかったので、その娘を腫れ物を扱うようにしか対応できず、娘も学校関係者もすべてが迷惑したそうである。その後、その地区で下部のレベルの高校に進学した際には、周りには自分より悪い人間や自分よりあばずれな生徒もいたし、先生もそういった子供の対応になれていたので、今までにはない満足いく学校生活がおくれたらしい。
当たり前の話だが、多くの場合立場が人間を変えるより前に人間が壊れてしまう。いくらすばらしい進学校に子供を進学させても勉強する才能がない子供だった場合、進学校の先生はそういった子供の教育になれていないだろうし、子供にしてもついていけなくて困ることになる。やっぱり経験が物を言う世界だと思うので、学校ぐらいは自分相応のところがいいのではないだろうか。理想より現実を見ないと不幸になりますよ。

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