教育は基本的に記憶が主体である。相当アホでなければ記憶力さえあればテスト勉強しなくてもそこそこの点数が取れるのではないだろうか。
今学校で行われているテストは、記憶の量と記憶の運用効率をはかるものだと思う。たぶん社会にでれば9割以上の学校で習う記憶は無くても生活に支障をきたさないと思う。実社会にでればカンニングしてもいいし、人に聞いてもいいし、法を犯さなければ何をして答えを導き出しても関係ない。例え過程が間違っていても結果さえでれば問題ない。ではなぜ学校では筆記テストなどという無駄なものをしているのだろうか。きっと、簡単に序列をつけるためだろう。それだけの理由しかないのではないかと思う。
カンニング禁止のテストなんてやめてもっとましなことすればいいのにということを考えていておもったのだが、そもそもがおかしかったのかもしれない。テストが無駄なのではなく、学校自体が無駄なのではないだろうか。
営業職につく人は、学校でどんな勉強をするよりも、体育会系の部活に入ったほうが適正がつくと思う。
算数の問題を電卓を使って解いて怒られたことがある。電卓を使って計算問題をしても何の意味も無いという説教を聞いてもっともだと思って、計算問題自体の意味の無さに気がつき計算問題をしなかったらもっと怒られた。
怒られたといえば、小学校の国語のテストで初めて長文問題が出た時に、作中の主人公の気持ちを書きなさいという問題があった。私はどうしても、0次元の作中主人公の気持ちが分からなかったので隣の優等生の答えを丸写しして、後日カンニングがばれて物凄く怒られた。ありえないだろう。作中の人物に感情なんて存在しない。国語のテストで問われていたのは、大衆が物語を読んで登場人物が何を感じていると思うかというようなものだったはずである。だったら非常識な私が大衆と同じ考えになるわけないので、一般大衆をノーマライズしてできたような優等生の解答をコピーしたのである。私は、テスト解答に最善を尽くしたのに怒られた。それがトラウマとなって私はカンニングできなくなり、テストでもしょぼい点数しかとれなくなってしまった。
電卓は数字さえ読めれば計算してくれる。一般的ではないが、PCの数学ソフトを使えば、2次方程式も2次関数も微分積分も計算してくれる。多くの人が数学を使うのは、結果が欲しいからである。過程を求めてはいない。数学関係を勉強する人以外、数学ソフトがあり自分がしたい事のソフトの使い方さえ知っていればすべての数学を知らなくても関係ないのではないだろうか。実生活においては算数さえできれば何の問題も発生しない。しかし多くの人は数学は必要だと思っている。
世の中は欺瞞であふれている。勉強が必要だといっている人は教育を受けたがほとんどである。高等教育を受けていない状態でどうしても高等教育が必要だったというのなら話はわかるが、高等教育を受けた状態でそれが必要だったと主張しても本当に必要だったかわからない。実際、高等教育を受けていない親が子供にどうしても高校だけは、大学だけは卒業させたいと言っている場合もある。しかし、ここで親が言っているのは、学問が必要だから学校へ行って欲しいのではなく、子供が学歴差別にあわないで欲しいから学校に行って欲しいと頼んでいるに過ぎない。学歴を求めているだけである。だれもすべての人間に学問が必要だと思っている人はいないんじゃないかね。実際、今の日本を見れば高等学校の無駄さがわかると思う。まあ統計をとったら中卒のほうがDQN率が高いということになるかもしれない。しかし、多くの中卒のDQMは中卒だからDQNなのではなくDQNだから中卒どまりということがおおいのではないだろうか。
現状ではみんなが教育を必要なものだと思い込んでいるから学歴が必要という傾向になっているが、規格大量生産時代もおわったことだしそろそろブレイクスルーが必要なのではないだろうか。高等学校なんて極一部の人にしか必要ない。公共の学校は中学校まででいい。
現状で何が問題かというと、諸悪の根源は労働基準法だとおもう。今の法律では基本的に会社じゃ人を簡単に解雇できない。しかし、採用する場合、たぶん就職して実際に働いて見ないと、役に立つ人間かどうかなんて分からないだろう。簡単に解雇できない、だから安全牌をとろうとする。普通に考えて高卒より大卒のほうが安全牌である。なぜかといえば、高卒は12年間就職するために無駄な勉強してきた。大卒は16年間就職するために無駄な勉強してきた。下積みが長いほうが就職を大切だと思う。ので高卒より大卒のほうが自暴自棄になりにくい可能性が高い。一流大学と三流大学も同じである。一流大学生のほうががんばっているので、就職を大切だと思う。
上流はそんな感じだと思う。最近の教育崩壊の原因は下流である。現状の教育が成り立つためには、勉強しないと就職できない、就職できないと生きていけないという前提が必要である。しかし、最近はパラサイトシングルで就職しなくても生きていけるので、学校教育から落ちこぼれたアウトローやそもそもアウトローで勉強しなかった者を机に縛るものがなくなってしまった。パラサイトシングルのニートでいいと思った人に何かをさせるのは不可能だろう。そんな人たちが学校教育を崩壊させている。
まあとりとめもなくなってきたが、今後日本が世界の先進国であり続けるためには、大半の人が中卒で就職、企業理念でその後成人まで教育されるという道しかないんじゃないかね。
今学校で行われているテストは、記憶の量と記憶の運用効率をはかるものだと思う。たぶん社会にでれば9割以上の学校で習う記憶は無くても生活に支障をきたさないと思う。実社会にでればカンニングしてもいいし、人に聞いてもいいし、法を犯さなければ何をして答えを導き出しても関係ない。例え過程が間違っていても結果さえでれば問題ない。ではなぜ学校では筆記テストなどという無駄なものをしているのだろうか。きっと、簡単に序列をつけるためだろう。それだけの理由しかないのではないかと思う。
カンニング禁止のテストなんてやめてもっとましなことすればいいのにということを考えていておもったのだが、そもそもがおかしかったのかもしれない。テストが無駄なのではなく、学校自体が無駄なのではないだろうか。
営業職につく人は、学校でどんな勉強をするよりも、体育会系の部活に入ったほうが適正がつくと思う。
算数の問題を電卓を使って解いて怒られたことがある。電卓を使って計算問題をしても何の意味も無いという説教を聞いてもっともだと思って、計算問題自体の意味の無さに気がつき計算問題をしなかったらもっと怒られた。
怒られたといえば、小学校の国語のテストで初めて長文問題が出た時に、作中の主人公の気持ちを書きなさいという問題があった。私はどうしても、0次元の作中主人公の気持ちが分からなかったので隣の優等生の答えを丸写しして、後日カンニングがばれて物凄く怒られた。ありえないだろう。作中の人物に感情なんて存在しない。国語のテストで問われていたのは、大衆が物語を読んで登場人物が何を感じていると思うかというようなものだったはずである。だったら非常識な私が大衆と同じ考えになるわけないので、一般大衆をノーマライズしてできたような優等生の解答をコピーしたのである。私は、テスト解答に最善を尽くしたのに怒られた。それがトラウマとなって私はカンニングできなくなり、テストでもしょぼい点数しかとれなくなってしまった。
電卓は数字さえ読めれば計算してくれる。一般的ではないが、PCの数学ソフトを使えば、2次方程式も2次関数も微分積分も計算してくれる。多くの人が数学を使うのは、結果が欲しいからである。過程を求めてはいない。数学関係を勉強する人以外、数学ソフトがあり自分がしたい事のソフトの使い方さえ知っていればすべての数学を知らなくても関係ないのではないだろうか。実生活においては算数さえできれば何の問題も発生しない。しかし多くの人は数学は必要だと思っている。
世の中は欺瞞であふれている。勉強が必要だといっている人は教育を受けたがほとんどである。高等教育を受けていない状態でどうしても高等教育が必要だったというのなら話はわかるが、高等教育を受けた状態でそれが必要だったと主張しても本当に必要だったかわからない。実際、高等教育を受けていない親が子供にどうしても高校だけは、大学だけは卒業させたいと言っている場合もある。しかし、ここで親が言っているのは、学問が必要だから学校へ行って欲しいのではなく、子供が学歴差別にあわないで欲しいから学校に行って欲しいと頼んでいるに過ぎない。学歴を求めているだけである。だれもすべての人間に学問が必要だと思っている人はいないんじゃないかね。実際、今の日本を見れば高等学校の無駄さがわかると思う。まあ統計をとったら中卒のほうがDQN率が高いということになるかもしれない。しかし、多くの中卒のDQMは中卒だからDQNなのではなくDQNだから中卒どまりということがおおいのではないだろうか。
現状ではみんなが教育を必要なものだと思い込んでいるから学歴が必要という傾向になっているが、規格大量生産時代もおわったことだしそろそろブレイクスルーが必要なのではないだろうか。高等学校なんて極一部の人にしか必要ない。公共の学校は中学校まででいい。
現状で何が問題かというと、諸悪の根源は労働基準法だとおもう。今の法律では基本的に会社じゃ人を簡単に解雇できない。しかし、採用する場合、たぶん就職して実際に働いて見ないと、役に立つ人間かどうかなんて分からないだろう。簡単に解雇できない、だから安全牌をとろうとする。普通に考えて高卒より大卒のほうが安全牌である。なぜかといえば、高卒は12年間就職するために無駄な勉強してきた。大卒は16年間就職するために無駄な勉強してきた。下積みが長いほうが就職を大切だと思う。ので高卒より大卒のほうが自暴自棄になりにくい可能性が高い。一流大学と三流大学も同じである。一流大学生のほうががんばっているので、就職を大切だと思う。
上流はそんな感じだと思う。最近の教育崩壊の原因は下流である。現状の教育が成り立つためには、勉強しないと就職できない、就職できないと生きていけないという前提が必要である。しかし、最近はパラサイトシングルで就職しなくても生きていけるので、学校教育から落ちこぼれたアウトローやそもそもアウトローで勉強しなかった者を机に縛るものがなくなってしまった。パラサイトシングルのニートでいいと思った人に何かをさせるのは不可能だろう。そんな人たちが学校教育を崩壊させている。
まあとりとめもなくなってきたが、今後日本が世界の先進国であり続けるためには、大半の人が中卒で就職、企業理念でその後成人まで教育されるという道しかないんじゃないかね。
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