12月8日の日記
2006年12月8日もうすぐクリスマスですね。クリスマスにデートする人はどれくらいいるのでしょうか。どこかの日記に書かれたデートという文字をデスノートと勘違いしてしまいました。字数も明らかに違いますどう考えても自然に見間違えることはないでしょう。ちょっと病んでいるんでしょうかね。まあ、私がデスノート拾ったら皆殺しですから、みなさん布団でもかぶって震えていてください。
昨日の考えは間違っていたようである。よく考えたら戦後の日本の自殺率も高かった。誰が自殺していたのかは知りませんがあんまり死に直面しすぎるのも良くないのかもね。貧しさと言えば今の自殺原因の一位も借金苦だったかもしれない。そういえば、息子夫婦と同居している老人の自殺の原因の9割以上が、嫁に対する姑イジメに起因するものらしい。学校でのイジメはうらみつらみもあるので遺書などから表ざたになりますが、老人の嫁姑問題がらみのイジメでの自殺の場合、身内からのイジメで、残される息子のことを気にして親はイジメ告発の遺書を書きにくいらしい。また、自殺を発見した身内が世間体を気にして遺書を捨ててしまうこともあるらしい。ので実態は明らかになっていないが、毎日同じ屋根の下で暮らす身内からのイジメは物凄く辛いものなんだろうね。やっぱり人を頼って長生きするものじゃない。
さて、そんなこんなで自殺について考えていたのだが、いじめられたからとか、いじめられて辛いから自殺するというのは、自殺原因としておかしな話ではないだろうか。生きているのが辛いというのは自殺する理由になるのだろうか。今生きている人の多くが何らかの悩みや不安を抱えて生きていると思う。実際何らかの苦痛に耐えながら生きている人もたくさんいるだろう。苦しいから死ぬというのは現実を見ていないのではないだろうか。実際自殺した人は苦しいから自殺したと思っているかもしれないが、実際は苦しいから自殺したのではなく、生きていく希望を見失って自殺したのではないだろうか。今を楽するために生きている人は少数だろう。多くの人は別に苦しさから逃げる為に生きているわけではない。生きていくだけで苦痛である。多くの人はその苦痛のなかに生きていく希望を見つけて生きているのである。イジメられて自殺する人は、楽に生きていけないから自殺しているだけである。だから今、教育改革だ、イジメはいけないとか騒いでいるが、一番しなければならないのは、どんな困難に直面しても生きる希望を見つけれる人間づくりではないだろうか。では具体的にはどのような生きる希望があるだろうか。人は慈悲深い心を持っている。他人に親切を働くと、親切にされたほうだけでなく親切にした方まで満足感が得られる。しかし最近は世知辛くなり、親切がおせっかいととられることが増えてきました。そこで私が提案します。私が自分の身を削って泣く泣く皆さんの親切を受けようと思います。皆さんはただ慈悲深い心を持って私にお布施してくれるだけでいいのです。そのお布施によって私は生きながらえ皆さんに感謝を送ります。皆さんはお布施することによって得られる、自己陶酔感や優越感などを生きる希望にしてはいかがでしょうか。
どうでしょうか。もう生きている理由が無いと自殺したい人がいられましたら、どうか一度私にお金を恵んでくれないでしょうか。別に自殺したくない人からの恵みもお待ちしております。皆さんの生きがいとして私にお金を恵んではもらえませんか。きっと私にお金を恵むことによって今まで得たこともない喜びを得られ今後も私にお金を恵むことを目的に生きる希望がわいてくると思います。ああもうだめだ、自殺しようと思う前に一度お試しください。
昨日の考えは間違っていたようである。よく考えたら戦後の日本の自殺率も高かった。誰が自殺していたのかは知りませんがあんまり死に直面しすぎるのも良くないのかもね。貧しさと言えば今の自殺原因の一位も借金苦だったかもしれない。そういえば、息子夫婦と同居している老人の自殺の原因の9割以上が、嫁に対する姑イジメに起因するものらしい。学校でのイジメはうらみつらみもあるので遺書などから表ざたになりますが、老人の嫁姑問題がらみのイジメでの自殺の場合、身内からのイジメで、残される息子のことを気にして親はイジメ告発の遺書を書きにくいらしい。また、自殺を発見した身内が世間体を気にして遺書を捨ててしまうこともあるらしい。ので実態は明らかになっていないが、毎日同じ屋根の下で暮らす身内からのイジメは物凄く辛いものなんだろうね。やっぱり人を頼って長生きするものじゃない。
さて、そんなこんなで自殺について考えていたのだが、いじめられたからとか、いじめられて辛いから自殺するというのは、自殺原因としておかしな話ではないだろうか。生きているのが辛いというのは自殺する理由になるのだろうか。今生きている人の多くが何らかの悩みや不安を抱えて生きていると思う。実際何らかの苦痛に耐えながら生きている人もたくさんいるだろう。苦しいから死ぬというのは現実を見ていないのではないだろうか。実際自殺した人は苦しいから自殺したと思っているかもしれないが、実際は苦しいから自殺したのではなく、生きていく希望を見失って自殺したのではないだろうか。今を楽するために生きている人は少数だろう。多くの人は別に苦しさから逃げる為に生きているわけではない。生きていくだけで苦痛である。多くの人はその苦痛のなかに生きていく希望を見つけて生きているのである。イジメられて自殺する人は、楽に生きていけないから自殺しているだけである。だから今、教育改革だ、イジメはいけないとか騒いでいるが、一番しなければならないのは、どんな困難に直面しても生きる希望を見つけれる人間づくりではないだろうか。では具体的にはどのような生きる希望があるだろうか。人は慈悲深い心を持っている。他人に親切を働くと、親切にされたほうだけでなく親切にした方まで満足感が得られる。しかし最近は世知辛くなり、親切がおせっかいととられることが増えてきました。そこで私が提案します。私が自分の身を削って泣く泣く皆さんの親切を受けようと思います。皆さんはただ慈悲深い心を持って私にお布施してくれるだけでいいのです。そのお布施によって私は生きながらえ皆さんに感謝を送ります。皆さんはお布施することによって得られる、自己陶酔感や優越感などを生きる希望にしてはいかがでしょうか。
どうでしょうか。もう生きている理由が無いと自殺したい人がいられましたら、どうか一度私にお金を恵んでくれないでしょうか。別に自殺したくない人からの恵みもお待ちしております。皆さんの生きがいとして私にお金を恵んではもらえませんか。きっと私にお金を恵むことによって今まで得たこともない喜びを得られ今後も私にお金を恵むことを目的に生きる希望がわいてくると思います。ああもうだめだ、自殺しようと思う前に一度お試しください。
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