1月10日の日記

2007年1月10日
幸せってなんだろうか。自分が望む最高の生活を考えてみた。

やっぱり高校生ぐらいが最高の年齢ではないだろうか。毎日昼飯代を親にせびり学校へ行き退屈な午前中の授業を受ける。もちろんノートに板書するわけもなく将来を空想してみたり寝てみたり椅子の重石を演じる。午前中の授業が終わると急いで教室を飛び出して学校を抜け出して、宝くじ売り場に自転車で向かう。30分くらい自転車をこいで宝くじ売り場に到着。そこで朝貰った昼飯代で一枚のスクラッチクジを購入する。午後の授業まで時間がないのでスクラッチクジは、こすらずに学校へ持って帰る。そして午後の授業まるまるつかってスクラッチクジをこすり銀色のカスを削っていく。削っている間は、1等の百万円があたったらどう使おうか思慮にふける。外れていることがわかるとがっかりはするものの、明日のスクラッチくじに希望をたくして、百万円で何をしようか考える。それで一日は終わりである。毎日百万円をめざしてスクラッチくじに挑戦する高校生活が送りたい。
もし100万円あったらどうするだろうか。たぶん四国の寂れた町に一人で出かけて太平洋の見える安いアパートでも借りてそこに住み始める。何の目的があるわけでもない。ただ昼間は、海岸に行って酒を片手に日が暮れるのを待つ。本を読むのもいいかもしれない。もし海岸がホットスポット化されていたら言うことはない。ノートパソコンでネットの海でサーフィンをするだろう。日が暮れてきたら、近所のスーパーで海産物を酒の肴に買い、家に帰って酒を飲みながら眠たくなるのを待つ。昼間読んでいた本の続きが気になったらそれを読むのもいい。ネットをしてもいい、眠たくなったら寝て一日は終わりである。雨の日はどうしようか。ベランダに滴る雨粒を眺めているのもいいかもしれない。
来る日も来る日も金がなくなるまで毎日そんな生活を送りたい。

こんな生活を死ぬまで続けていけたらどんなに幸せだろうか。働くようになって100万円を大金だと思えなくなった。一年間働けば100万円ぐらいためることもできる。100万円はそれぐらいである。だから私はもうスクラッチくじに夢を求めることができない。それ以上に働くようになって1年間以上の長期休暇なんて簡単にとれなくなった。飽きるまでたださざなみの音を聞きながら酒を片手に時間を浪費する生活が送りたい。

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