1月11日の日記
2007年1月11日今日は負けた。何も思い浮かばなかった。しょうがないのでネットで見つけたニュースにけちでもつけてお茶を濁す。
ttp://www.j-cast.com/2007/01/08004743.html&date=20070111195159
学歴の価値暴落 東大卒「割に合わない」
というトピックのニュースがあった。あほな記事に条件反射で反応する私が釣られているだけかもしれないが、大学の助教授がこんなアホ事を主張することで学歴の価値暴落を自分で演出するなんて腐ってますね。その上自分は東大卒業でもなさそうですし、本を売るためのマーケティング戦略なんでしょうかね。
この人は最初の発言で、『受験戦争を勝ち抜き、東大を卒業したエリート官僚たちが霞ヶ関でやらされていることは、パソコンの使えない上司の代用でしかありません。上司の手書きの文書を、しかも深夜に代打ちするのです。はっきり言って東大卒がやる仕事ではありませんが、彼らのそんな姿をわたしは旧労働省に勤務していた時代にみてきました。・・・』
というような例を出していましたが、あほとちゃうのかね。官僚なんてものは一番学歴と遠い存在なのではないだろうか。出世するためには学閥も関係あるかもしれないが、少なくとも官僚ほど公正に人を採用している企業なんてないんじゃないだろうか。官僚と学歴は何の関係もない。官僚の若手がどんな馬鹿らしい仕事をしていようがそれは学歴と何の関係もないんじゃないだろうか。
一般企業の話で言えば、入社以降は学歴など意味を持たないかもしれないが、入社までの段階で言えば今後も学歴が幅をきかすのではないだろうか。なんて言ったって学歴で仕事ができる人間かどうかを判断できないことがわかったとしても、そもそも、人事部の人達は仕事をできる人を探せる手段を所持していない。今後、優れた選考方法が開発されれば話は別だが、そうならない限り人事部の人は人を選考する手段を持ち合わせていないわけだから、大学の先輩後輩といった学閥の縁故で採用を行うような学歴社会は続くのではないかね。それはつまり、学歴が高給につながるということではないだろうか。もし、とある三流大学出身者が大量に成功したらどうなるのかと言われれば、それは学歴崩壊ではなく、その三流大学が学歴においては一流に認められるというだけだと思う。学歴時代は永遠に意味を持ち続けるだろう。ただ、ここの大学の地位を保証するものになるわけではない。
ttp://www.j-cast.com/2007/01/08004743.html&date=20070111195159
学歴の価値暴落 東大卒「割に合わない」
というトピックのニュースがあった。あほな記事に条件反射で反応する私が釣られているだけかもしれないが、大学の助教授がこんなアホ事を主張することで学歴の価値暴落を自分で演出するなんて腐ってますね。その上自分は東大卒業でもなさそうですし、本を売るためのマーケティング戦略なんでしょうかね。
この人は最初の発言で、『受験戦争を勝ち抜き、東大を卒業したエリート官僚たちが霞ヶ関でやらされていることは、パソコンの使えない上司の代用でしかありません。上司の手書きの文書を、しかも深夜に代打ちするのです。はっきり言って東大卒がやる仕事ではありませんが、彼らのそんな姿をわたしは旧労働省に勤務していた時代にみてきました。・・・』
というような例を出していましたが、あほとちゃうのかね。官僚なんてものは一番学歴と遠い存在なのではないだろうか。出世するためには学閥も関係あるかもしれないが、少なくとも官僚ほど公正に人を採用している企業なんてないんじゃないだろうか。官僚と学歴は何の関係もない。官僚の若手がどんな馬鹿らしい仕事をしていようがそれは学歴と何の関係もないんじゃないだろうか。
一般企業の話で言えば、入社以降は学歴など意味を持たないかもしれないが、入社までの段階で言えば今後も学歴が幅をきかすのではないだろうか。なんて言ったって学歴で仕事ができる人間かどうかを判断できないことがわかったとしても、そもそも、人事部の人達は仕事をできる人を探せる手段を所持していない。今後、優れた選考方法が開発されれば話は別だが、そうならない限り人事部の人は人を選考する手段を持ち合わせていないわけだから、大学の先輩後輩といった学閥の縁故で採用を行うような学歴社会は続くのではないかね。それはつまり、学歴が高給につながるということではないだろうか。もし、とある三流大学出身者が大量に成功したらどうなるのかと言われれば、それは学歴崩壊ではなく、その三流大学が学歴においては一流に認められるというだけだと思う。学歴時代は永遠に意味を持ち続けるだろう。ただ、ここの大学の地位を保証するものになるわけではない。
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