3月14日の日記
2007年3月14日今更ですが、去年大相撲で横綱の朝青龍さんがけたぐりという技で勝った際横綱にふさわしい勝ち方ではないと批判した、横綱審議委員がいた。そんなアホなヤツが横綱審議委員をしているから日本の大相撲はおかしくなっていくのである。
数十年前の大相撲は今の大相撲とはまったく違ったものだったらしい。ある種ショー的な部分もあり、横綱は格下の力士の挑戦を受ける場合、相手の技をいなしてから自分の技を出して相手を投げ飛ばしたりしていたそうである。お互いに見ている観客がわき上がるよう演出込みで相撲をとっていた。
しかし、いつの時代からか八百長は良くない、ガチで勝負しようという流れに変わったらしい。ショー的な部分をけずって真剣勝負になったのである。
確かに、ショー的な相撲をとっていた時代に横綱がけたぐりで格下の力士をあっさり転ばせるのは興ざめだろう。しかし、今は真剣真剣勝負に移行したはずである。客を楽しませる云々ではなく勝負に徹することになったはずである。それなのにけたぐりをした横綱を批判するのはおかしいだろう。そんな風に相撲を変えたのは少なくとも朝青龍ではないことは確かなのだから。建前が変更されたのだから、横綱の常識も変更されるべきだろう。
八百長がやめられて真剣勝負になって、力士の怪我が増えた。練習不足だとか言われているが、実際は、真剣勝負になって、力士は体が大きい方が得なので無理に体を大きくしてそのため体の各所の負担が増えて怪我が増えたらしい。相撲が体重無制限なのもショー的な八百長があったからである。真剣勝負をしている格闘技は大体が体重でランク分けをしている。なぜなら体重が重い方が有利になる場合が多いからである。ので選手の無理な増量を抑止する意味で体重でランクわけしているのだと思う。
相撲はもともとは真剣勝負ではなかったので、体重によるランクわけなんて存在しなかった。しかし真剣勝負に移行したのなら体重別にランクわけを行うべきである。それをしなかったから今力士は非常に怪我が多い。まあ体重別にランクわけなんてことをしたらもう相撲ではなくなってしまうが。
そんなこんなで、相撲界の八百長を批判する人は、相撲のことを考えていない大馬鹿者である。伝統とはそんなものである。誰も毎回同じ話をする落語家を批判しないように、相撲にもある程度ストーリーがあっていいはずである。それが日本の歴史ある伝統ってことじゃないのかね。
数十年前の大相撲は今の大相撲とはまったく違ったものだったらしい。ある種ショー的な部分もあり、横綱は格下の力士の挑戦を受ける場合、相手の技をいなしてから自分の技を出して相手を投げ飛ばしたりしていたそうである。お互いに見ている観客がわき上がるよう演出込みで相撲をとっていた。
しかし、いつの時代からか八百長は良くない、ガチで勝負しようという流れに変わったらしい。ショー的な部分をけずって真剣勝負になったのである。
確かに、ショー的な相撲をとっていた時代に横綱がけたぐりで格下の力士をあっさり転ばせるのは興ざめだろう。しかし、今は真剣真剣勝負に移行したはずである。客を楽しませる云々ではなく勝負に徹することになったはずである。それなのにけたぐりをした横綱を批判するのはおかしいだろう。そんな風に相撲を変えたのは少なくとも朝青龍ではないことは確かなのだから。建前が変更されたのだから、横綱の常識も変更されるべきだろう。
八百長がやめられて真剣勝負になって、力士の怪我が増えた。練習不足だとか言われているが、実際は、真剣勝負になって、力士は体が大きい方が得なので無理に体を大きくしてそのため体の各所の負担が増えて怪我が増えたらしい。相撲が体重無制限なのもショー的な八百長があったからである。真剣勝負をしている格闘技は大体が体重でランク分けをしている。なぜなら体重が重い方が有利になる場合が多いからである。ので選手の無理な増量を抑止する意味で体重でランクわけしているのだと思う。
相撲はもともとは真剣勝負ではなかったので、体重によるランクわけなんて存在しなかった。しかし真剣勝負に移行したのなら体重別にランクわけを行うべきである。それをしなかったから今力士は非常に怪我が多い。まあ体重別にランクわけなんてことをしたらもう相撲ではなくなってしまうが。
そんなこんなで、相撲界の八百長を批判する人は、相撲のことを考えていない大馬鹿者である。伝統とはそんなものである。誰も毎回同じ話をする落語家を批判しないように、相撲にもある程度ストーリーがあっていいはずである。それが日本の歴史ある伝統ってことじゃないのかね。
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