4月7日の日記
2007年4月7日さて、ふと思ったのだが段階の世代をプロデュースしている人がいるのだろうか。最近団塊の世代の価値を底上げしようとしている人がいるような気がしてならない。
すこし話が変わるが、年寄りを敬うというのは元々は若者より沢山経験をつんだ年寄りが有用だったから行われていた行為である。しかし、今は時代が変わってしまった。普通に生活していくだけなら年寄りの経験なんてものが必要なくなってしまった。ボタンを押すだけでご飯は炊けるよになったし、洗濯もできるし、暇な時間はテレビを見ることもできる。今の世界は、別に経験の蓄積が必要とされないことが多くなりすぎてしまった。下手をすると適応力が高い若者の方が能力が高くなってきた。もう年寄りを敬うのは形骸化してしまったのである。
さてそれを踏まえて、今の団塊の世代の取り上げられ方を考えてみよう。例えば、団塊の世代の大量退職で技術伝承がうまくいかず技術大国としての日本がヤバイと言う話がある。これは裏を返せば、団塊の世代の持っている技術は有用で重要だということをアピールしているのだと思われる。額面どおりに受け止めれば団塊の世代は今の日本にとても必要だということになる。実際は、戦前生まれの方が日本の基盤で、多くの団塊の世代は代替のきく作業員でしかないという話を聞いたことがある。
他には団塊の世代はなんと言われているだろうか。消費者としての団塊の世代とかだろうか。団塊の世代が大量消費を始めるので景気が上向くなどだろうか。これも、団塊の世代にかかる大量の社会保障費以上の価値を団塊の世代が持っているというアピールだと思われる。
実際はいなければ居なくても問題無い団塊の世代が、そう思われない為に今ある自分の地位を使って、自分の足場を必死で固めようとしているような気がしないでもない。考えすぎかね
すこし話が変わるが、年寄りを敬うというのは元々は若者より沢山経験をつんだ年寄りが有用だったから行われていた行為である。しかし、今は時代が変わってしまった。普通に生活していくだけなら年寄りの経験なんてものが必要なくなってしまった。ボタンを押すだけでご飯は炊けるよになったし、洗濯もできるし、暇な時間はテレビを見ることもできる。今の世界は、別に経験の蓄積が必要とされないことが多くなりすぎてしまった。下手をすると適応力が高い若者の方が能力が高くなってきた。もう年寄りを敬うのは形骸化してしまったのである。
さてそれを踏まえて、今の団塊の世代の取り上げられ方を考えてみよう。例えば、団塊の世代の大量退職で技術伝承がうまくいかず技術大国としての日本がヤバイと言う話がある。これは裏を返せば、団塊の世代の持っている技術は有用で重要だということをアピールしているのだと思われる。額面どおりに受け止めれば団塊の世代は今の日本にとても必要だということになる。実際は、戦前生まれの方が日本の基盤で、多くの団塊の世代は代替のきく作業員でしかないという話を聞いたことがある。
他には団塊の世代はなんと言われているだろうか。消費者としての団塊の世代とかだろうか。団塊の世代が大量消費を始めるので景気が上向くなどだろうか。これも、団塊の世代にかかる大量の社会保障費以上の価値を団塊の世代が持っているというアピールだと思われる。
実際はいなければ居なくても問題無い団塊の世代が、そう思われない為に今ある自分の地位を使って、自分の足場を必死で固めようとしているような気がしないでもない。考えすぎかね
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