4月20日の日記

2007年4月20日
昔は、教師といえばそれなりに社会的地位があったものだと思う。しかし、今は、教師といえば、社会不適格者かロリコン、ショコタンぐらいではないだろうか。社会不適格者は後者を含んでいる気もしますね。まあ、最近の教師という言葉イメージは、人格者でもなく、尊敬できるようなものではないと思う。そう思っているのは私だけかもしれないが。
どうすれば、優れた教育者を学校に呼び込めるのだろうか。全然知らないが経済学のイメージだけで考えると教師の給料を上げると教師の質が上がるといった解答が出てくるのではないだろうか。この前提が間違っているようならこのあとの話は無かったものにしてください。
さて、博識な人が本当に優秀な教師になるのだろうか?と言う疑問がある。教師の質を上げるために教師の給料を上げていくと、教師をしたいという意欲がある人間より、教師がしたいと意欲よりお金が好きな人間が集まってくるのではないだろうか。
まあそんな感じである程度社会的地位のある職業の場合、給料を上げてもそれが直接雇用者のレベル向上に繋がるということは無いのではないだろうか。下手をすると金目的の、ベクトルが違う方向を向いた優秀な人が集まりすぎて、意欲ある人の職を奪うなんて事にならないかね。
逆に待遇を改悪していけば、意欲ある人間が集まってくるんじゃないかね。その仕事に勉強と意欲とどちらが重要なのかは分からないが、いくら勉強ができても意欲の無い人間ってそれほど優れた働きをしないんじゃないかな。これは教師だけに限った話ではなく、医師とか弁護士とかにも言えることなんじゃないかな。

そんなことを考えていたら、現状もそうなってきている気がしてきた。例えば、教育改革と叫ばれているのに、公務員の給料削減や公務員共済年金の改革などで先生の給料が減らされようとしている。
医者も、保険料の改定で保険料が下げられたり、そもそもが忙しすぎて割に合わない科があったり、それでなりての医者の数が減ってより忙しくなるみたいな悪循環が起きているとニュースでやっていた。こんなことテレビで放送したらよりいっそう人不足になるんじゃないかと思っていたのだがそれも一つの作戦だったわけですね。
待遇を下げることで意欲ある人材を集めれるってのが、豊かな国なんですかね。

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