5月2日の日記
2007年5月2日あなたの周りに苦言をていしてくれる人はいるだろうか。遠い昔から人間は安定した生活を送っていると堕落していくものである。唯一その堕落をとめる方法は、周りにいるものが苦言を呈し続けて本人に自省してもらうしかない。
さて最近何かと若者が道を外すとゆとり世代だからショウガナイと言われがちですが、誰もいさめてくれる人がいなかったからなのではないでしょうか。しょせん、怒ってもその場限りですし、同調してもしょうがありません。本当に必要なのは苦言を呈して自ら気付くしかありません。
しかし最近の傾向として、誰も彼もが波風たたせないように振る舞っています。確かに、苦言をていしても相手が変わってくれなければそれこそ雰囲気が悪くなるだけです。私達は度量が狭くせせこましい人間ばかりなので、聖人君子のようにはいかないでしょう。しかしだからと言って苦言がない方がいい訳ではありません。時には関係がこじれようとも喧嘩になろうとも苦言を言ったほうがいいときがあります。もっと言えば、今まで甘い言葉ばかり言っていた人が急にきつい苦言を言っても人間関係が拗れるだけでしょう。出来ることなら、普段から苦言を言って、相手にもそんな発言をする人物だと言う認識を与えておくのが一番ではないでしょうか。普段、おとなしくしていたばっかりに必要な時に苦言を言えなくなっているようではいけないでしょう。
それでいても周りに誰も自分に苦言を言ってくれる人はいない、と言う人も多いのではないでしょうか。そこで、きつい苦言を言ってくれる悩み相談所ってどうでしょうか。ホントはみんな悩みを相談した時に、同情されることや励まされることに飽き飽きしているのではないでしょうか。世の中、きつい言葉を言ってくれるのは宗教の勧誘だけです。
そんなこんなで、きっと現代人は、苦言を言うことも言われる事もなれていないから、ちょっとした苦言が誹謗中傷人格攻撃になってしまい自省に繋がっていかないのじゃないかね。だからもうここはいっそのこと金の関係として苦言をていしてれる悩み相談所があればいいだよね。相談にきた客をボロクソにこけ落とすだけで金が貰えるなんてそんな商売あったら私にはものすごく適材適所だと思います。
さて最近何かと若者が道を外すとゆとり世代だからショウガナイと言われがちですが、誰もいさめてくれる人がいなかったからなのではないでしょうか。しょせん、怒ってもその場限りですし、同調してもしょうがありません。本当に必要なのは苦言を呈して自ら気付くしかありません。
しかし最近の傾向として、誰も彼もが波風たたせないように振る舞っています。確かに、苦言をていしても相手が変わってくれなければそれこそ雰囲気が悪くなるだけです。私達は度量が狭くせせこましい人間ばかりなので、聖人君子のようにはいかないでしょう。しかしだからと言って苦言がない方がいい訳ではありません。時には関係がこじれようとも喧嘩になろうとも苦言を言ったほうがいいときがあります。もっと言えば、今まで甘い言葉ばかり言っていた人が急にきつい苦言を言っても人間関係が拗れるだけでしょう。出来ることなら、普段から苦言を言って、相手にもそんな発言をする人物だと言う認識を与えておくのが一番ではないでしょうか。普段、おとなしくしていたばっかりに必要な時に苦言を言えなくなっているようではいけないでしょう。
それでいても周りに誰も自分に苦言を言ってくれる人はいない、と言う人も多いのではないでしょうか。そこで、きつい苦言を言ってくれる悩み相談所ってどうでしょうか。ホントはみんな悩みを相談した時に、同情されることや励まされることに飽き飽きしているのではないでしょうか。世の中、きつい言葉を言ってくれるのは宗教の勧誘だけです。
そんなこんなで、きっと現代人は、苦言を言うことも言われる事もなれていないから、ちょっとした苦言が誹謗中傷人格攻撃になってしまい自省に繋がっていかないのじゃないかね。だからもうここはいっそのこと金の関係として苦言をていしてれる悩み相談所があればいいだよね。相談にきた客をボロクソにこけ落とすだけで金が貰えるなんてそんな商売あったら私にはものすごく適材適所だと思います。
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