5月16日の日記
2007年5月16日森進一さんがおふくろさんの歌詞をかえて歌っていたことに腹をたてた作詞家が強権を発動して森進一さんがおふくろさんを歌うことが出来なくなってしまいました。ふと思ったんですけどこれってかなり危険なことじゃないですかね。もし、歌の下手な歌手に作曲家が、「あなたは私の曲を勝手に改変して歌っている。それは私の作曲した曲を冒涜する行為だ。そんな奴に私の作曲した曲を歌わせたくない。」こんな事を言い出したらどうするのだろうか。音痴の人は、飲み屋のカラオケで歌う権利を剥奪されてしまうのだろうか。
まあそれはそれでいいことなのかもしれないな。
私は今まで間違っていたかもしれない。今の今までプロスポーツ選手が活躍するために必要なのは、第一に才能、第二に努力、第三に運だと思っていた。どんなに努力しても才能の無い人はダメだと思っていた。しかしそれは間違っていたかもしれない。
例えばボクシングの亀田3兄弟は、物凄く若いうちからボクシングを始めてそれ以降そのほかの生活を捨てて長時間練習したことによりボクシングが強くなったと思われる。より若いうちから練習をはじめ年上の兄と一緒にトレーニングした三男が一番有望らしい。その次は次男だという噂である。
他の例でも、卓球の福原愛さんもたぶん同世代卓球選手と比べれば圧倒的に卓球に費やしてきた時間が長いのではないだろうか。ゴルファーだと、女子ゴルフの宮里藍さんや横峰さくらさんが長時間のトレーニングで成功したくちだと思われる。むかしで言えばタイガーウッズなんかもそうではないだろうか。
こんな例からマイナースポーツでは、若いうちから努力さえすれば才能なんて関係無さそうだとは思っていたのだが、さすがに野球やサッカーといったメジャーなスポーツでは、選手人口が多いのでいくら努力しても、それ以上に才能のある人がでてきたらその人に勝てないんだと思っていた。しかし、イチローの本を読んでいて間違いに気がついた。イチロー選手は、小学校の頃から尋常じゃないほどの時間を野球に費やしてきたみたいである。学校以外の時間はすべて野球のトレーニングと言っていいほどの練習を小学校低学年のころからしていたらしい。基本的には3:30に学校が終わってから暗くなるまではグラウンドなどで父親と練習をして、その後夕飯を済ませてからは、バッティングセンターが閉店する11時くらいまでは、バッティングセンターで練習していたらしい。
もし私がイチローに生まれ変わって、イチローと同じ練習をしていけば、今のイチローと同じになれるという確約があったとしても、私にはイチローがしてきた練習なんて出来ないと思う。将来毎年10億円もらえるとしても、イチローと同じ練習は出来ないと思う。
私は、イチローを才能があって成功したと根拠もなしに思っていたが、たぶん同年代で彼が一番長く野球をしていた、その結果が今の成功だと思う。
多くのスポーツの場合、効果のある練習した時間の長さでその人の力が決まってくるのではないだろうか。たぶんみんながみんな長時間練習し出したら、才能の差がぐらいしか差が無くなると思うが、少なくとも今のスポーツ界でそれほど練習をしている競技はないようである。唯一例外だと思われるのは勉強だろう。スポーツではないが、毎日寝食以外のほぼすべての時間を勉強に費やしている人が何人もいるようである。才能の差が問題になるのはそういう場合だけである。
子供を何らかのトップ選手にしたいのならとても若いうちから練習させるべきだろう。若いうちから練習する利点はそれだけではない。例えば、みんなが同時にスポーツを始めたら運動が得意な人の方が上達が早いだろう。しかし、それ以前に血を吐くような練習をしておくことで、スタートラインに立った状態でまわりの同級生にライバルはいなくなる。自分ひとりだけ力が抜き出てる状態になる。それは精神面で物凄いプラスになるのではないだろうか。
まあ子供をトップの選手にしたかったら子供が歩けるようになったら、寝食以外の時間をすべて練習に費やすべきだろう。まずは自分がコーチをするために、理論的なコーチングの勉強をする必要があるだろう。そして効果のある練習を学校へは行かせないで毎日15時間以上15年以上続けていけば、たぶんどんなスポーツでもトップ選手になれるんじゃないかな。
ただ問題は、そうして子供がその競技のトップ選手になったとして子供は幸せを感じるのかということである。たぶん、努力をしてこなかった人から見ればそれは幸せそうには見えないであろう。しかし、やってきた本人としては、選手として成功したことを幸せと思う以外の選択肢が自分の今までの人生で用意されていないので幸せだとおもわざるおえないんじゃないかな。
まあそれはそれでいいことなのかもしれないな。
私は今まで間違っていたかもしれない。今の今までプロスポーツ選手が活躍するために必要なのは、第一に才能、第二に努力、第三に運だと思っていた。どんなに努力しても才能の無い人はダメだと思っていた。しかしそれは間違っていたかもしれない。
例えばボクシングの亀田3兄弟は、物凄く若いうちからボクシングを始めてそれ以降そのほかの生活を捨てて長時間練習したことによりボクシングが強くなったと思われる。より若いうちから練習をはじめ年上の兄と一緒にトレーニングした三男が一番有望らしい。その次は次男だという噂である。
他の例でも、卓球の福原愛さんもたぶん同世代卓球選手と比べれば圧倒的に卓球に費やしてきた時間が長いのではないだろうか。ゴルファーだと、女子ゴルフの宮里藍さんや横峰さくらさんが長時間のトレーニングで成功したくちだと思われる。むかしで言えばタイガーウッズなんかもそうではないだろうか。
こんな例からマイナースポーツでは、若いうちから努力さえすれば才能なんて関係無さそうだとは思っていたのだが、さすがに野球やサッカーといったメジャーなスポーツでは、選手人口が多いのでいくら努力しても、それ以上に才能のある人がでてきたらその人に勝てないんだと思っていた。しかし、イチローの本を読んでいて間違いに気がついた。イチロー選手は、小学校の頃から尋常じゃないほどの時間を野球に費やしてきたみたいである。学校以外の時間はすべて野球のトレーニングと言っていいほどの練習を小学校低学年のころからしていたらしい。基本的には3:30に学校が終わってから暗くなるまではグラウンドなどで父親と練習をして、その後夕飯を済ませてからは、バッティングセンターが閉店する11時くらいまでは、バッティングセンターで練習していたらしい。
もし私がイチローに生まれ変わって、イチローと同じ練習をしていけば、今のイチローと同じになれるという確約があったとしても、私にはイチローがしてきた練習なんて出来ないと思う。将来毎年10億円もらえるとしても、イチローと同じ練習は出来ないと思う。
私は、イチローを才能があって成功したと根拠もなしに思っていたが、たぶん同年代で彼が一番長く野球をしていた、その結果が今の成功だと思う。
多くのスポーツの場合、効果のある練習した時間の長さでその人の力が決まってくるのではないだろうか。たぶんみんながみんな長時間練習し出したら、才能の差がぐらいしか差が無くなると思うが、少なくとも今のスポーツ界でそれほど練習をしている競技はないようである。唯一例外だと思われるのは勉強だろう。スポーツではないが、毎日寝食以外のほぼすべての時間を勉強に費やしている人が何人もいるようである。才能の差が問題になるのはそういう場合だけである。
子供を何らかのトップ選手にしたいのならとても若いうちから練習させるべきだろう。若いうちから練習する利点はそれだけではない。例えば、みんなが同時にスポーツを始めたら運動が得意な人の方が上達が早いだろう。しかし、それ以前に血を吐くような練習をしておくことで、スタートラインに立った状態でまわりの同級生にライバルはいなくなる。自分ひとりだけ力が抜き出てる状態になる。それは精神面で物凄いプラスになるのではないだろうか。
まあ子供をトップの選手にしたかったら子供が歩けるようになったら、寝食以外の時間をすべて練習に費やすべきだろう。まずは自分がコーチをするために、理論的なコーチングの勉強をする必要があるだろう。そして効果のある練習を学校へは行かせないで毎日15時間以上15年以上続けていけば、たぶんどんなスポーツでもトップ選手になれるんじゃないかな。
ただ問題は、そうして子供がその競技のトップ選手になったとして子供は幸せを感じるのかということである。たぶん、努力をしてこなかった人から見ればそれは幸せそうには見えないであろう。しかし、やってきた本人としては、選手として成功したことを幸せと思う以外の選択肢が自分の今までの人生で用意されていないので幸せだとおもわざるおえないんじゃないかな。
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