6月1日の日記

2007年6月1日
最近の、個人情報やプライバシー意識の高まりを馬鹿かと思っていた。先月あった全国共通の学力テストで個人情報が守られていないと名前を書かなかった人がいるそうです。他にも町ぐるみで情報の安全性が守られていないと住基ネットに接続していない町もあります。たかだか、テストの点数や生年月日、家族情報ぐらいで何を言っているんだ。個人情報、個人情報と馬鹿みたいに言っている人は馬鹿なんじゃないか。そんなことを心配する馬鹿は死んだ方がいいんじゃないかとさえ思っていた。しかしそれは私の増長だったかもしれない。

例えば、もし世界に1人しかいない世界だったら、その人は自分の内心とかも含めてすべてを外にさらけ出して生きていくのではないだろうか。もし世界に男と女しかいなかったらきっと人間関係の為に内心を隠すことはあるかもしれないけど、胸や陰部を隠す目的で服を着るなんてことは無かったと思う。二人しかいなかったら胸に物をつめて胸を大きくする必要も無い。もし世界が数家族だけだったら、陰部を隠すようになるんじゃないかね。そしてもし世界が数部族に増えた時やっと胸を隠すようになるのではないだろうか。
ここで言っている世界とは地球の実体ではない。生きる本人の認識できる世界である。
私は、個人情報を守ろうとしている人たちをアホだと思ったが、きっとどこか秘境に住む原住民は服を着て体全体を隠している私達をみて、自分の肉体の情報を隠そうとするなんてアホじゃないかと思っている。情報の価値とは情報圏の大きさに比例して大きくなっていくのではないだろうか。
だから、きっとネットにつながり全世界に情報が流れるようになった今個人情報の価値もそれにつられて大きくなっているのではないだろうか。もしこのまま情報圏が広まっていくと、例えば街頭にwebカメラが設置されて街頭の様子が全世界に発信されるようになると顔情報の流出を恐れてみんなイスラム教徒のように顔をベールで隠して外出するようになるんではないだろうか。下手をすると男女の区別すら隠そうとなるかもしれない。情報圏の広まりは、犯罪に巻き込まれる可能性を増やし、われわれは対抗策として外に流れる情報を減らそうとする。
そう考えると、私はまだネットに関しては原住民感覚だったと言うことだろうか。ネット社会においては、個人情報、個人情報と馬鹿みたいに気にする人が普通になってくるのかな。
あーあ、世界に私と誰かの二人だけの世界で誰も服も下着も着ない世界だったらよかったのになと思ったんだけど、きっとそんな世界じゃ、相手が全裸でいることの価値をわからないんだろうな。
隠す必要があると思う情報って、隠さないでいい世界ではその価値を感じれないなんて、一生私は袋とじ人生を送るということなのかね。

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