8月15日の日記

2007年8月15日
歳をとると幸せが逃げていくのかもしれないね。
お中元か何かで家に桃が大量に届いた。早く食わないと腐ってしまうという事で親から1人5玉食えというノルマが課せられた。子供の頃は甘い果物が大好きでご飯なんて食べないで果物ばかり食べて満腹になりたかったのだが、当時の親はそんなこと許してくれなかった。私も成人して自分の責任で好き勝手できるようになった。暑くてだるいから今日の朝飯は冷蔵庫で冷やした桃を5個一気食いしようと桃を食べて信じれない感覚に愕然とした。確かに熟れた桃は甘かったのだが、当たり前だが桃は皮に被われていた。その皮を剥くのが面倒で発狂しそうになった。死ぬ思いで皮を剥いたあと桃にかじりついたら真ん中にタネがあり歯に種から出ている筋っぽいものが大量に絡まり大変不快な気分になった。タネの周りの果実は非常に食いづらく、皮膚の弱い私は、食べる際に顔についた果汁で顔がかぶれて痒くなった。そして、桃を1個食った段階で桃が嫌いになってしまった。そういえば、みかんは皮を剥くのが面倒で食わなくなったし、スイカは種を吐き出すのが面倒で食べなくなった、ぶどうは一粒一粒せせこましく食べるのが嫌だ。もちろん種有りの巨峰なんて問題外だ。
そう私は大人になって多くの生果が食べるのが面倒という理由で嫌いになったのだった。だから、手軽に食える缶詰や果物ジュースは大好きである。普通の桃より缶詰の桃のほうが絶対食べやすい。みかんも缶詰のほうが優れているし、ブドウはジュースが好きだ。
それほど生果物が嫌いでなかった子供の頃は親戚から沢山の果物の缶詰を貰った。成長するにしたがって面倒くさがりになった私はそれに比例して生果物が嫌いになっていったのだが、なぜか他人から送られてくる物が缶詰から生果物に変わっていったのである。まあ人からの贈り物だから文句を言うべきじゃないのかな。それとも私が本当に喜べるように進言した方がいいのかね。

他人の好意に対して自分の意見を言わなかったために起こった悲劇を一つ紹介する。私の祖母は事あるごとに、関西方面の嫁いだ娘のところに遊びに行っていた。例えば、夏だったらPLの花火や琵琶湖の花火などに誘われて行っていた。春だと花見である。還暦してから20年近く毎年行っていたので私は祖母は、花見や花火が好きなんだと思っていた。それでこの前もう行ったり着たりが大変だからしばらく関西の娘の家に滞在して花火に行ったらどう?という提案をしたときに耳を疑うような返答がよこされた。「花火にしても花見にしても一度見れば満足で何度も見るようなものじゃない。第一、何度見ても対して変わったりしない。何度見ても同じようなものじゃないか。そんなものを見るためにわざわざ人の多いところに行くなんて好かない。家で大人しくテレビ見ているほうがいい。ただ娘の行為をむげにはできないから楽しんでいる振りをしているだけ」と答えたのである。祖母は私とは違う人間だと思っていたのに非常にショックである。唯一の違いは他人に対して情があるという事ぐらいである。
私は最近加齢とともに昔に比べて情が深くなってきた、ついでに面倒くさがりになった。もし情が年をとるごとに深くなるものだとしたら、将来私は親孝行をしてるとしたり顔をした子供を喜ばせるために愛想笑いを振り撒いて生きていくことになるのかね。今よりも動くのも大変になりそれだけでも面倒に感じている中で子供に観光地に連れて行かれて紅葉が綺麗だねなんて言わないといけないのだろうか。あー嫌だ嫌だ。人生鬱街道まっしぐらだ

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