9月24日の日記
2007年9月24日勉強するって何だろうか。はてなという質問サイトを見ていたら、『今回、総裁選候補2人の街頭演説をしていましたが、決めるのは国民ではないんですよね?何の為に国民にアピールするんでしょうか。』というような質問をしている人がいた。その人が回答を受けて「皆さん、こういう知識は当たり前に持っているのでしょうか。勉強しないと行けないと思い始めました・・・」こういうようなコメントをつけていた。こういう質問の答えって勉強したからわかるようになるようなものなのかね。勉強ってそれほど何の疑問でも解決できるほど力のあるものなのかね。そういったことをちょっと思いました。私も勉強が嫌いであまり勉強できませんでしたが、私以外の勉強できない人は総じて、勉強万能論を持っているようでした。何事も自分は勉強できないからできないけど、勉強できる人なら何でもできると思っているようでした。
似たようなことに、将棋の先読みもあります。素人は、将棋の強い人は何十手や何百手先まで読めると思っています。また、沢山先読みできる人が将棋が強いと思っている節があります。初手から相手が詰むまで読めるのなら話は別ですが、それ以外だったら先読みの度合いは将棋の強さにそれほど影響しません。現に私は有段者の人と将棋をしたときに、ずーと自分がこう指したら相手がどう指すか聞きながら将棋をしたことがあります。相手はずーと差し手を答えてくれるので何手先まででも考えることができました。しかし、どの変化でも最後に負けていたのは私でした。将棋において先を読めるのは確かに有利かもしれません。しかし将棋は先を予想することが目的のゲームではありません。相手の王様を取ることがゲームの目的です。だから、先を読むことよりも相手の王様をとる効果的な手を指す事の方が重要なのです。
麻雀にたとえるとすべての牌が何か判っていても運の良い人には勝てない場合があるのと同じです。将棋の場合、予知能力があっても見える未来は将棋に負けている自分の姿です。そんな感じで将棋の強弱をなんて先まで読めるか論じることは間違ってると一般人はわからないのです。
似たようなことに、将棋の先読みもあります。素人は、将棋の強い人は何十手や何百手先まで読めると思っています。また、沢山先読みできる人が将棋が強いと思っている節があります。初手から相手が詰むまで読めるのなら話は別ですが、それ以外だったら先読みの度合いは将棋の強さにそれほど影響しません。現に私は有段者の人と将棋をしたときに、ずーと自分がこう指したら相手がどう指すか聞きながら将棋をしたことがあります。相手はずーと差し手を答えてくれるので何手先まででも考えることができました。しかし、どの変化でも最後に負けていたのは私でした。将棋において先を読めるのは確かに有利かもしれません。しかし将棋は先を予想することが目的のゲームではありません。相手の王様を取ることがゲームの目的です。だから、先を読むことよりも相手の王様をとる効果的な手を指す事の方が重要なのです。
麻雀にたとえるとすべての牌が何か判っていても運の良い人には勝てない場合があるのと同じです。将棋の場合、予知能力があっても見える未来は将棋に負けている自分の姿です。そんな感じで将棋の強弱をなんて先まで読めるか論じることは間違ってると一般人はわからないのです。
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