11月22日の日記
2007年11月22日最近、同じような事で行き詰っている。ちょっと、プログラミングができるようになりたくて、勉強しようとしたのだが最初の段階でつまづいてしまった。プログラミングするには、沢山あるプログラミング言語の中から一つを選ばないといけないらしい。プログラミング言語がどれでも似たようなものだったらよかったのだが、似ているものから似ていないものまで様々あって、自分が作りたいソフトによって向いているプログラミング言語が違うと言う事だった。そこで考えたのだが、私はどのようなソフトが作りたいのかがわからなかった。だいたい私が欲しいと思うソフトは、すでに誰かが作っている。また多くの場合私が、欲しいと思っている機能以上のすばらしいソフトが沢山ネットに公開されている。だから私が例えプログラミングできるようになってソフトを作ったとしても既存のソフトの方が優れているだろう。ということで、私はプログラミングの勉強したってしょうがないと言う結論になってしまった。
他にも、休日に一日中テレビを見てすごしてしまうと、物凄い無駄な休日を過ごしたような気分になる。テレビなんて見るのをやめてもっと有意義な事をするべきじゃないのかと思う。そこまではわかっているのだが、有意義な活動が何かわからない。テレビを見るのは無駄な時間だとわかっていても、テレビを見なくなったとしてもかわりにすることがない。何かしたいことがある人がテレビに時間を取られているのなら、テレビを見ないようにするのは有意義だろう。しかし、私の場合、別に何かの時間を削って無駄な事をしているわけではなく、余った時間でテレビを見ている。問題はテレビを見て無駄な時間を使っている事ではなく、休日にする事がないと言う事である。いつもその結論になって、テレビを見ているので永遠にテレビの呪縛から逃れられない。
私は何もはじめれないのかもしれない。
他にも、休日に一日中テレビを見てすごしてしまうと、物凄い無駄な休日を過ごしたような気分になる。テレビなんて見るのをやめてもっと有意義な事をするべきじゃないのかと思う。そこまではわかっているのだが、有意義な活動が何かわからない。テレビを見るのは無駄な時間だとわかっていても、テレビを見なくなったとしてもかわりにすることがない。何かしたいことがある人がテレビに時間を取られているのなら、テレビを見ないようにするのは有意義だろう。しかし、私の場合、別に何かの時間を削って無駄な事をしているわけではなく、余った時間でテレビを見ている。問題はテレビを見て無駄な時間を使っている事ではなく、休日にする事がないと言う事である。いつもその結論になって、テレビを見ているので永遠にテレビの呪縛から逃れられない。
私は何もはじめれないのかもしれない。
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