3月20日の日記

2008年3月20日
秋田連続児童殺害事件で殺人と死体遺棄の罪に問われた無職、畠山鈴香被告の判決公判があって地裁では無期懲役になったらしいですね。鈴香被告は閉廷直後、法廷で豪憲君の遺族に向かって土下座し、「お子さんを奪ってしまって申し訳ありませんでした」と謝罪したらしいです。
子供を殺した謝罪が土下座って軽すぎやしませんかね。両目に自分の指を突っ込んで両目玉差し出すとかしたら、私が遺族だったら反省しているなと感じるでしょうけど、土下座なんてされても誰も損もしないし誰も得もしないんだからしょうがないでしょう。目玉じゃなくても四肢切断とかでもいいと思いますが、道具を使わずに四肢切断できる人はバッタ人間ぐらいでしょう。本気で謝るときは、ヤクザの小指きりのような復元不可能な障害を自分に残すか、相手を満足させるプレゼントをするかのどちらかしかありえんのじゃないかね。それ以外の謝罪は、認められないと思う。まあ家族を殺したからと言って謝罪する必要を私は感じませんが、自発的に謝罪するんならやる事はやろうよ。口だけで謝罪する人にろくな人間はいない。それくらいならしない方がいいと思う。

話はかわりますが、日本の文化財保護法って糞らしいですね。明治とか大正時代に建てられた歴史的建造物を地方自治体が壊して再開発しようとして地元住民と騒動になるというニュースを何回もワイドショーでみました。テレビは真相を伝えてくれないのでいつも歴史的に重要だという反対派の住民の意見と、再開発はどうしても必要なので建物を壊すのはしょうがないという役所の人間のコメントしか発表されていなかった。役所が進んで歴史的価値の出そうな建造物を壊して再開発したがる遠因として、文化財保護法で重要文化財に指定されると、公開と保存が必要になり莫大な費用がかかるのが問題らしい。だから重要文化財に指定される前に壊してしまいたいらしい。現状として重要文化財に指定されるのは迷惑なだけで何の得もない。ろくなもんじゃないね。
そもそも国が文化財を保護する必要があるのかがわからない。国宝級のとても大切なモノとされるものぐらいならいいのかも知れないが、文化財なんて金銭以外の何の価値も無いものだろう。先日、日本の昔の木像がアメリカのオークションで13億ぐらいで落札されたらしいが、あんなもの所詮は木の木っ端だろう。コレクターが集めるのは勝手だが、国が保管しておいてどんな意味があるというのだろうか。フォルムが優れていてどうしても残しておきたいものだったとしても、そんなものはデータだけとって残しておけばいくらでも複製をつくれるんじゃないだろうか。コレクター以外にとって見れば、素人目に本物か偽物か判断つかなければそんなものはどっちでも同じものである。
他にも、檜皮葺や茅葺や板葺きなど昔の建物の屋根を修復する技術者が不足して、ついでに材料も不足して、雨漏りしていても修復されていない神社仏閣が多いらしい。今の文化財保護法では修復するにしても現状復帰がもとめられるから、屋根修復工事の順番待ちをしているうちに基礎が腐ってきたりしているらしい。そんなことなら、手の回らない建物はもう屋根はトタン葺きにしてしまえばいいんじゃないだろうかね。必要なのは、現物ではないだろう。いつでも有志が集まって修復する気になった時に修復できる情報があれば医いんじゃないかね。例えば檜皮葺や茅葺や板葺きなどをする為の手引書があればいいんじゃないんかね。
一般企業ならこんな当たり前の話はない。できる限り職人の技術やノウハウを技術として伝承するのではなく、数値や文章などのデータに置き換えて誰でもがその技術を使えるようにしようとしている。
国は補助金をかけて、茅葺職人を作ろうとしているが、必要なのは職人ではなく素人を職人に育てるためのカリキュラムである。それさえできてしまえば、全国のすべての古い建物の屋根をそのまま保存する必要は無いだろう。
イスラム教以外の人間は少し偶像崇拝のけが強すぎるんじゃないかね。

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