5月3日の日記

2008年5月3日
なんで私は、さいころを振れないのかね。さいころを振れば一歩進むことも、振り出しに戻ることも、それとも1回休みまでなんだって起こるのに、さいころを振らないから人生は退屈なままである。全マス、一生休みのすごろくでいいから、僕に参加権を与えてくれないかな。

クジラ愛好家が日本の捕鯨を邪魔してるのをみて、クジラなんて食べる食べない関係無しに根絶やしにした方が良いのに、可愛さに目が眩んであほなことしてるなと思っていた。実際、クジラが大量の小魚を食うのも、魚減少の一因になっているという話さえある。適度にクジラなんて減らした方がいいと思っていた。そこには、可愛いとか知能があるとかは関係ないと思っていた。
ふと思ったんだけど私の斜め上をいく中国も同じ事を考えていたのかもしれないね。中国はクジラではなくチベット人に対して同じ事をしていただけなんじゃないかね。地球上で発生しているほとんどの問題は人間の数が増えすぎたことに起因している。だから、人間は減って悪いことはない。ただ減らされる立場にいる人間が黙っていないからそう簡単に人間の数は減らない。
日本人がクジラを搾取するのが自然の行いだと思っているように、中国はチベット人を殺して搾取するのが自然だと思っているのではないだろうか。確かにそれは私達の考えとは異質なものだが、私達はそれを批判する立場にいるのだろうか。中国国内で中国が何をしようと中国の勝手ではないだろうか。嫌だと思うのなら、イスラエルみたいに、チベット人が外国で金持ちになって中国と戦争してチベット国を勝ち取らんと駄目なんじゃ無いかね。

ふと思ったんだけど、多くの人は平和を求めているけど、世界平和って考え方自体が破綻してる可能性はないのかね。個人個人レベルで見ていけば平和で満足している人はおおいかもしれない。しかし、国レベルとか世界レベルとかで見た場合、地球滅亡へ一番近づくのが平和なんじゃ無いかね。ここ50年ぐらい大きな戦争がなく幸せを満喫している人は多いかもしれないけど、それって平和だから幸せなんじゃなくて、ただ単に争う事のできない未来の人の幸せを奪っているだけなんじゃ無いかね。一部の年金需給者はほとんど保険料を納めなくても年金もらえて得したように、今私達が平和で幸せだと思っている幸せは、ただ単に周りの国との奪い合いの争いを止めて、戦うことのできない未来の人から奪いつくした結果じゃないのかね。戦争するより平和な方が未来へのツケを沢山残しているように感じるのは、私がネガティブ思考だからかね。戦争で悪名高い原爆でも投下後100年もすればネガティブな要素はなくなりそうだけど、私達が残したツケだと100年で解決しない問題が沢山あるんじゃ無いかね。まあ100年後までに人間が滅亡すればすべて解決って考え方もできますか。

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