5月23日の日記
2008年5月23日当たり前のことほど盲点になって気がつかない事がある。私は今まで、混んでいる店は、何らかの魅力を持っていてそれが原因で沢山の人がひきつけられて混んで並んでいるのだと思っていました。実体験から言えば、アホほど並んでいる飯屋でご飯を食べてもそれほどおいしいとは思えなかったのでその考え方が間違っていると推測することはできましたが、私はなぜか自分の感覚がおかしいんだと処理していました。
しかし、やっと真実に気がつくことができました。混んで並んでいてすぐに食べられないような店は、並ぶ事を含めて長時間並んで最後に料金を払うまでの一連の行動すべてがサービスの一環だったのです。混んでいる店はサービスが優れているから混んでいるのではなく、混んでいるとこで待たされてから飯にありつけるというサービスだったのです。そんなサービス誰が喜ぶんだと思うでしょうが、多くの人間はストレス環境下に置かれてストレスを受ける事で満足感を得られます。さすがにそれだけで完全に満足できる人は少数でしょう。しかし、強いストレスのあとにそれなりのご褒美が与えられると、多くの人は最高に満足してしまいます。それ単体では満足できないようなご褒美でも前にストレスを受けることで満足感が倍増します。
そんなアホな話あるかと思うでしょうが、そのような種類の娯楽が日本には沢山存在しています。例えば、東京ディズニーランドなどはいい例じゃないでしょうか。基本的に混んで長時間ならばなければアトラクションに乗れない時の方が遊びに来る人は多いです。
スポーツ観戦もそうです。まず人が沢山いるスタジアムに行くのがストレスです。その上、観戦するスポーツは最後の最後試合が終わるまでは結果はわかりません。私は球状やスタジアムでスポーツ観戦したこと無いのでわかりませんが、した人の話によると試合が始まると自分の応援するチームが先取点を取られて負けてしまうんじゃないかという不安に駆られるそうです。その予想が当たって先取点を取られたらこのまま負けてしまうんじゃないかと不安に思う。もし自分が応援するチームが先取点を取ったとしても、今度は、同点に追いつかれたりや逆転されてしまうんじゃないかと不安に駆られます。観戦者が最終的に安堵できるのは、試合終了して自分の応援しているチームが勝ったときだけです。それ以外は、ずーと応援しているチームが負けてしまうかも知れないというストレスを受け続けます。
他にもギャンブルも似たような面を持っているでしょうし、仕事なんかも似たように感じでオーバーワークしてしまう人がいるようです。
私がこの世界を楽しめないのは、それを楽しめないからなのかもしれません。今この瞬間だけを大切にすることを連続して生きている私にとって、一連の流れというものを楽しむ事はできないのです。悪い事のあとにいい事があっても私は終わりよければすべてよしだったとは喜べないのです。いい事と悪い事が独立して存在し続けます。人ごみが嫌いなのも並ぶのが嫌いなのも待つのが嫌いなのも全部生きていくうえでマイナスです。やっとつまらない原因がわかったというのに解決方法が思いつかないのは、どういうことなんだろうね。
しかし、やっと真実に気がつくことができました。混んで並んでいてすぐに食べられないような店は、並ぶ事を含めて長時間並んで最後に料金を払うまでの一連の行動すべてがサービスの一環だったのです。混んでいる店はサービスが優れているから混んでいるのではなく、混んでいるとこで待たされてから飯にありつけるというサービスだったのです。そんなサービス誰が喜ぶんだと思うでしょうが、多くの人間はストレス環境下に置かれてストレスを受ける事で満足感を得られます。さすがにそれだけで完全に満足できる人は少数でしょう。しかし、強いストレスのあとにそれなりのご褒美が与えられると、多くの人は最高に満足してしまいます。それ単体では満足できないようなご褒美でも前にストレスを受けることで満足感が倍増します。
そんなアホな話あるかと思うでしょうが、そのような種類の娯楽が日本には沢山存在しています。例えば、東京ディズニーランドなどはいい例じゃないでしょうか。基本的に混んで長時間ならばなければアトラクションに乗れない時の方が遊びに来る人は多いです。
スポーツ観戦もそうです。まず人が沢山いるスタジアムに行くのがストレスです。その上、観戦するスポーツは最後の最後試合が終わるまでは結果はわかりません。私は球状やスタジアムでスポーツ観戦したこと無いのでわかりませんが、した人の話によると試合が始まると自分の応援するチームが先取点を取られて負けてしまうんじゃないかという不安に駆られるそうです。その予想が当たって先取点を取られたらこのまま負けてしまうんじゃないかと不安に思う。もし自分が応援するチームが先取点を取ったとしても、今度は、同点に追いつかれたりや逆転されてしまうんじゃないかと不安に駆られます。観戦者が最終的に安堵できるのは、試合終了して自分の応援しているチームが勝ったときだけです。それ以外は、ずーと応援しているチームが負けてしまうかも知れないというストレスを受け続けます。
他にもギャンブルも似たような面を持っているでしょうし、仕事なんかも似たように感じでオーバーワークしてしまう人がいるようです。
私がこの世界を楽しめないのは、それを楽しめないからなのかもしれません。今この瞬間だけを大切にすることを連続して生きている私にとって、一連の流れというものを楽しむ事はできないのです。悪い事のあとにいい事があっても私は終わりよければすべてよしだったとは喜べないのです。いい事と悪い事が独立して存在し続けます。人ごみが嫌いなのも並ぶのが嫌いなのも待つのが嫌いなのも全部生きていくうえでマイナスです。やっとつまらない原因がわかったというのに解決方法が思いつかないのは、どういうことなんだろうね。
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