6月12日の日記

2008年6月12日
幸せは与えられるものなのだろうか。最近の人は甘っちょろいのではないだろうか。自由にしろなんにしろそれを得るためには戦って勝ち取るのが基本なはずである。確かに、世の中には運がよくて何もしないでも幸せに暮らしている人もいるだろう。しかしそれが当たり前のことでは無くただ運がよい人だったという事を理解できない人がいるようである。
例えば、最近格差社会だといわれている。そして負け組といわれている底辺の人も増えてきているらしい。彼らは待遇改善の為にどのような行動をしているのだろうか。私が見たことあるのは、弁護士だったりNPOであったりマスコミであったり負け組と関係ない人間がしゃしゃりでてきて、救おうとしている姿しか見たことがない。あまり適当ではないが、ホームレスでさえ待遇改善の為に徒党をくんでバリケードをつくって市役所職員ともみ合う時がある。法律的にどうであれ、自分の待遇改善の為に戦うのは正しいような気がする。しかし、派遣社員とか使い捨ての労働者はどうだろうか。彼らは社会への不満にたいしてどのような行動を起こしているのだろうか。

とある人の自伝を読んでいたら、似たような話が書いてあった。戦後の労働状況もかなり酷かったようである。著者は休みは月1日で12時間労働の2交代勤務で薄給で働いていたそうである。あまりに辛かったので正月休みに実家に帰ったときに恩師に相談しにいったら、労働組合や団体交渉なる権利が労働者にあることを教わったそうである。そして、その恩師は労働組合連合みたいなものを知っているから労働組合の結成をしてもらえるように話をしておいてもらえることになった。そして意気揚々仕事に戻った。しかし待てど暮らせど一向に労働組合連合からの音沙汰がない。ということで、直接、労働組合連合に尋ねていったら、労働組合を作るのはあなた達であって私ではない。私達はその手助けしかしない。と言われたそうである。だから著者は自分達で労働組合を結成したそうである。そして経営者側と戦ったらしい。結果を言えば芳しい成果を挙げることはできなかったみたいである。

ただ指を咥えて人を羨ましがってもしょうがないんじゃないかね。暴力非暴力どちらでもいいけど、現状に不満があるなら戦わないといけないんじゃ無いかね。アニメの主人公でもわかっている事なのに、最近の人は自分で戦う重要性を見失っているんじゃないのかね。

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