もう全然時期を逸してしまいましたが、衆議院選挙の頃の新聞を見ていたら、一票の格差を是正しようとか主張している集団の一面広告がありました。一票の格差は確かに問題かもしれませんが、それを言ったら小選挙区で落選した候補に入った票が死票になってしまう方がよっぽど問題じゃないですかね。前回の自民党が大勝した選挙だと、自民と民主に入った票の差は1割も離れていなかったとか。今回にしても民主6:自民4ぐらいの割合だったみたいです。過去には、総投票数では民主の方が多かったのに、議席は自民の方が多かったという事もあったみたいです。いくらそういう制度だからといっても、一票の格差より問題じゃ無いかね。と思っていたら、政府の見解としては比例の復活当選に惜敗率で小選挙区の票を利用するので小選挙区で落選した重複候補に入った票はは死票としては扱わないらしい。そのために重複立候補は比例の供託金がかからないようにしてるのかね。そのせいで、みんなの党はついでに重複立候補した候補が得票率が10%未満で議席取れなかったらしい。というか、小選挙区での人気と比例での人気は別物じゃないのかね。いくら重複立候補していて、小選挙区で一票も投票されなかったとしても、国会議員は国の事を決めるために選ばれるんだから、より選挙区の広い比例で当選する権利を得られたのならそっちを尊重すべきなんじゃないのかね。国民に選挙制度をまともに見せようとしたせいで、だんだん本質から離れてわけのわからない制度になっていないかね。
そういえば、裁判もそんな気がある。第二次世界大戦後の軍事裁判も裁判と称してはいるが、なかなか酷かったみたいだ。今になって思えば裁判という体をとらないで、勝ち組によるリンチという位置づけでやった方がよかったんと違うかね。
下等だった昔なら選挙して人力で票を数えて議員を決めるしか方法無かったかもしれませんが、今だったらもうちょっとマシな方法で民主主義を実現できるんじゃないのかな。猫も杓子もというか、アメリカから北朝鮮までどこでも選挙している今ってそうとう狂った世界なんじゃ無いかね。多くの人は選挙制度は素晴らしいと勘違いしているようですが、ただ権力者の力を維持しやすいだけの制度なんじゃ無いかね。選挙で負けるのは、権力者の権力の低下を示してるだけで民意の反映とはまた違ったって事はないのかな。あー定期的に入れ替わるアメリカはまたべつなのかな。
そういえば、裁判もそんな気がある。第二次世界大戦後の軍事裁判も裁判と称してはいるが、なかなか酷かったみたいだ。今になって思えば裁判という体をとらないで、勝ち組によるリンチという位置づけでやった方がよかったんと違うかね。
下等だった昔なら選挙して人力で票を数えて議員を決めるしか方法無かったかもしれませんが、今だったらもうちょっとマシな方法で民主主義を実現できるんじゃないのかな。猫も杓子もというか、アメリカから北朝鮮までどこでも選挙している今ってそうとう狂った世界なんじゃ無いかね。多くの人は選挙制度は素晴らしいと勘違いしているようですが、ただ権力者の力を維持しやすいだけの制度なんじゃ無いかね。選挙で負けるのは、権力者の権力の低下を示してるだけで民意の反映とはまた違ったって事はないのかな。あー定期的に入れ替わるアメリカはまたべつなのかな。
コメント