なぜそこらに出没する露出狂って男ばっかりなのかね。少なくともAVの中でしか女性の露出狂を見たことが無い。女の露出狂って実際にはいないのかなと儚い気持ちいっぱいだった。しかし、よく考えてみたら、男の露出狂なんてうわさだけで映像ですら見たことない事に気がついた。しょうがないので私が露出狂になって今の小学生には露出狂に出会う体験をさせてあげようかね。
そういえば、十年ぐらいのスパンで見た場合、11~20年ぐらい前だと、蜂に刺された時は、針が残っていたら針を抜いて、刺されたあとに誰かに直接小便をかけて貰うと気持ちよくなれるという言い伝えみたいなものがあった。もしかしたら、小便をぶっかけるほうが気持ちいいという話だったかも知れない。多分メジャーな話だと思ったんだけど、ここ最近10年ぐらいで考えてみると蜂に刺されたら小便という話をまったく目にしなくなった。実際、衛生面かなんかで見ても小便なんかかけないで水か何かで傷口を洗浄して医者に行く方がいいらしい。10歳以下の子供だと蜂に刺されたら小便という話はまったく知らないのかな。公園で蜂に刺された子供を見かけて小便をかけたら逮捕されてしまうのかね。なんか世知辛い世の中になってしまったね。昔だったら小便かけ放題だったのに。
チェンジザルールという本を知っているだろうか。私は要約が苦手なんだけど、そもそも要約だけでなく意見を伝える事が苦手なんだけど、三行で説明する。
システムが新しくなると、新しいシステムにあったルールが必要になるけれど、多くの人は惰性で古いシステムのルールをそのまま新しいシステムでも使い新しいシステムの能力を100%引き出すことができない。また、もし新しいシステムにあったルールをつくろうとしても、旧システムの限界を基準にルールを創ってしまい、これまた新システムの能力を100%発揮できない事が多いらしい。
わけがわからんが、ルールは絶対ではなく状況にあわせてルールも変更すべきって事なのかな。
信じれないだろうが前置きが長くなってしまった。変更しなければいけない国のルールを見つけたかもしれない。
その昔、日本はなぜ基本授業料無料の義務教育を導入したのだろうか?それは、当時の人たちが教育を受けることを望んでいなかったからではないだろうか。後進国を見ると子供が勉強するなんてとんでもない、働いてもらわないと家計が立ち行かないという例がよくあるように思う。昔の日本もそんな感じだったのではないだろうか。100%とはいわないけれど、多くの一般市民は自分で金を出してまで学校に子供を通わせて勉強させたいなんて思っていなかった。どちらかと言えば子供に勉強より働けと思っていたのではないだろうか。今は多分働けと思っている親が少数派なのではないかな。税金を使う事で国民の意識を変えることに成功した。そのおかげで国民全体の意識が変わって、最低高卒くらいはと思うようになったし、識字率は上がり簡単な計算なら誰でもできるようになった。それと関係あるかわからないけど経済成長もした。
税金の使い方とすれば義務教育は素晴らしい成果をあげたと思う。しかし、時代は変わってしまった。多くの人は、勉強は重要だと思い込み義務教育の学校だけでなく、高校や塾にまで通うようになった。という事は、もう税金を使って義務教育を行なう意義が失われてしまったのではないだろうか。金は無く学校にいけない人の援助ぐらいは必要かもしれないけど、もう一般大衆に無料で学校を提供しなくても一般大衆は勝手に学校に通うのではないだろうか。
同じような事が医療保険でもいえる。後進国では、ちょっと具合が悪くても医療費が高くつくからと我慢して病院にいかない。そしてとうとう我慢できなくなってから医者に行く人が多いらしい。最初から病院にかかっていれば対した事ない病気でも悪化するまで我慢してから病院にいく為に莫大な治療費が必要となり用意できずに治療が受けれず死んでいく。もし、最初から病院にかかっていれば比較的安価で助かる人も死んでいっている。そういった人の意識を改革する為に、健康保険制度ができたのではないだろうか。結果は、世界上位の長寿国になった。早期治療で人の命も助けれて、治療費は安くなったんじゃないかな。医者嫌いな人がへって何でもかんでも医者に行く人が増えて医療費が増え続けている。病院や製薬会社にしても、金が無い貧乏人でも高額な治療を受けれるので無尽蔵に金をかけて医療水準を上げていっている。安い金で早期に治療できる事に健康保険の意味はあるけど、難病を多額の金をかけて治す事に税金を使うのは間違っているのではないかな。だから、日本の社会保障費が上昇し続けている。
そんなこんなで、税金って国民の望みを叶えるために使うのではなく、国民の意識を変えるために使うのが素晴らしい使い方なんじゃないかな。自分の望みなら税金の補助が無くても自分でする。しかし、意識の改革はそう簡単に起こらない。最初は嫌々税金の力でやっている内に頭がおかしくなって、それ無しではやっていけなくなる。そんな分野に税金を使うべきじゃないのかな。
そう例えば露出とかね。裸で出歩くのは気持ちよい行為である。しかし多くの女性は最初の一歩を踏み出さずに露出の快感を知らないまま老いていく。羞恥心という壁をなくせば幸せになれる。その一歩を踏み出させるために税金を使うとかどうだろうか。
そういえば、十年ぐらいのスパンで見た場合、11~20年ぐらい前だと、蜂に刺された時は、針が残っていたら針を抜いて、刺されたあとに誰かに直接小便をかけて貰うと気持ちよくなれるという言い伝えみたいなものがあった。もしかしたら、小便をぶっかけるほうが気持ちいいという話だったかも知れない。多分メジャーな話だと思ったんだけど、ここ最近10年ぐらいで考えてみると蜂に刺されたら小便という話をまったく目にしなくなった。実際、衛生面かなんかで見ても小便なんかかけないで水か何かで傷口を洗浄して医者に行く方がいいらしい。10歳以下の子供だと蜂に刺されたら小便という話はまったく知らないのかな。公園で蜂に刺された子供を見かけて小便をかけたら逮捕されてしまうのかね。なんか世知辛い世の中になってしまったね。昔だったら小便かけ放題だったのに。
チェンジザルールという本を知っているだろうか。私は要約が苦手なんだけど、そもそも要約だけでなく意見を伝える事が苦手なんだけど、三行で説明する。
システムが新しくなると、新しいシステムにあったルールが必要になるけれど、多くの人は惰性で古いシステムのルールをそのまま新しいシステムでも使い新しいシステムの能力を100%引き出すことができない。また、もし新しいシステムにあったルールをつくろうとしても、旧システムの限界を基準にルールを創ってしまい、これまた新システムの能力を100%発揮できない事が多いらしい。
わけがわからんが、ルールは絶対ではなく状況にあわせてルールも変更すべきって事なのかな。
信じれないだろうが前置きが長くなってしまった。変更しなければいけない国のルールを見つけたかもしれない。
その昔、日本はなぜ基本授業料無料の義務教育を導入したのだろうか?それは、当時の人たちが教育を受けることを望んでいなかったからではないだろうか。後進国を見ると子供が勉強するなんてとんでもない、働いてもらわないと家計が立ち行かないという例がよくあるように思う。昔の日本もそんな感じだったのではないだろうか。100%とはいわないけれど、多くの一般市民は自分で金を出してまで学校に子供を通わせて勉強させたいなんて思っていなかった。どちらかと言えば子供に勉強より働けと思っていたのではないだろうか。今は多分働けと思っている親が少数派なのではないかな。税金を使う事で国民の意識を変えることに成功した。そのおかげで国民全体の意識が変わって、最低高卒くらいはと思うようになったし、識字率は上がり簡単な計算なら誰でもできるようになった。それと関係あるかわからないけど経済成長もした。
税金の使い方とすれば義務教育は素晴らしい成果をあげたと思う。しかし、時代は変わってしまった。多くの人は、勉強は重要だと思い込み義務教育の学校だけでなく、高校や塾にまで通うようになった。という事は、もう税金を使って義務教育を行なう意義が失われてしまったのではないだろうか。金は無く学校にいけない人の援助ぐらいは必要かもしれないけど、もう一般大衆に無料で学校を提供しなくても一般大衆は勝手に学校に通うのではないだろうか。
同じような事が医療保険でもいえる。後進国では、ちょっと具合が悪くても医療費が高くつくからと我慢して病院にいかない。そしてとうとう我慢できなくなってから医者に行く人が多いらしい。最初から病院にかかっていれば対した事ない病気でも悪化するまで我慢してから病院にいく為に莫大な治療費が必要となり用意できずに治療が受けれず死んでいく。もし、最初から病院にかかっていれば比較的安価で助かる人も死んでいっている。そういった人の意識を改革する為に、健康保険制度ができたのではないだろうか。結果は、世界上位の長寿国になった。早期治療で人の命も助けれて、治療費は安くなったんじゃないかな。医者嫌いな人がへって何でもかんでも医者に行く人が増えて医療費が増え続けている。病院や製薬会社にしても、金が無い貧乏人でも高額な治療を受けれるので無尽蔵に金をかけて医療水準を上げていっている。安い金で早期に治療できる事に健康保険の意味はあるけど、難病を多額の金をかけて治す事に税金を使うのは間違っているのではないかな。だから、日本の社会保障費が上昇し続けている。
そんなこんなで、税金って国民の望みを叶えるために使うのではなく、国民の意識を変えるために使うのが素晴らしい使い方なんじゃないかな。自分の望みなら税金の補助が無くても自分でする。しかし、意識の改革はそう簡単に起こらない。最初は嫌々税金の力でやっている内に頭がおかしくなって、それ無しではやっていけなくなる。そんな分野に税金を使うべきじゃないのかな。
そう例えば露出とかね。裸で出歩くのは気持ちよい行為である。しかし多くの女性は最初の一歩を踏み出さずに露出の快感を知らないまま老いていく。羞恥心という壁をなくせば幸せになれる。その一歩を踏み出させるために税金を使うとかどうだろうか。
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