5月29日の日記

2010年5月28日 日常
アニメとかドラマって、ちゃんと制作している人達は出来上がって放送される作品を見てるのかね。失敗作と呼ばれる作品は、つくっている人達も大衆にうけないとうすうす気がついているものの、プロジェクトの規模がでかすぎて、やめれないって事があるのかね。私の実感だと、製作にかかわる人数が少なければ少ないものほど、面白い作品に出会いやすい気がする。まあ、駄作もその分沢山あるきがするけど、その辺は、発売日に手に入れようなんて事をせず発売後数年ぐらい時間を置いてからの評価を参考にすれば大はずれもない。

今更ながらに気がついたんだけど、序盤面白くなく見るのが苦痛のアニメでも仕事中に仕事をサボって見ればその苦痛が軽減されるみたいである。仕事より面白ければ、それで満足できるみたいである。まあでも会社で仕事をサボってアニメを見るのは困難なので、何の役にもたたないのだけど。


日本は、もしかしたら先進国は、手に入れた権力に対して責任の取れない社会になっているのではないだろうか。一番身近な例だと、政治家が大きな失敗をした際に、それが違法行為でなかった場合、辞職するというのが最大の責任のとり方ではないだろうか。まあ独裁国家だったら失敗しても何の責任もとらないのでそれに比べればいいのかもしれないけれど。
本当に仕事をやめたぐらいで失政の責任ってとれるのかね。まあ、だからと言ってどういう責任のとりかたならば、政治と釣り合うのかと考えると思いつかない。一族郎党支援者全員死罪ぐらいしか思いつかない。独裁国家とあまりかわらなくなってしまう。
江戸時代だったら、職を失うデメリットが物凄く大きかったから、ペナルティとして成立していたのかもしれない。お家取り潰しなんてなったらもう没落しかない。しかし今の時代、非正規雇用の人達がポコポコ失職している現状から考えて、失職がペナルティにならなくなってきているんじゃないかね。そう考えていくと、責任のとりようがなくなった今、政治家は大きな力を持ちすぎているのではないだろうか。それは待遇にも当てはまる。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索