とても、嬉しい事がこの本にかかれていた。森さんは、もう金を稼いだから本を書かないのかと思ったら少し違うようだった。

森さんは、自分の書いた本が批判される事が最高に嬉しいらしい。ネットで森さんの本を批判している文章を見かけ読み出すと顔がニコニコしてくるほど、自分の作品が批判される事が好きらしい。自分ではそれをあまのじゃくだからと言っていた。しかし、それってただのM男ってことじゃないのかな。まあいいか。
何でも読者の作品を賞賛するような感想は、作者が意図した結果らしい。多くの読者が喜ぶように文章を書いているので作者が意図したとおり喜ぶ読者の感想は、別に貰ってもそんなに嬉しくないとか。逆に、自分が意図した1/10ぐらいの内容で喜ぶ読者を見ると、ああ全ては伝わらないとがっかりすることもあるとか。
反対に、作品を批判する読者は、想定外の切り口から批判してくるとか。物語に出てくる登場人物の性格が気にいらないから何とかしろといわれた事もあるらしい。まあ自分が意図しない意見というものは、批判してくる人が持っていることが多いらしい。作者として活動していく上で、自分が意図しない意見というのは参考になるらしい。
まあそんな感じで、自分の作品に対する批判を拾い上げていたら、その奇人変人ウォッチングが楽しくなったとか。今後も自分にない視点からの批判を求めてスローペースで本を出していくかもしれないらしい。森ファンがしなければいけない行動は、ネットで森さんの作品を批判する事である。

最近、効率が悪いと言っていた新書を多く出版しているのもその辺が理由なのかな。フィクションの批判って難しいものがある。フィクションだからで片付いてしまうものも多く一般の人は批判しにくいのではないだろうか。だから、新書というジャンルに進出して批判を集める事にしたのではないだろうか。
『大学の話をしましょうか』という本では、金をかけて世界の一番を求めないといけないのか、二番でも三番でもいいじゃないか。世界のトップに立とうとしなくても、個人の個人の幸せが満たされるならそれでいいじゃなかみたいな意見が書かれていた。レンホウさんと似たようなニュアンスの発言をしてアンチファンを釣ろうとしていた。
また今作でも、作品をつくるクリエイター側の人間で、2chで自分のつくった作品のアンチスレが読めなかったり、読んでショックを受けるような人はクリエイターに向かないとも言っていた。

批判しやすい釣り針を仕掛けて新しいアンチファンを獲得しようとしているらしい。という事で、森博嗣のファンはこれから森さんの本を読んだらネットに批判的感想をアップする事が求められているみたいだ。それが次作の発表につながる。ファンなのにネットで批判しないといけない。アマゾンにも批判レビューを書かないといけない。

とここまで書いて、もしかして森さんは熱心なアンチファンがそうであるように、ツンデレが好きなのか。
よくわからないので、この辺で。まあ『小説家という職業』という本は、小説家に興味がなく、森博嗣にも興味がない人にはくその役にも立たない本だと思う。もちろん日本語を読めない人にも何の役にも立たない。本を買って積んでおく人の役にも立たない。そんな本でした。



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