1月19日の日記

2012年1月19日 日常
やっぱり、昔話は面白い。今とは常識が違っているらしい。

伊豆大島では、火口へ投身自殺した女学校の生徒を神とあがめていたという昔話を聞いた。その理由が凄かった。伊豆大島は寂れた島だったらしい。また不毛の土地で稲作も出来ず、ヘンテコな芋を主食にして暮らしていたらしい。それが、1933年1月と2月に実践女学校の生徒が火口へ投身自殺というニュースが大々的に報じられてからは、自殺者とそれを見に来る観光客が増えて、島に定期船の航路が結ばれて観光客相手の商売が流行り、本土からコメなどの食料が買えるようになって、島の住民の生活水準が上がったとか。だから、島の住民は、自殺した女学校の生徒に感謝しているらしい。その上である、火口への投身自殺は、自殺した死体を片付けないでいいというメリットもあるらしい。他の自殺の名所がある自治体では、金のない自殺体の処理に税金を投入しており、自殺者はあまり嬉しい客ではないらしい。それが、三原山では、デメリットは無く、観光客を呼んでくれる自殺者を喜んでいたとか。なんなら火口に落ちてる自殺体を見るためのオペラグラスレンタル屋なんてものも存在していたとか。

たかだか80年ぐらい前の話なのに今とは常識が違うね。今の政府も、自殺者を減らすなんて馬鹿なこと言ってないで、電車に飛び込む自殺者を三原山の火口に誘導するにはどうすればいいかを真剣に考えた方がよっぽどマシなんじゃないだろうか。最近、死ぬんだからどうでもいいという人が、毒ガスを撒き散らしたり、電車に飛び込み電車の運行ダイヤを乱して多くの人に迷惑をかけている。そんな風になるぐらいなら、他人に迷惑をかけない自殺法をさりげなく薦めて、自殺者に無意識に働きかける方がいいんじゃないだろうか。そう考えると、完全自殺マニュアルは素晴らしい本だった。あの本を読んで自殺するとしたら首吊りを選ぶと思う。

で三原山の昔話だがどんなもんかとネットで検索したらこんな話がのっていた。
『三原山の火口には自殺志願者と見物人が殺到し、霊岸島から大島へ向かう船は1日150人ほど、休日には 1500人近くもの客を乗せ、2日に1人は自殺志願者が島で保護される始末。中には見物人が「誰か飛び降りる者はないか」と冗談で言ったところ、2人連れの若い男の片方が「俺が飛び降りる」と言って火口に消えたりなど、多くの見物人の目の前での自殺が結構あったという。 』
自殺者の推移にしても、昭和7年の三原山自殺者は9人で未遂が30人だったのに対して、昭和8年には944人に激増したらしい。これは凄いね。
あと、自殺の名所を見ていて思ったんだけど、青木ヶ原樹海はどうかしらないが、それ以外の自然景勝地って自殺が観光客を呼ぶ一番の売りになっているような気がする。これから高齢者向けの観光地を作る人は自殺者を呼び込んで自殺の名所として売り出すのがいいんじゃないだろうか。いうまでも無くその場合、自殺体を自分で処理しなくていいような自殺が行なわれるように誘導しなければならない。




コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索