裁判員制度ってまずは実際の裁判ではなく、再審に関わる裁判から参加にするべきだったんじゃないだろうか。特に、冤罪を訴えている再審にこそ裁判員の力が発揮されるんじゃないだろうか。
裁判所は頑固である。真犯人が自分がしたと自供するか、DNA鑑定が間違っていたなど、過去の裁判所の判断が間違っていた事が公になって、言い逃れできない状況にならないと再審が認められない。
帝銀事件の犯人とか確実に冤罪だと思われる。死刑囚なのに95歳で病死するまで刑務所にぶち込まれていた事からも異常さがわかるだろう。40年近く死刑待ちだったのにそのあいだ誰一人法務大臣が死刑執行を署名しなかった。
何のしがらみもない無関係の一般人がなる裁判員制度で再審をすれば余裕で無罪判決がでるんじゃないだろうか。再審ほど、裁判員が向いている裁判はないと思われるんだけど。
そういえば昭和期の冤罪と疑われる事件って、酷い事件が多い気がする。容疑者の犯行に見せかけるために、警察官が押収した容疑者の服に動物の血をつけて、その血のついた服を証拠としていたみたいな事があったらしい。そのほかにも警察が容疑者をはめるために証拠の捏造が行なわれたと疑われる事例が何個かあるようだが、それを行なった警察官が捕まった事は一度もないようである。
よく、街頭カメラ設置などに対して管理社会だなんだと国家警察の力の範囲が広まることを恐れている人がいるが、昭和期を生きた人にしてみれば、警察は信用できないと思っていても仕方がないのかもしれない。最近はそうひどい事はないと思われるが、過去の反省をしていない点で心象を悪くしているのだろう。
裁判所は頑固である。真犯人が自分がしたと自供するか、DNA鑑定が間違っていたなど、過去の裁判所の判断が間違っていた事が公になって、言い逃れできない状況にならないと再審が認められない。
帝銀事件の犯人とか確実に冤罪だと思われる。死刑囚なのに95歳で病死するまで刑務所にぶち込まれていた事からも異常さがわかるだろう。40年近く死刑待ちだったのにそのあいだ誰一人法務大臣が死刑執行を署名しなかった。
何のしがらみもない無関係の一般人がなる裁判員制度で再審をすれば余裕で無罪判決がでるんじゃないだろうか。再審ほど、裁判員が向いている裁判はないと思われるんだけど。
そういえば昭和期の冤罪と疑われる事件って、酷い事件が多い気がする。容疑者の犯行に見せかけるために、警察官が押収した容疑者の服に動物の血をつけて、その血のついた服を証拠としていたみたいな事があったらしい。そのほかにも警察が容疑者をはめるために証拠の捏造が行なわれたと疑われる事例が何個かあるようだが、それを行なった警察官が捕まった事は一度もないようである。
よく、街頭カメラ設置などに対して管理社会だなんだと国家警察の力の範囲が広まることを恐れている人がいるが、昭和期を生きた人にしてみれば、警察は信用できないと思っていても仕方がないのかもしれない。最近はそうひどい事はないと思われるが、過去の反省をしていない点で心象を悪くしているのだろう。
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