9月11日の日記

2011年9月11日 日常
最高裁判所が政府の傀儡だという話を聞いてから法律に興味がなくなっていた。過去に最高裁で国が敗訴した裁判があったかもしれないが、それさえ事前に国に伺いをたてた上での国敗訴らしい。国というか政府にしても世論などを見て、確実に国が過去に行なった事が悪いという風潮をうけて国が敗訴を認めて最高裁判所は国を敗訴にするんだとか。
まあいうなれば、国の敗訴は、国民のガス抜きのために行なうパフォーマンスみたいなもの、憲法がどうしたとか関係ないらしい。

暴力団排除条例というものが最近話題になっているが、この条例って物凄く危険なんじゃないだろうか。暴力団対策法が出来たころは、まあそんな法律があっても仕方が無いかもしれないと思ったが、暴力団排除条例は、一時話題になった人権擁護法案以上に危険じゃないのかね。

何が危険って、暴力団排除条例で規制の対象となる暴力団関係者の定義が不明瞭な事だろう。まあ、指定暴力団員だったら誰でも暴力団関係者だと納得できると思うが、それ以外、企業舎弟や準構成員なんてなるともう訳がわからない。それに加えて、企業舎弟や準構成員と関係を持っていても暴力団関係者とみなされる場合があるらしい。その上、ある人が暴力団関係者かどうかを決めるのが警察という事になっているらしい。もし将来警察の腐敗がすすんだらどうなるだろうか。身内を暴力団関係者にしたくなければ賄賂を払えという事になっていくんじゃないだろうか。身内が暴力団関係者に認定されれば自分は身内(暴力団関係者)に利益を供与したという事で逮捕されてしまう。何が危険って暴力団関係者と関係を持った人も暴力団関係者に認定できるてんだろう。友達の友達はみんな友達という言葉があるように、知り合いの知り合いはみんな暴力団関係者ってこじつけもできるんじゃないだろうか。

今まで生きてきた経験で、警察官と暴力団員どちらにより多く金を取られたか考えてみれば潜在的に危険なのはどちらかわかるだろう。普通に生きていればそうそう暴力団に金を払う事なんてないだろう。まあいいか。

暴力団排除条例って拡大解釈すればいくらでも誰でも逮捕できる条例のような気がするけど、だいじょうぶなんだろうか?とりあえず、警察が捜査するのに、警察が暴力団関係者かどうかを判断するシステムは危険極まりないと思うんだけど。

9月5日の日記

2011年9月5日 日常
お好み焼きが食べたくなった。ただ、外に出るのもだるいし、家で作るのもだるい。手軽にこの欲求を満たすにはどうすればいいか考えた。

考えに考えた結果、お好み焼きって結局の所、お好み焼きソースの味とマヨネーズの味しかしないということに気がついた。あと風味付けに鰹節がかかっているぐらいだろうか。という事で、鰹節にお好み焼きソースとマヨネーズをかけて食べてみた。そしたら、お好み焼きの味がした。これはいいと思ったものの、出来たものは、食べ物ではなくソースである。腹いっぱい食べたら塩分の取りすぎになってしまう。
そこで、お好み焼きといったらキャベツだろうという事で、キャベツの千切りにかけて食べる事にした。それが大失敗だった。生のキャベツはシャキシャキして水っぽくて、どうもお好み焼きの味に合わなかった。

まあ作ってしまったからにはしょうがないので全部食べたのだが、あまりの不味さにここで私のやる気スイッチが切れてしまった。
もし、今度お好み焼きが食べたくなった場合は、一度キャベツをレンジで温めてから、お好み焼き味のソースをかけようかと思う。それでダメだったら、キャベツと並ぶお好み焼の主成分である小麦粉を追加する為に、パンに温めたキャベツをはさんでお好み焼き味のソースをかけて食う予定である。
手軽にしたかったのに、だんだん面倒くさい方向に行ってしまうのは何でだろうか。健康なんて無視して、塩分取りすぎ承知でソースだけを舐めるべきだったのかな。

9月2日の日記

2011年9月2日 日常
終戦の時、責任問題になると海軍の幹部の人たちは重要書類を片っ端から燃やして破棄していったらしい。戦後、朝鮮戦争が起こったり冷戦だったりで、海軍のトップはそのまま自衛隊の幹部になったり官僚になったりしたらしい。また、海軍は東京裁判対策のために口裏あわせの指導なんかも行ない、海軍の上の方は誰一人死刑にならなかった。問題になるような資料は全て破棄されて、裁判で証言をする人は口裏をあわせて、現地の隊長だったりすでに戦死した軍人の独断だった事にして、全責任を押し付けてまくひきをはかりそれが成功した。
まあ戦後も要職に残った人たちは、自分達を正当化するため、また重要書類は片っ端からなくなってる事をいい事に、自分達の都合のいいように歴史を語りそれが、日本の戦中の歴史になったとか。

たった60年前の事なのに、当てにならない事が多いそうだ。いくら名誉や地位を持った人達でも終戦間際、自分達に都合の悪い書類を破棄したような人たちの発言を信じるなんて、妄信的やすぎないかね。
太平洋戦争中から2ちゃんねるがあったら、山本五十六なんか今とは評価が180度違うような気がする。山本五十六さえいなければ、真珠湾攻撃なんてせずに早めに方向転換して自重できたんじゃないかな。


8月29日の日記

2011年8月29日 日常
昨年の今頃とか、地デジ移行に向けてどの時期にテレビを買い換えるのがお得なのか?みたいな特集をいろいろなテレビ番組がしていた。しかし、地デジ移行後をすすめている専門家は1人もいなかった。現状を見ると、地デジ特需が終了して在庫がだぶつき今テレビが安くなっているらしい。

まあテレビ番組なので、テレビが見れない空白期間ができるような事はおすすめ出来なかったんだろうけど、テレビ買い替えは遅らせれば遅らせるほどいいってのが結果だったように思う。

8月28日の日記

2011年8月28日 日常
知り合いのパチンコ依存症はみんな痔もちなんだけど、痔に優しいパチンコ屋っていうのを聞かないのはなんでだろうか。
そういえば、知り合いはみんなあんまりパチンコ屋に歓迎される客でもなさそうだった。

一秒で解決してしまった。

まあそれは別にしても、椅子以外の形態のパチンコ屋があってもいいんじゃないのかな。
ふと思ったんだけど、この国は大丈夫なのかね。島田紳助さんの引退の経緯を見てておもったんですけど、直筆の手紙だとか暴力団幹部の家族と島田紳助さんが写った写真を見たと言っている捜査関係者ってなんなのかね。普通に考えたらこれは公務員の守秘義務違反に当たるんじゃないのかね。ネットのニュースでは、
『この家宅捜索は府警が競売入札妨害事件に関連して行ったもので、写真や手紙は事件との関連をうかがわせるものではないとして押収していない。』
と書かれていたから、ただ家宅捜索して知ったプライベートな情報をマスコミに語っているって事になりませんかね。対暴法で暴力団関係のプライバシーとか無しにしてるのかね。もっと言えば、暴力団の幹部の家を家宅捜索した時に見つけた手紙がなぜ島田紳助さんの直筆だとわかったんだろうか。押収して筆跡鑑定でもしないと誰が書いたかなんてわからないだろう。見つけた手紙の差出人が島田紳助か本名かわからないが、その名前が書いてあったというだけじゃないのかね。
まあ、近日中に暴力団がらみの事件で島田紳助さんが逮捕されるんなら、その捜査の一環の情報だったという事になるかもしれませんが、そうじゃない場合家宅捜査で入った警察官が令状とは関係ない違法性の無い情報を入手してマスコミに流したなんて事になると、それは、暴力団と付き合っていたよりももっと重大な問題のようなきがする。

まあ日本には正常に機能する司法はないので別に警察官が違法行為をしたって関係ないのかね。

8月24日の日記

2011年8月24日 日常
字がまぎらわしいので、名前をよく知らないが島田しんすけさんが芸能界を引退したらしい。
ネットでは歓迎の声があふれていた。
年収が億を超えるような高給取りが何のしがらみもなくいきなりスパッと仕事を辞めれるなんて、それは本人にとってかなり幸せな事だと思う。視聴者も本人も嬉しい出来事なのかな。中には仕事で人付き合いをしていたいと思う人もいるかもしれないが、島田さんはそんなタイプじゃないだろう。前に、吉本興行の社員に暴行した時は、引退を引き止められたらしいが、今回は違法行為もないのに道義上の責任で引退何か裏はあるのかな。っていうか暴力団関係者との交際が問題視されたらしいけどこれは、某大手プロダクションに対する攻撃なのかな。
某大手芸能プロダクションは暴力団関係者が社長をしているといわれている。暴力団との交際がダメなのなら、社長が暴力団ならもう完全にだめだろう。

あと、島田さんは暴力団との交際が芸能界にとって致命的なダメージになることを知らなかったと言っていた。しかし、ルールはルールなので責任をとって引退するとも言っていた。しかし、ルールって基本的には明文化されたものを言うんじゃないだろうか。芸能人が暴力団と交際してはいけないという決まりを書いた文章なんてどこかに存在するのかね。よくわからん。本当に暴力団と付き合いのある人をテレビからしめだしていったら、誰が得をするのだろうか。

それしても50歳半ばで、資産は十分あって、ドロップアウトである。もう今日から毎日休日だ。たぶんこれから、常夏の島のカフェで年がら年中遊んで暮らすんだろう。うらやましすぎる。なんなら、石垣島に線路をひいて鉄道模型で遊んだりするのかな。


8月22日の日記

2011年8月22日 日常
24時間テレビを見ていてとんでもない優れた事をひらめいた。5億円分くらいの価値のある発想だと自認する。たぶん優れた発想なのでネットで検索すれば私より早く気がついた人が自画自賛していると思われるので、ネットで検索はしていない。もし私が世界初の思いつきだったら、誰かお金をくれないかな。

思いつきは24時間テレビのTシャツの背中を見ていた時である。背中には=というソフトバンクマークが印刷されていた。
なんで、コンセントって「┃┃」このような方向なのだろうか。もしコンセントが90度回転して「=」の向きだったら、こっちの方が都合がいいのではないだろうか。コンセントで問題といえばトラッキング火災だと思う。「┃┃」この形の上にホコリが積もって水分含んで漏電するから火事になるわけである。もし「=」この形だったら、片方の端子にしかホコリが溜まらないので、ホコリがつもって水分を含んだとしてもトラッキング火災になる可能性はかなり減るのではないだろうか。もっと言えば、「┃┃」この形だから、コンセントは上下方向にはゆとりがありぐらぐらゆれて隙間ができる。しかし、左右方向にはがっちり噛みあっててあまりゆれない。すなわちコンセントの方向を「=」にすれば、左右には遊びがあるが、上下には遊びがなく、揺れず上下方向に隙間のできないコンセントになるんじゃないだろうか。ただ、コンセントの方向を「┃┃」から「=」に変えるだけでトラッキング火災を防げるのなら、トラッキング火災がおきそうなコンセントは「=」にしたほうがいいんじゃないだろうか。このひらめきどうだろうか。
あーあもしコンセントが作られた時に私がいれば、世界初のひらめきで小金持ちなれたのになあ。私は伊達政宗と同じで生まれてくるのが少し遅かったようだ

8月21日の日記

2011年8月21日 日常
24時間テレビで『生きてるだけで なんくるないさ』というドラマをしていたらしい。新聞の見出ししか見てないので、どんなドラマかしらないが新聞の見出しでは主人公が世の中不公平だよねとかたるシーンがあったらしい。考えてみたら、公平なんてものは人間がつくったもので、人間の力が及ばない所は全て不公平で当たり前なんじゃないのかね。

前から思ってたんだけど、ほっておけば死んでしまうような重病にかかった患者ってのは、中古車市場で販売されている事故車みたいな存在なのではないだろうか。一般的にそういった車はレモンと呼ばれているらしい。
今の医学って重病を治療したって、完璧病気の前の状態に戻せるわけじゃない。ただ対処療法で目に見える不具合を見えなくするだけである。目に見えなくなったから普通の状態に戻ったわけではなく、不具合を抱えているけどとりあえずは目に付かない状態である事が多いと思う。
多くの人は、重病にかかって完治して、また重病にかかると、なぜ?と思うみたいだけど、結局一度重病にかかってしまった人はもう完治しても一般人とは違うという自覚を持ったほうがいいんじゃないだろうか。重病を完治した人って中古車市場のレモンと同じ位置にいる気がしてならない。

8月18日の日記

2011年8月18日 日常
ちょっと怖い話を聞いた。
テレビでブームと紹介されるもののうち、1クールというのか1シーズンというのか四半期というのか、三ヶ月というのかわからないがそれぐらいの期間でブームが収束するようなものは、広告代理店が仕掛けた見せかけ上のブームらしい。
流行語大賞なんてのがそうだろう。だから、広告代理店がプッシュするのを止めたとたんブームは終わってしまう。と言うか始まってすらいないのかな。まあ、やる気を出せばなんでもブームにできる広告代理店は凄いのかね。なでしこジャパン押しもそろそろ終わりなのかな。

もしかしたら、原発事故や放射能問題ってのも広告代理店が仕掛けたブームの一環なのかもしれない。もうちょっと時間がたったら何もなかったようになったらいいな。

8月17日の日記

2011年8月17日 日常
地上波アナログ放送が終わって、自分の部屋ではまったくテレビを見なくなってやばい事に気がついた。多くの趣味人がテレビは時間の無駄だといってテレビを見ていない。テレビを見なくなった人は口をそろえてテレビを見ていた時間は無駄だったと言っている。
私もテレビを見るのをやめたらテレビを見ていた時間が浮くと思っていたのだが、それは間違いだった。テレビを見るのをやめてかわりに有意義な時間をすごせるのは、何かしたいことがある人だけなんじゃないだろうか。ここ4日ほど盆休みで部屋にいたのだが、ほぼ全ての時間を寝ていたかウトウトすることに使ってしまった。寝すぎて体がおかしくなって、やっと寝る以外の事に取り組めると思っていたら休みも終わっていた。
物凄く当たり前の話だが、テレビを見るのをやめて時間をつくって有意義に過ごせるのは、何か有意義に時間を潰せる趣味を持った人だけだ。ただ死ぬのを布団で横になって待っているような人は、テレビを見ようが見なかろうがどっちにしろ無駄に時間を消費して死ぬのを待つだけだ。

8月15日の日記

2011年8月15日 日常
よし、休みだから大量にブログ更新するぞと思っていたので時系列が変になっているかもしれない。思っただけで何も更新できなかった。
もしかしたら嬉しい事があったかもしれない。ブログ上の前日14日のブログで森先生のことを書いた。
アクセスログを眺めていたら、

2011年8月16日 7:22 http://www.google.com /search?q=森博嗣&hl=ja&rlz=1G1GGLQ_JAJP370&prmdo=1&tbas=0& amp;tbs=qdr:d&prmd=ivnsbo&ei=jpxJTri6A_HjmAWWz4CgCA&start=10&sa=N (*.so-net.ne.jp, Mozilla/5.0 (Macintosh; U; Intel Mac OS X 10_4_11; ja-jp) AppleWebKit/533.19.4 (KHTML, like Gecko) Version/4.1.3 Safari/533.19.4)


このようなアクセスログが残されていた。16日に来た唯一のアクセスである。日本語が読めて、ソーネットのプロバイダーを使用していて、PCはマックを使っていて、最近更新された森博嗣の語を含んだページに興味がある人なんて日本中に何人いるだろうか。5%ぐらいの確率で、自分の本に関する感想を収集している森先生がらみのアクセスじゃないのかと思ったんだけどどうだろうか。
もしそうだとしたら、昨日のブログは失敗だった。ぐーたらしてないでもっとちゃんとしておけばよかった。
確認のために、2chの森さんのスレを見てきたが森さんが使っているブラウザやそのバージョンを考察しているような人はいなかった。これ以上調べようがないのできょうはこのへんで。

そういえば、世田谷ベースという番組を見ていて思ったのだが、所さんと森さんってのは物凄い存在が近い感じがする。実は同一人物なんて事があるかもしれない。
とても、嬉しい事がこの本にかかれていた。森さんは、もう金を稼いだから本を書かないのかと思ったら少し違うようだった。

森さんは、自分の書いた本が批判される事が最高に嬉しいらしい。ネットで森さんの本を批判している文章を見かけ読み出すと顔がニコニコしてくるほど、自分の作品が批判される事が好きらしい。自分ではそれをあまのじゃくだからと言っていた。しかし、それってただのM男ってことじゃないのかな。まあいいか。
何でも読者の作品を賞賛するような感想は、作者が意図した結果らしい。多くの読者が喜ぶように文章を書いているので作者が意図したとおり喜ぶ読者の感想は、別に貰ってもそんなに嬉しくないとか。逆に、自分が意図した1/10ぐらいの内容で喜ぶ読者を見ると、ああ全ては伝わらないとがっかりすることもあるとか。
反対に、作品を批判する読者は、想定外の切り口から批判してくるとか。物語に出てくる登場人物の性格が気にいらないから何とかしろといわれた事もあるらしい。まあ自分が意図しない意見というものは、批判してくる人が持っていることが多いらしい。作者として活動していく上で、自分が意図しない意見というのは参考になるらしい。
まあそんな感じで、自分の作品に対する批判を拾い上げていたら、その奇人変人ウォッチングが楽しくなったとか。今後も自分にない視点からの批判を求めてスローペースで本を出していくかもしれないらしい。森ファンがしなければいけない行動は、ネットで森さんの作品を批判する事である。

最近、効率が悪いと言っていた新書を多く出版しているのもその辺が理由なのかな。フィクションの批判って難しいものがある。フィクションだからで片付いてしまうものも多く一般の人は批判しにくいのではないだろうか。だから、新書というジャンルに進出して批判を集める事にしたのではないだろうか。
『大学の話をしましょうか』という本では、金をかけて世界の一番を求めないといけないのか、二番でも三番でもいいじゃないか。世界のトップに立とうとしなくても、個人の個人の幸せが満たされるならそれでいいじゃなかみたいな意見が書かれていた。レンホウさんと似たようなニュアンスの発言をしてアンチファンを釣ろうとしていた。
また今作でも、作品をつくるクリエイター側の人間で、2chで自分のつくった作品のアンチスレが読めなかったり、読んでショックを受けるような人はクリエイターに向かないとも言っていた。

批判しやすい釣り針を仕掛けて新しいアンチファンを獲得しようとしているらしい。という事で、森博嗣のファンはこれから森さんの本を読んだらネットに批判的感想をアップする事が求められているみたいだ。それが次作の発表につながる。ファンなのにネットで批判しないといけない。アマゾンにも批判レビューを書かないといけない。

とここまで書いて、もしかして森さんは熱心なアンチファンがそうであるように、ツンデレが好きなのか。
よくわからないので、この辺で。まあ『小説家という職業』という本は、小説家に興味がなく、森博嗣にも興味がない人にはくその役にも立たない本だと思う。もちろん日本語を読めない人にも何の役にも立たない。本を買って積んでおく人の役にも立たない。そんな本でした。



8月13日の日記

2011年8月13日 日常
うらぼんという言葉を、裏盆だと思っていた。裏本みたいな感じかなと思っていた。そしたら字からして違っていた。盂蘭盆というらしい。まあ盆に興味が無い、ただ会社が休みというそれだけしか、思うところがないのでこれ以上書きようもないんだけど。

そういえば、とても嬉しい事があった。
物理の世界では、100度の水と10度の水を同量混ぜると温度は大体平均に近づく。しかし経済の世界では、100万円持った人と10万円持った人が、金を賭けて結果が収束するまで勝負を行なうと、平均でお金を分け合うのではなく110万円と0円になる。

まあこのような小話を昔見かけたのだが、それを見た場所が思い出せなかった。また、これを何とか効果というらしいんだけどそれも思い出せなかった。昨日、「アンチ・ハウス」というアンチ巨人ファンの人が書いた本を読んでいたら、同じ小話が載っていた。マタイ効果というらしい。感動的だ。ネットで検索してもわからなかったのに、うろ覚えの小話と同じ話が本に載っていた。久しぶりに本を読んでいて感動した。
それにしても、ネットで探しても見つからなかったのに。うろ覚えが悪いのかと思って本に載っていた通りの言葉で検索してもネットでは見つからなかった。たぶん、どこかに出典元がありそうなんだけど、将来電子出版が盛んになって著作権が駄々漏れ状態になれば、このような状態も少しは改善するのかな

8月9日の日記

2011年8月9日 日常
今、天下分け目の戦いが行なわれている。テレビとネットの戦いである。
具体的には、花王と鬼女が代理戦争している。というか鬼女が一方的に攻めているだけである。この結果次第では日本は大きく変わってしまうかもしれない。

KKKという団体がアメリカにあった。見せしめ的に100人ぐらいの黒人を殺したら、それから20年ぐらい何千万、もしくは何億人にものアメリカにいる黒人の行動を制限することに成功した。100人というのは、下手をすればギャングの抗争で半年に死ぬぐらいの青年黒人の数である。もしかしたら記憶違いで30人ぐらいだったかもしれない。殺した人数とそれに影響を受けた範囲を考慮するとKKKにとって物凄い効果的な殺人だったと言われている。
日本のマルコポーロという雑誌が廃刊になったことがあった。原因の根源は赤字雑誌だったというのがあるみたいだが、きっかけはマルコポーロに載ったナチスは毒ガスでユダヤ人を虐殺してないと言う記事とアメリカにあるユダヤ人団体の抗議らしい。
物凄い日本的な結果になっている。ユダヤ人団体は、日本だけでなく全世界の企業にマルコポーロの発刊元である会社への広告を止めるように言ってまわったらしい。そうしたら面白いことが起こった。外国の企業の多くはそれを無視して広告を続けたらしい。日本企業は、そういう話題を聞いて一斉に広告を止めたとか。ただ発行元はほぼ日本の企業の広告でやっていたので一気に経営が傾きそうになったとか。

という事で、今回の花王と鬼女の戦いだが、鬼女は花王の不買運動と合わせて同業他社の製品をかわりに購入しだすと効果的である。花王の製品を買うのを止めて廉価で売っているPB商品や中小企業の商品に乗り換えただけでは、効果は限定されると思う。この結果がでるのは、花王の四半期の売り上げ発表だと思う。一人負けといわれるような、一社のみ減収減益で同業他社は増収増益なんて目に見える結果がでれば、もう他のスポンサーは、鬼女が噛み付く番組やテレビ局に広告を出せなくなる。テレビに広告で金を出すrとシェアが落ちるなんて状況になったら、テレビに不祥事を追求されたくないという脛に傷を持ったような、後ろめたい企業しか広告を出さなくなるだろう。そういった認識が広まれば今以上にテレビでCMを流している企業は胡散臭いというイメージがつきもうどうしようもなくなる。
今回は韓国のテレビ番組がきっかけだったが、危険なのはこれからである。テレビ局もアホでは無いので、これからは鬼女に目をつけられるような番組は事前に取りやめるという事になるだろう。それはしだいに鬼女がどうこうではなく、テレビ局がイメージする鬼女がどう思うかで自主規制をはじめるので、鬼女なんて関係ないところで、保身したい幹部が波風立ちそうなものは全てダメという判断につながり、行き着く先は、鬼女が絶対見ない番組作りをしようということになってオタク向けアニメしか放送されなくなるんじゃないだろうか。オリコンのランキングにつづきテレビ番組までオタクのおもちゃになる日がそこまで来ているのかもしれない。

まあ全ては今回の戦いの結果次第。もしかしたら結果に関係なく空気を読むのが好きな日本では今回の騒ぎですでに変化が始まるかもしれない。こういうのを時代の流れというのだろうか

8月8日の日記

2011年8月8日 日常
この話は書いたことがあっただろうか。

未成年の飲酒とか喫煙は、禁止されていてしてはいけないと思っている人が沢山いると思う。確かに法律でも、未成年は飲酒や喫煙してはいけないと書かれている。しかしである、驚く事に、未成年者が喫煙や飲酒をしてもそれを罰する法律はない。ただ、飲酒は禁止、喫煙は禁止と法律ではなっているが、飲酒していたから罰金とかそういう法律はないみたいだ。もっと適切な例がある気もするが、未成年の飲酒や喫煙は違法ダウンロードと同じ扱いみたいである。まあやりたきゃやればいい。

ただ勘違いしてはいけないのは、未成年者が喫煙や飲酒を行なうのは勝手だが、その他の人がそれを許容するのは、罰則付きのある犯罪だという事である。未成年者に、酒やタバコを売ってはいけない。保護者など監督責任のある者が、未成年者が飲酒や喫煙をしているのを知った場合は、殺してでもやめさせないと罰金である。ここは、大麻の使用と同じ扱いである。未成年者が誰にも見つからず、喫煙や飲酒をするのはいいけれど、見つかってはいけない。

実際、高校生が喫煙しているのを警察官が発見しても、警察官は、タバコやライターを没収するだけで、それ以上どうこうされる事は無い。警察官は法律に従って、喫煙は止めさせるが、喫煙する高校生を捕まえる事はできない。まあタバコの入手経路を聞かれるかもしれないが。

未成年の飲酒や喫煙は、するのは勝手だがさせるのは犯罪という不平等な法律になっているので気をつけましょう。

8月7日の日記

2011年8月7日 日常
がんの発見経路は「偶然」が1位 検診や人間ドックの約3倍
がんの「発見経路」のデータを見ると、「がん検診」が全体の7.7%、がんの発見を目的としない「健診・ドック」が8.0%、他の疾患を治療中・経過観察で偶然発見された「経過観察」が25.0%となっている。


yahooニュースに面白い記事が載っていた。抜粋すると上記のようなことが書かれていた。これだけ見ると、病弱でいろいろ病気を持っている人の方が、がん早期発見の可能性は高いみたいだ。全く健康で、病院にかからずガン検診だけ受けている人より、病弱で病院通いしている人のほうが三倍もガン発見の可能性が高まるとは。健康な人ほどあっさり死ぬって感じなのかね。

と思ったけど、やっぱり違うかもしれない。あまり言われていないが、ガンは空気感染する病気である。だから、病院にしょっちゅう通っている人は、ガンウイルスを吸い込んでガンになる可能性が病院に全くいかない人よりも高くなる。病院に通っているからガンになって病院に通っているからそれを早期発見しているだけかもしれない。病院のマッチポンプだ。

8月6日の日記

2011年8月6日 日常
マルコポーロ廃刊のいきさつをウィキペディアで見ていたら面白い発言がのっていた。

注目すべき事実として、こうした騒動の中で、イスラエル大使館の行動は慎重で、イスラエル大使館は、SWCとは距離を置いていた。『マルコポーロ』廃刊が決定された直後、『週刊現代』の取材に対して、イスラエル大使館は次の様にコメントしている。
「これが原因で、強大なユダヤの力によって雑誌を廃刊させたなどといわれ、ユダヤに対する偏見を助長させないかと心配しています」(『週刊現代』に対するイスラエル大使館のコメント)」(『週刊現代』1995年2月18日号より)

なんか、素晴らしい発言に思える。実際私は、フジテレビに対する抗議活動の参考にユダヤ人は使えないかと、マルコポーロ廃刊のいきさつを見たわけで、イスラエル大使館が危惧したとおり、私は今まで社会の大企業をあやつる強大なユダヤ人パワーでマルコポーロをふっとばしたんだと思っていた。

8月3日の日記

2011年8月3日 日常
最近読書のし過ぎで頭がおかしくなってきた。お前は前から頭がおかしいと思ったあなた、一度耳鼻咽喉もん科の診察を受けることをお勧めします。

時期が時期だけに、あー昔は読書感想文なんて意味不明な宿題をやらされたことを思い出した。今思い返してみると読書感想文は意味不明の行いである。読書の感想って言ったら大きく分けて、面白かったか面白くなかったの二通りしか無いだろう。文中のどこかを抜粋してここが面白かったなんて言える作品は、面白くない。だから作家でも無い限り、面白かったか面白くなかった以上の意味のある感想を書くのは難しいと思った。お笑い芸人の物を食べたリアクションのようなバリエーションが求められているのだろうか。よくわからない。

意味がわからないのでネットで調べたら、読書感想文は少年読書感想文全国コンクールなる賞レースが後ろにくっついた競技会らしい。提出された読書感想文は、ちゃんとした決まりに従って評価されるらしい。とりあえず、『「あまり面白くない」「陳腐なストーリーである」「興味が湧かない」』などの否定的表現は禁句らしい。賞レースに勝つためには、読んだ本が面白くなかったら面白いと思う本を探すが面白かったと嘘を書かないとスタートラインにすらたてない。また、読書感想文といいながら、読書の感想も書いてはいけない。必要なのは自分の体験と本の内容の融合である。嘘でもいいから、取り上げた本の中で友達が死ぬ話なら、自分も友達を失った経験があると書かないといけないらしい。本と同じ環境の自分、本を読んで影響を受けて変わる自分というものを書いていくと高評価らしい。また内容も評価の対象で、道徳的に優れたものしか評価されないらしい。
いくら作中に盗んだバイクで走りだす描写があったとしても自分もバイクを盗んで乗り回していたなんて書こうものなら、そこで賞レースから蹴落とされてしまう。
ここまで読めばわかると思うが、図書を選ぶ所から戦いがはじまっている。ミステリーなんて題材にしようものなら、自分が人を殺すか、知り合いが殺された、もしくは自分の父親が警察官で子供の自分が犯人逮捕のために親に入れ知恵したエピソードが必要になってくるので非現実になってしまう。

ということで、コンクールを狙うんだったらルールがあるということを知っていた方がいい。読書の感想からかけ離れたルールなんだから、読書感想文という名称自体を変えたほうがいいと思うんだけど。
コンクールを狙わないんだったらなんでもいい。ただ、駄文でボリュームを膨らませておけばいい。読んだ本がなければ去年自分が書いた読書感想文を自費出版したことにしてそれの観想を書けばいい。来年は、読書感想文を読んだ感想文の感想文を書けばいい。基本的にこれだったら作者が自分なのでべた褒めしておけばいい。小2からはじめれば、高3の夏には、冒頭の本の紹介部分だけで規定枚数までかけるかもしれない。


8月2日の日記

2011年8月2日 日常
映画が公開されてからコクリコ坂からという映画の評判を全く聞かない。公開前はそこそこテレビで見かけていたんだけど。ゲド戦記の時は、批判だったけど公開後も意識しなくても評判を聞くことがあった。多くの邦画と同じように話題にもならない映画になってしまったのかな。ジブリの世代交代うまくいくのかね。
はやおちゃんも心が狭い気がする。はやおちゃんがつくった映画をごろうちゃんの作品として公開して、ごろうちゃんのつくった映画をはやおちゃんの映画として公開してれば、はやおは老害だ、最近のはやおちゃんの映画は面白く無い。監督としての賞味期限は切れた、早くごろうに代替わりすればいいという風潮がでてくるんじゃないだろうか。その後も何本かごろう名義ではやおちゃんが映画を作ってごろう名義の実績づくりをしていれば、客の脳みそはだんだん溶けてきて映画が面白いかじゃなく、ごろう監督だから面白いと思うようになって、はやおちゃんが死んでからも何とかやっていけると思うんだけど。息子に映画監督を継がせたいのなら、自分名義に汚名を着せて、息子名義を盛り上げる努力が必要じゃないのかね。

コクリコ坂からの主題歌を歌っている歌手の名前が手嶌葵というらしい。なんか聞いたことある名前だなと思ったら、ゲド戦記の主題歌も歌っていたらしい。ジブリ作品で複数作品の主題歌を歌う人なんていたかな。両作品とも宮崎吾朗さんが監督してるとか。すわ枕営業と思った私の思考はもう終わっているかもしれない。

ごろうごろうと名前を読んでいて、そんなネガティブなイメージがなかったんだけど、何でかなと思い返してみて理由がわかった。ごろうと言えば谷口悟郎がいたからだ。もう、谷口悟郎をはやおの息子として売り出せばいいんじゃないだろうか。
これでジブリもロリコンアニメから脱却して腐女子アニメへと進化でき時代の最先端をいけるんじゃないだろうか。

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