3月1日の日記

2011年3月1日 日常
そういえば、マスコミはひどいと言うか物凄い即物的で笑ってしまいました。石川県で主婦が行方不明になって後に砂浜で死体になって見つかった事件で、行方不明の間は、全然主婦の写真や名前を公開していなかったのに、死体が見つかったとたん名前も写真も公開しだして、行方不明と死亡の扱いの落差になんともいけない気分になりました。


2月28日の日記

2011年2月28日 日常
大学入試でのカンニング対応について、私の認識と報道されている内容が違っているのは、なんなのかね。
大学入試で試験官をしていた人がテレビにでて、テスト中にテスト以外の行為をしていると目立つので携帯電話を使ってカンニングしていたらすぐにわかると言っていた。
そんなまじめな試験官もいるのかもしれないが、試験官という行為に興味ない試験官もいるんじゃないのかね。私が聞いた話では、カンニングペーパーを持ち込むようなレトロなカンニングをしていそうな人を発見したとしても、確実にカンニングをしていると確認できた上に試験官がやる気がある場合のみ摘発されると言う話を聞いた事があったと思う。多くの試験官は、カンニングしていると思われる人の周りを頻繁にうろつく事でプレッシャーをかけてカンニングを抑止するのが関の山。なぜかと言えば、パチンコ屋でゴト師を発見するのと違って、試験官はカンニングしている人を見つけても何の利益も無い。もしカンニングを指摘して物的証拠が出てこなかった場合は、相手から訴えられる可能性までつきまとう。

そういえば、携帯電話を使ったカンニング対策で携帯電話妨害器を使用して試験会場を携帯電話を圏外にしようとしている大学もあるらしいけど、アホじゃないのかね。それをしても携帯電話を使ったカンニングができなくなるだけで、カンニングしようとしているのが誰かわからないじゃないか。
大学なら、指向性の強いアンテナと受信機を持って、試験会場の電波発生源を探すくらいの事をすればいいのに。携帯電話から発せられる電波を解読するのは比較的困難な事だが、電源が入っている携帯電話を探すくらいなら楽勝でできるんじゃないだろうか。それに携帯電話妨害器用意するよりも簡単にできるんじゃないのかな。

2月27日の日記

2011年2月27日 日常
京大の入試試験問題を試験時間中にネットの質問サイトで質問していた人が居たらしい。その人は他の有名大学の問題でも同様のことをしていたらしい。中には試験時間中に回答がよせられそれがベストアンサーに選ばれていたモノもあったそうです。

さて、これは何を意味するのでしょうか。愉快犯とか、入試でカンニングが蔓延していることを大々的に問題提起したかったのかね。
今回はネット上で不特定多数に回答を求めたので、カンニングがばれましたが、現状の流れを見る限り個人的に優秀な人を雇って携帯を使ってカンニングを行なっていれば、見つかることは無かったと思われます。

他の問題点も浮き彫りになりました。今回は不特定多数に試験問題の回答を求めたために、大学の入試試験の邪魔をした偽計業務妨害に問われる可能性があるらしいです。しかし、逆に考えれば、個人的に入試試験をカンニングをした場合、何の犯罪にも問われなさそうな気がする。そうすると、入試でカンニングが見つかった場合は、入試には落ちるでしょうけど、それがカンニングを防止するためのペナルティとなるのかね。
大学の通常の試験だったら、一科目でもカンニングがばれると、すべてのテストの点数が0点になるらしいですし、全教科カンニングしないといけない人以外は、カンニングにリスクを感じるでしょう。
高望みの大学入試だった場合、落ちて当たり前だったらカンニング上等で試験に挑戦しても失うものが無いように思えるんですけど。

2月26日の日記

2011年2月26日 日常
ドラえもん殺人事件というミステリーのあらすじを考えた。誰か、天国にいると思われるqあwせdrftgyふじこ先生に二次使用の許諾をとりに行ってはもらえないだろうか。
ドラえもん殺人事件は本格派密室ミステリーである。実際のところ本格派がどんな分野か知りませんが、密室に死体があればミステリーでしょう。トリックしか考えていないのだが、死体はどこでもドアの出現先に人間がいて急に出現したどこでもドアによって体を切断される事によってつくられる。バラバラ死体が邪魔をしてどこでもドアの扉は開かない。のびたちゃんはどこでもドアが壊れてしまったと思い、直接尋ねていくとそこでバラバラになった死体を発見する。まあそんな感じで事件は始まる。仮想時空犯罪者を想定して探偵まがいのことをはじめるのびたとドラえもん。故障箇所がわからなかったどこでもドアの使用再開で移動する先々で発見される切断死体、死体の切断面は今の技術では到底再現できないほど滑らか、のびたとドラえもんは自分達の行く先々で次々見つかる切断死体に恐怖するのだった。
第2回は神隠し事件でいいかな。
まあそんな感じです。ここからえられる教訓は、実用レベルの瞬間移動装置を作るためには、千里眼のような透視術や遠隔地の空間認識が必要になるということである。同様にタイムマシンの場合は、未来予知や過去を知る技術が必要になってくる。何でもありそうなSFの世界にもそれぞれの技術や能力に上位の技術や能力と下位の技術や能力があることがわかりました。

2月25日の日記

2011年2月25日 日常
なんだろうこの微妙な気分は。

ニイタカヤマって昭和時代の相撲取りの名前かと思っていたら、台湾にある山の名前らしい。日本が台湾を統治していた時に、富士山より高い山だったので新高山と名づけたらしい。台湾で二番目に高い山は次高山と呼んだらしい。

台湾って小さい島かと思っていたら富士山より高い山があったなんて。富士山を誇りに思っていたのに、台湾にすら負けているようじゃ話にならない。このもやもやとした気分はなんだろうか。ナショナリズムなのかな。日本で二番目に大きい湖八郎潟を干拓で消してしまったという話を聞いた時ぐらいの衝撃だ。
何やかんやいって地理は塵だな。


2月24日の日記

2011年2月24日 日常
ちょっと瞬きしただけで3日もたっていた。

海老蔵の親父が、海老蔵さんが暴行された件の裁判の発言で伊藤被告をボロクソに批判していた。その姿を見て違和感を覚えた。古きよき時代と言われている昔との差がここにあるんではないだろうか。
この違和感が何かと考えてみたら、自業自得と法律の関係である。法律では、ほぼどんな理由があっても相手に暴力を振るって怪我をさせたら犯罪になってしまう。
昔は、自業自得だったら少しの違法行為はお目こぼしにあっていた。極端な例、道端でヤクザに因縁をつけて殴られてもそれで暴行を受けたと警察に訴える人はいなかったように思う。まあ極端すぎる例だが、見ず知らずの相手に言いがかりをつけ挑発して殴られた場合、普通の感覚だと言いがかりをつけた側が100%悪いと思う。しかし、法律では、ある程度情状酌量はあるかもしれないけれど、因縁をつけた側より暴力を振るった側が悪者になる。
電車で靴のまま椅子の上に立っている子供がいたとしよう。さてその子供は殴っていいのだろうか。昔の時代は殴ってよかったのだろう。今でも殴っていいと思っている人もいるかもしれない。しかし、殴られる側が殴られても仕方ないと思っていない場合殴った方が犯罪者である。そんな世の中じゃ、他人に口出ししてしつけをしようなんて人もいなくなるだろう。電車内での携帯電話の通話も同様である。
電車関係で何が悪いのかと言えば、電車会社の対応が軟弱なのがいけないんだろう。

多くの分野でアンモラルな人ほど法律を頼るようになり、頼られた法律が頼りになったのがいけないんだと思う。アンモラルだけではないが。自業自得な人をどれぐらい法律で保護するべきかこれは難しい問題かもね。

2月20日の日記

2011年2月20日 日常
CMをテレビで放送しまくっている企業は胡散臭いと思っていた。
LED電球の寿命が超長時間だと、LED電球を褒め称えている人を良く見るようになった。ある人は4万時間以上も寿命があるといってた。だから、LED電球自体の値段が高くても、普通の電球の何倍も長持ちするから結局はLED電球の方がお得だといっていた。
その時は軽く聞き流していたんだけど、よく考えると寿命が4万時間って本当の話なのかね。40000時間というと単純に点灯しっぱなしでも4.5年ぐらいである。LED電球はエコだ、電気代がどうだと言っているんだから1日中点灯しっぱなしで使う事は無いだろう。仮に12時間使用するとしたら、9年間電球が使用できると言っているわけである。
何が言いたいのかといえば、本当に9年前にLED電球をつくって寿命が40000時間あるのか確かめたのか?と言う事である。寿命40000時間なんてメーカーが勝手に言ってる戯言なんじゃないだろうか。発覚しない詐欺みたいなもんだ。
たぶん5年後にLED電球が壊れて20000時間しか点灯しなかったと文句を言っても、使用環境が悪いとか言い出すんじゃないだろうか。もし消費者庁になどに文句をいって検査してもらうと、結果がでる4.5年後にはその製品はすでに販売されていないのではないだろうか。
自動車のカタログ燃費みたいなものである。

最近の日本メーカーの製品はそういうものが多いらしい。繰り返し使えると話題のエネループという充電池にしても約1000回使えるとCMしていたが、実際使用して充電回数を記録していた人の話によると、1本も1000回以上使えた電池は無かったそうである。
企業のHPを見に行ったらJIS(日本工業規格)で定められている条件で実験したと書かれていたので、一番の問題は、JIS(日本工業規格)にあるんだろう。

ネジの大きさとか、工業的に必須で、消費者が実際つかってもその規格の通りになるような規格はいい。しかし、カタログ燃費とか製品の寿命とか、普通の消費者が使用するとかならず企業の公表値より結果が下回るような規格ってなくなった方がいいんじゃないだろうか。

2月19日の日記

2011年2月19日 日常
相撲の話はどうなったかというと、「みんな相撲の八百長に怒りすぎだろう」と言っていた。今回の八百長で怒る資格があるのは、実際八百長のあったとされる十両の取り組みを見ていた人だけだろうと言っていた。多くの人は相撲すら見ていない。私は一般人より相撲を見てると思うが、それにしたって幕内の取組ぐらいしかみない。見ると言うかテレビがついているだけだが。八百長のあった取組を生中継や会場で真剣に見ていた人がどれだけいるというのだろうか。相撲に興味もないのに批判している人が多すぎる。
そういった発言をしたら、テレビ局側の人間が、相撲協会は公益法人で税制上の優遇措置されている団体なんだから、国民には批判する権利があるみたいな流れに誘導しようとしていた。そしたら相撲好きは、相撲はスポーツではなく、長年続いてきた神事を継承することを目的とした公益法人で・・・。私も相撲にあまり興味がないのでこれ以上書くのが辛くなってきたので次にいく。
ちなみに私が思う相撲協会の取るべき対応は、文部科学省か誰かの発言の通り、年寄株の金銭による 売買は今後一切認めない事にするのがいいと思う。ただ、それをするに当たって今まで金銭で購入した年寄株保有者が損を被らないようしなければならないだろう。そこで、国技館を含めて相撲協会保有の財産すべてを一度金に変えて、その金で年寄株売買禁止に対する補填を行なう。その後相撲協会は、公益法人格を返上すればいい。次に、年寄株保有者が補填費用を持ち寄って国技館を買い取る。その後、どこかの宗教法人の傘下に入り、神事としての相撲をやっていけばいいのではないだろうか。そうすれば、国技館を国に寄付しなくても、それを持ったまま宗教法人に移れるのではないだろうか。

まあ結局ネットのせいで、みんな怒りに飢えているんじゃないのかね。とりあえず大衆間で悪とされているモノを叩けばそれで満足感を得られる。ただそれだけのために大義名分を持って叩けるものをさがしているのではないだろうか。アラブの騒動にしてもそんな感じがする。
私も、昔はまともな人間だったのに、このブログを書き出してからは、文句しか言っていない気がする。ネットのせいである。明日からは心をいれかえてすばらしいものを褒めちぎって褒め殺しでいくべき時が来たのかもしれない。



2月18日の日記

2011年2月18日 日常
相撲好きが言っていた批判が的を得ていた。もしかしたら射ていたのかもしれない。
よく日本人が正しい日本語を使えているかのテストで、『「的を射る」「的を得る」どちらが正しいか?』という問題があることばかりがクローズアップされていて、答えはオマケ程度にしか書かれていないので、間違いやすい日本語だというのは覚えているんだけどどちらが正しいのかパッと出てこない。ネットで検索すればすぐに正解は分かるんだろうけど、それすら面倒くさい。よく間違いやすいという事を日本全体で共有できればどちらも正解ということにしてくれないかな。

ホント文系ってどうでもいい事にこだわりすぎじゃないだろうか。よく、公務員は忙しいと自分で言っている。忙しいのは事実かもしれないけれど、やっている仕事のうちどれくらい必要な仕事なんだろう。最近聞いた話だと、厳密には公務員の仕事ではないが、公務員が発注した仕事でこんな馬鹿げたことがあった。
大雪が降った。車道は重機で除雪して雪は全部歩道に押しやられた。そのままでは歩道が使えないので業者に歩道の除雪を依頼したようだ。業者はまず役所側の歩道を人が1人通れるぐらいの幅で除雪した。それはいい。次の日その道を通ったら、反対側の歩道の除雪をしていた。中央分離帯のあるようなでかい道ではない。そもそも1日に何人歩行者が通るか分からないような寂れた道である。そんな歩道を役所の前だからと両側とも除雪している。私の家のそばのスーパーがある通りでは、道の両側の歩道とも除雪されていない。ので、老人が車道を歩いているわけである。ただでさえ雪で狭くなった車道を老人が歩いている。
道の両側の歩道を除雪するより片側でも多くの歩道を除雪した方がいいんじゃないのか。と短気な人が憤ってた。

2月17日の日記

2011年2月17日 日常
けしからん。PCが軟弱すぎる。外に出て運動もしないで室内でじっとしてるのがいけないんじゃないだろうか。体が弱いから暑いのに弱いとか、繊細で静電気やカミナリに弱いとかはまあいいだろう。
最近、ちょっと手がPCケースに当たることが2度会ったんだけど、その二度ともPCケースに手がコンッって当たった瞬間フリーズしやがった。手が当たったくらいでフリーズするなんて、アニメに出てくるキャラかよとツッコミが入るほど軟弱だろう。ありえないだろう。

強盗人や強姦人が部屋に侵入してきても部屋の住人を体を張って守ってくれるような頑丈なPCを開発してくれないかな。
とりあえずは、手を振り回して当たらないところにPCを移動しなければいけないのだが、まあいい。

2月16日の日記

2011年2月16日 日常
適当なニュース情報ですが、エジプトが国民の力で独裁政権に幕をひいたようですが、それを受けて、脱北者だったり中国の一部の人たちが、自分達の国も民主化に向けてどうのこうの言っていました。

勘違いしない方がいいんじゃないのかね。よく知らないけど、エジプトにとって国軍は尊敬される存在らしい。尊敬されてるだけじゃなくそれに見合ったモノを持っているらしい。だからかどうか知らないが、結局エジプトの軍人は民衆に対して力で制圧しようとしなかった。
一方、もし中国だったら、軍人は余裕で自国民に向かって発砲してデモを制圧するような気がするんだけど。北朝鮮だったら、公開処刑ものじゃないのかな。自国民を殺すような軍人がいる国では、デモで政権を倒すというのは難しいんじゃないのかな。

あと、今回の騒動で、エジプトの博物館にあったミイラや埋蔵品が壊されたり盗まれたりしたらしい。エジプトは昔ヨーロッパ人が盗んでいった埋蔵品の返還を求めているようだが、盗まれたり壊されるような事があるのなら、道義的にはヨーロッパに非があるとしても、ヨーロッパの博物館で展示しといた方がいいんじゃないのかなと思うんだけど。

2月15日の日記

2011年2月15日 日常
とても、素晴らしい事を思いついた。

誰でも好きなタレントはいると思う。どうすれば、タレントと交流できるだろうか。考えに考え抜いて凄いことに気がついた。俗に逆転の発想というやつである。

一般的に、タレントのブログは、マネージャーや事務所が書いていたり検閲しているものがほとんどである。タレントの公式ブログと言っても実際誰が書いているかわからない。本なども同様であるが、誰が書いたか分からないブログであっても、好きなタレントの公式ブログだったら見に行ってしまう。結局は、誰が書いたという事実より、見に行く私がどう思って見に行くかが重要なのである。

それならば、別に公式のブログを見に行く必要なんてまったくないのではないだろうか。適当な個人がやっているブログを、好きなタレントが個人的に正体を隠してアップしているブログだと思い込めばいいのではないだろうか。そして、そのブログに好きにコメントを残せばいい。きっとブログを書いている人は困惑して自分はそのタレントじゃないと否定するだろう。しかし、否定することで真実味がます。個人的にやっているブログだから、公になることを嫌って否定しているわけである。荒らしと呼ばれたり、コメントを削除されたり、はたまたブログを閉鎖したとしても、タレントが正体がばれるのを恐れてそれをしたと思えばいい。

実際世界のストーカーもこんな感じなのだろうか。超ポジティブにとらえていけば、どんなブログでも好きなタレントのブログだと思い込む事は可能なんじゃないだろうか。こういったアタックをネットストーカーと呼べばいいのかな。

怖いね、狂気じみてるね。
反対に私が自称タレントを名乗って読者がそう思ってくれてもいいわけか。麿は朕子ぞよ。意味が分からない読者はきっと精神病んでいるのだろう。病院にいくことをお勧めする。

2月14日の日記

2011年2月14日 日常
今日はバレンタインデーだった。しかし、カカオ豆の高騰でチョコレートが値上がりしたみたいで、一個もチョコレートを貰う事ができなかった。ココアダイエットが大流行したせいで、カカオ豆が品薄になって高騰したんだろうか。ココアダイエットのせいで私は今日チョコレートをもらえなかった。チョコといえば大麻ですが、ココアダイエットなんてまどろっこしい事しないで、大麻食ってればすぐに痩せれるのに。ダイエッターが無理なダイエットにココアをつかったせいで、今年のバレンタインデーは、チョコレートにありつけなかった。納得できない。今から、ハワイに行けば、まだ2月14日らしいが、ハワイではマカダミア入りのチョコレートを貰う事ができるだろうか。チョコレートさえ値上がりしなければ、このブログの読者から東京ドーム一杯ぶんのチョコレート貰う事ができたのに、悔しくて今日は寝れそうにない。

2月13日の日記

2011年2月13日 日常
新宿通り魔予告の犯人がなぜ捕まったのか興味あったので検索したら、

2月6日:2ちゃんねるに、犯行予告を書き込み
同日:2ちゃんねるのログから、使用している機器(Nintendo DSi)が公開される
2月11日:数回、犯行予告に着いての書き込みを行う
2月11日16時:川崎市内の電器店で、少年は警察に身柄を押さえられる

こんな感じの経緯が書かれたブログがあった。三次情報なので真偽はわからない。

まあ一番悪いのは、任天堂だろう。私はちょっとした事で簡単に壊れる壊れたDSliteしかもっていないので、Nintendo DSiの説明書がどうなっているか知らないが、説明書にはちゃんとNintendo DSiを使ってインターネットで変な発言をしないようにといった注意が書かれていたのかね。書かれていなかったのなら全面的に任天堂が悪い。書かれていても、犯行予告をした少年がその説明書を読んでなかったとしたらやっぱり任天堂が悪いだろう。読んでいても任天堂が悪い。理由なんてなくても悪い。はっきり言って私は任天堂が大嫌いだ。ただそれだけである。

今後、1人でも任天堂製品で人生を狂わせる子供が減るように老婆心から言わせてもらおう。
誰でもいいから、子供に持たせるには危険なNintendo DSiと私の安全なぶっ壊れたDSliteを交換してあげようじゃないか。泣く泣くではあるが、後進が道をあやまらないように決断したいと思う。なんなら今度発売されるニンテンドー3DSでもいいよ。


さて、新宿通り魔予告犯がなぜ簡単に捕まったのかと言えば、子供だったからだろう。
なんでも、少年は、ネットへの書き込みをすべて近隣の店のフリースポットで行なったらしい。だから、張っていた警察に捕まったとか。

でここからが疑問なんだけど、なぜ2月11日16時に少年が警察に保護されたのに、その後も普通に警戒が続けられたのかね。たぶん犯人が捕まったという情報をもっと早く出せば、寒い中、警戒にかりだされた人も助かったんじゃないのかね。


昨日やってたR-1グランプリという番組を見たんだけど、何が面白いんだかまったく分からなかった。ジェネレーションギャップなのかな。
ケーシー高峰とかゼンジー北京の方がよっぽど面白いと思うんだけど。最近はわかりやすい笑いってのはあまり評価されないのかな。
あと、トーナメント形式にしたのが失敗だったように思う。何個も鉄板ネタを持っていないだろう。三回目のネタ披露になる決勝戦なんて両方とも酷いもんだったと思うんだけど。あれを一回戦でしてたら、それでも勝ちあがれたのかな。

ひさしぶりに小沢昭一の小沢昭一的こころでも聞いてみるかな。

2月11日の日記

2011年2月11日 日常
酒を飲んで寝る場合と起きている場合では、起きている場合の方がアルコールの分解が早いと言う事がどこかの大学実験で分かったという記事が新聞に載っていた。

酒を飲んですぐに寝ると二日酔いになる、意地でも寝ずに酔いがさめるまでずーと起きていれば二日酔いにならないなんて、私にとって見れば常識中の常識だったんだけど。ちなみに起きていても頭が痛くなることはある。しかし、起き続けているので二日酔いではなく、当日酔いによる頭痛ということにする。

実験の結果を受けて、飲酒後どれくらい時間をあければ飲酒運転にならないか?と言うような物も変えていかないといけないとか。今一般的に飲酒後どれくらいでアルコールが抜けるかという実験は被験者が実験中ずーと起きているらしい。しかし、朝に前日飲んだ酒が原因で飲酒運転で捕まるような人の多くは、飲酒後睡眠しているらしい。だから、飲酒後睡眠をとった場合どれくらいの時間でアルコールが抜けるかを別に実験する必要があるとか。大体平均すると起きている場合に比べて二時間ほどアルコールが抜けるまで余計二時間かかるとか。
おあとがよろしいようで今日はこの辺で。

2月10日の日記

2011年2月10日 日常
『島根県出雲市立塩冶小の教諭が、給食を時間内に食べられなかった1年生児童たちに対し、おかずなどを食器から布製ランチョンマットに載せ替えさせて食べさせていたことがわかった。』

このようなニュースがネット上で流れていた。25人クラスで7人はそう強要された経験があったそうである。まだ、入学して1年たっていない。その短期間でちょっと人数が多すぎじゃないのかね。給食自体に問題があったとは考えられないだろうか?まあ一番の問題は給食のシステムだろう。自分で食いたい分だけ配膳するシステムだったら、食い残しを咎めるのも分かる。

給食は栄養バランスを考えて献立を考えているとか言っている人もいるが、そもそもダイエットを含まない自発的な少食で体に不調きたす事なんてあるのかね。前に聞いた話では、昔はちょっとした病気でも胃を手術して摘出していたらしい。胃を摘出すると物理的に少食になる。年を取って、胃の摘出手術を受けた経験がある人とない人でどちらが長生きか統計を取ったら、胃を摘出した人の方が長生きだったとか。食いすぎは体に悪いという事は分かっているが、バランスの悪い食生活がどれだけ不健康かって分かっているのかね。
そういえば、とんでもない逆の例を思い出してしまった。昔、私の兄は、昼は給食、朝晩は漬物とお茶漬けのみという食生活を長期間続け、体に不調をきたし医者にいったら栄養失調と診断された事があった。そう考えると自発的な少食も危険なのかな。

2月8日の日記

2011年2月8日 日常
書くことがないので、テレビゲームについてでも書いていこうと思う。

今物凄くテレビゲームが売れていないようである。原因は、若年層は、テレビゲームを離れ、携帯電話のゲームに興じているらしい。基本料無料でアイテム課金のゲームだったり、安価でチープなゲームで満足したりしているらしい。

昔は学校でゲームの話をしたような気もするが、今はネットゲームがあるのでゲームの話を共有したいなんて人はネットゲームや携帯ゲーム機のゲームをしているんだと思う。他人とテレビゲームの話を共有しないとなると、別に発売日にゲームを買う必要はなくなってくる。発売後、評判を聞いてからゲームを買えばいいわけである。もっと言えば、中古のゲームを買えばいいわけである。

そう考えると、ゲームを新品で買うのは、ゲームは買うけど積んだままプレイしない層か、だれよりも早くプレイして、批判する人しかいない。テレビゲームは本と同じ傾向になってきているのかね。

2月6日の日記

2011年2月6日 日常
民主党が、先の衆院選であげていたマニフェストを路線変更しようとしている。それを受けて方々から、それは国民に対する裏切り行為だと罵られている。

しかし、その批判はおかしくないだろうか。民主党が路頭に迷ったのは、この前の参院選で民主党が敗北して、衆参でねじれ状態になったために民主党単独で議会運営できなくなったからだろう。民主党が国民を裏切ったと言うより、国民が参院選で民主党を裏切ったから民主党は路線変更しなければいけなくなった。まあ国民は裏切ったと言うより見限ったといった方がいいかもしれないけれど。

ただ、国民に見限られても任期がなくなるまでは国会議員でいられるのよね。人気がなくなるまでだったら良かったのに。

日本の献血にどれくらい予算がつぎ込まれているか知っているだろうか?私は知らない。
ただ、テレビで見かける献血啓蒙の番組を見てる限りかなりの予算がついていそうだ。献血に行くと様々なサービスを受けれるみたいだ。性的なサービスは無いようだけど。

ただどう考えても予算の使い方が悪いだろう。モノじゃなくて金を配れと言うわけじゃない。もっと根本を改革する必要があるんじゃないだろうか。どう考えても、今の献血って献血しに行く価値が無いだろう。もっと献血しに行くことに意味を持たせるべきじゃないのかね。簡単に言えば、献血した分しか輸血や血液製剤を受け取れないという制度にすればいい。家族間で献血した量を共有できるようにするべきとか、誰とでも金銭で取引できるようにするのがいいとか、どういう線引きがいいのか分からない。また、特定の疾患とか吸血鬼になったとかで大量に血が必要な人には別途、抜け道が必要かもしれない。あと、献血ができない1人暮らしの老人なんかも例外が必要かもしれない。

ただ、基本的な考えとして、献血をした人だけが輸血や血液製剤を受け取れるという制度に変えれば、将来自分や家族が、事故や手術で大量の血液が必要になることを恐れて多くの人は定期的に献血に行って将来のために血を溜めとこうという気になるんじゃないだろうか。なんなら、電気屋のカードみたいに定期的に献血しないと貯めた献血ポイントが減額されていくみたいなシステムにすれば、かなり効率的に血を集めれるんじゃないのかな。

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