10月27日の日記

2006年10月27日
世の中、何か間違っている気がしてならない。
先日、黒字の中小企業で跡継ぎが見つからず、閉鎖される工場が増えているという番組がやっていた。問題はすべて跡継ぎが見つからない事のように放送していた。そんなあほなことをいってる奴が対策を立ててるから、中小企業の廃業はなくならないのではないだろうか。個人企業の黒字赤字なんて何の参考にもならないだろう。土日祝日無しで働いていれば黒字になっても何もおかしくない。親会社や受注元から、無理を頼まれてそれを飲んで長時間仕事をしていれば黒字になるだろう。だから、いくら黒字でも中小企業が健全かどうかの判断基準にはならないだろう。同等の仕事をサラリーマンでして同等の給料ならサラリーマンを選択した方が賢いだろうし。日本の腐った銀行は、社長が個人で担保を持っていかないと個人企業は金を貸してもらえない。個人が債務保証しなければいけないのだから、物凄く儲かってる中小企業以外は無理して跡を継ぐ価値があるとは思わないのが普通の人ではないだろうか。他にも金より定休が欲しい人もいるかもしれないし、そもそも多くの中小がしている製造業なんてしたくない、ホワイトカラーの仕事をしたいと思う若者が増えているのだろう。だから誰もしたがらないブルーカラーの仕事の中小企業が減るのはしょうがないのではないかね。中小企業が減るのが問題だと思うのなら、ホワイトカラーの中小企業が増えていくようサポートすべきじゃないかね。日本も先進国になったのだから、特殊技術の絡まない油くさい仕事は、機械や発展途上国に移譲すべきときがきてるんじゃないかね。

10月26日の日記

2006年10月26日
履修単位不足問題が騒がれています。心が小さい人ばっかりですね。必須教科を履修しないと卒業できないとかで、冬休みなどに補習を組んで足りない分を補うらしいですが、今年だけ特別に見逃してやればいいんじゃないかね。なんやかんや思う人はいるだろうけど、受験に必要ない科目を削り受験対策に当てるなんて今年始まったことじゃないだろう。もし今年どうしても補習しないと卒業できないというのなら、去年以前の卒業生も、単位不足があれば卒業取消すべきだろう。まあ、学校の勉強なんてすべて不要なんだからせこせこせんでもいいのにね。
それにしても目先にとらわれて大局観を失うなんて、日本的といいますか公務員的といいますか、昔からぜんぜん進歩が見られませんね。最近は教師にも成果主義などが取り入れられたそうですが、成果主義は公務員には相容れませんよ。成果主義では目標が決められますが、目標なのでして当たり前のことを設定することは無いはずです。本来、高校では高校を卒業させるという事が、一番重要だと思います。しかし、生徒を卒業させるなんてものは目標にはなりえません。そこで、進学校では大学進学に関することが設定されたのでしょう。目標が設定されると多くの人は目標に向かって進もうとします。目標さえ達せればいいということになって、全体を忘れてしまいがちになります。なんだかな。私の高校時代も、先生が我を失って就職試験に関係ない科目を全部切って就職対策に当ててくれればきっと学校はもっと楽しいものになったと思うんだけどな。悪しきは学習指導要領ですか。それさえなければ今回も何の問題もおきなかったのにね。死ねよ文科省

10月25日の日記

2006年10月25日
グーグルに人生の悩みを相談していたのですが好ましい検索結果が得られませんでした。結婚するにはどうすればいい?という悩みには悪徳結婚相談所とか、そんな感じで怪しいものが検索に引っかかることを望んでいましたがぜんぜんでした。赤ちゃんはどこからくるの?という質問にいたっては、DSのゲームソフトのオフィシャルページが引っかかりました。ぜんぜんグーグル相談所使えません。最悪ですね。
あんまりムカついたのでグーグルの広告モデルでもぶっこわしましょうかね。
先週の日経新聞に載っていたのですが、グーグルは検索連動広告というシステムを採用しているそうです。広告主が指定したワードを検索した際に、検索結果の一番上のスポンサーの枠の中や右側の枠中に広告主へのリンクを表示するそうです。そして、リンクがクリックされる度に広告主は、グーグルに対して一定額を払うそうです。払う額はワードによって違い入札で価格が決まるそうです。だから人気のあるワードではかなりの高額になるそうです。日経新聞には「データ復旧」という単語には2000円以上の金額がついていると書かれていました。「データ復旧」を検索してスポンサーサイトをクリックするだけで、スポンサーサイトはグーグルに2000円広告費を払わないといけないそうです。統計では、「データ復旧」を検索した人の1/10がスポンサーサイトをクリックしてその中の1/10が何らかの客になるそうです。
さてそんな世界間違ってると思いませんか。今こそ正義の鉄槌を食らわせるときです。気に入らない企業があれば、その企業の検索連動広告を意味もなくクリックしてやるべきです。そうすれば、その企業は無駄に広告費をグーグルに支払わないといけなくなります。もしグーグルが気に入らなければ無駄に、スポンサーサイトのクリックを続けていけば、広告比対の効果が薄れてきて、グーグルに広告を出す人が減るのではないでしょうか。ポップアップを自動で消すソフトがありましたが、だれかグーグルのスポンサーサイトを自動で裏で開いて閉じるソフト開発してくれませんかね。そんなソフトがあれば少しはグーグルに打撃を与えて国産検索の援護ができるんじゃないでしょうか。

まあグーグルはいいとして、検索連動広告の特定の単語の価格を下げる仕事って通用しませんかね。依頼を受けて、その単語に広告を出している企業をたくさんの人が集中的にクリックすれば、広告費の高騰と効果の低下でその単語から降りて結果的にその検索ワードの価格が下がるんじゃないでしょうか。

10月24日の日記

2006年10月24日
アイドル全員がおしっこやうんこをすると思っている馬鹿が案外多いことに気がついた。まあ一部の似非アイドルがおしっこやウンコをしているのを受けてアイドルすべてが・・・と勘違いしたのかもしれないが、本物のアイドルはおしっこやウンコなんてしない。新垣ゆいさまは絶対おしっこやウンコなんてしない。
一週間で同じ人の名前が三回出てきた。こんなこと初めてかもしれない。こんなにはまるなんてきっと彼女は人間じゃないんだろうね。
まあそんなこんな言っても、年をとって頑固になった人は現実を受け止めることができないんだろうね。もし、ゆいさまがおしっこやウンコをするというのなら、その証拠を見せてみろって思いますね。世界最高のアスリートが集うオリンピックでさえアスリートがホントにおしっこしてるか直接係員が目視して確認しています。もしゆいさまが本当におしっこやウンコをしてるのなら、その姿を私に見せて欲しいね。まあ、私みたいな危険人物がゆいさまのそばに近寄るのが危ないというのならビデオ映像でもいいです。まあ、映像は簡単に編集できるので、無修正ノーカットじゃないと信じれませんけどね。まあ、そんなこんな言っても誰もそんな物用意できないでしょう。きっと情報が流出するにしても、プロデューサーのちんぽ咥えてたりハメドリしてる姿が関の山じゃないかね。だってゆいさまは、おしっこもウンコもしないんだからね。

どこかの大学の入試でネット入試なるものをしている学校があるらしい。試験中のネットでの検索が可能らしい。前回そこで出された問題が「パン食と米食のどちらが健康に良いか」というものだったらしい。まあネットで情報を検索して説得力のある意見を作れということらしい。問題の内容以前にふと思ったのだが、人力検索サイトはてなやyahoo知恵袋などといった質問サイトを利用して解答してもいいのかね。とくにはてなを利用可なら、金で入学できてしまうことにならないのかね。まあ最近のはてな常駐回答者のレベルを見ると受験生に勝てる人がいるのか疑問ですが、あらかじめ手配しておけば優秀な人が解答してくれるかね。
さてでは、パン食と米食のどちらが健康に良いのだろうか。これは超難問だろうね。まず最初に躓くのは、健康の定義がされていないことだろう。今まで病気になったことない人が50歳で心臓麻痺で死んだ場合とたくさんの病気を抱えて入退院を繰り返していたが80歳で死んだ人ではどちらが健康なのだろうか。もっと言えば、健康には『精神の働きやものの考え方が正常なこと』こんな意味もある。もしそれも含めたら私はもう健康でないね。痴呆症の人も健康だとはいえなくなってしまう。まあ何にしても、パンでも米でも直接健康に与える影響なんてそう違いはないだろう。食い合わせにしても同様である。では、もっと間接的なものを求めているのだろうか。
例えば、米の方が作るのが困難である。同等の文化レベルの町の場合米を作るために行う改善策が技術の向上につながりそれで医療レベルもあがり健康になるとかなんだろうか。それとも小麦の方が簡単にたくさん作れるので、人口が増え繁栄して、それに伴ってさまざまな技術が向上するので小麦の方がすぐれてるのかね。まったく、どの方向で解答を進めていけばいいのか予想もつかない。一度上の試験の模範解答や実際合格者が書いた答えを見てみたい気がする。

10月23日の日記

2006年10月23日
今、教育テレビを見ていたら小学生が片付けについて議論していた。見てた感じ小学生相手に議論すればけちょんけちょんにできそうな感じがした。まあ他の議論にも言えることだがお互いを批判、否定することしか考えてないのかね。
片付け推進派の人は、部屋が散らかってると物がどこにあるかわからなくなる。物を探す時間が無駄になると主張していた。片付け反対派は、部屋を片つけると逆に物がどこにあるかわからなくなる。身の回りに見えるように出されていた方が物がすぐ使えるので便利だと主張していた。お互いに、片付けするとモノの場所がわからなくなるのは片つけ方が悪いとか、散らかっていても自分は欲しいモノがどこにあるかすぐわかるとか言っていた。
ホント、だめな議論ですね。結局お互い同じことを言っているだけである。物がどんな状態にあろうとも、モノの位置が覚えられるか、覚えられないの話ではないだろうか。部屋が散らかって物を探すのもどこに片付けたか忘れて物を探すのも同じ事だろう。
まあ結局のところ、汚い部屋に嫌悪感を覚える人は片付けるし嫌悪感を感じない人は片付けないだろう。他人がどう思うかなんて勝手だろう。それを議論して少数派やその他弱い意見を叩くなんてものは、いじめのはしりじゃないかね。

10月23日の日記

2006年10月22日
柄にもなく、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行を創設したムハマド・ユヌスの自伝を読んだ。流行に乗るのは恥ずかしいね。
マイクロクレジットを詳しく説明するのはめんどくさいので避けておく。
さて、自伝なので脚色が付きすぎて真実が歪められているかもしれませんが自伝を読んだ感想でも書いておきましょう。
巷の批評では、グラミン銀行が行うマイクロクレジットと呼ばれる金貸しの方法は物凄くすばらしいと言う人と、グラミン銀行のせいで多重債務に陥って自殺した人がいるのでグラミン銀行はそれほど褒められるものではないという否定意見が錯綜していた。
まああれだね、否定意見に関すれば理想論を元に批判を展開しすぎじゃないのかね。金貸しが原因での自殺があるかないかを論じてもしょうがないのではないだろうか。日本というか世界中で借金苦を理由で自殺する人がいるのだから、理想論を元に世界中を全否定しても生むものがないんじゃないかね。どんなに優れたシステムでも運用する人間が完璧じゃないので、少なからず腐敗や問題が起こることは許容しないと駄目なんじゃないかね。比べるべきは、理想論とグラミン銀行ではなく、既存の金貸しや先進国のアコムや武富士などのサラ金とグラミン銀行だろう。否定は相対評価でおこなうべきじゃないのかね。
一方、肯定意見は絶対評価で行うべきじゃないのかね。ネットで意見を見る限り、善意をたくさん持ったバカ共は、グラミン銀行がすばらしい福祉プログラムであると思っているらしい。しかし、私がみた限りグラミン銀行は資本主義のルールに従って当たり前のことをしてるに過ぎない。
グラミン銀行は、慈善団体ではない。すべての貧しい人に金を貸すわけではない。担保などの保障を取らないかわりに、借り手には試験をかして合格しないと金を貸さない。複数人でグループが組めないと金を貸せない。グラミン銀行はすべての貧民に金を貸すわけではない。かえす見込みのある貧民にだけ金を貸しているだけである。貧民に金を貸してるのに返済率98%はすごいと言われているが、確実に返済を見込める人にしか金を融資しないのだから返済率が高いのは当たり前だろう。担保がある場合は、返済見込みがなくても金を貸せるのだから。
まあ、しかしそれが一番すばらしい。英知を集めた銀行は、機会の不平等で貧民になった人と不真面目で貧民になった人を区別することができなかった。だから、銀行はすべての貧民は不真面目の可能性があると言うことで融資を行わなかった。善人を集めた慈善団体でも、貧民を色分けすることができなかったので、すべての人間が機会の不平等で貧民になった可能性があると言うことにして金をばらまいた。その結果、機会の不平等で貧民になったまじめな人さえも、堕落してしまい金だけを貰うようになった。
今までどんな人も選別できなかったことをグラミン銀行はやり遂げたらしい。貧民で何もないけれど、少しの元手があれば貧民から這い上がる力を持った人を識別することに成功した。
すべての人に救いの手を差し伸べるわけではないけれど、やる気のある貧民を識別し、生活向上の手出すけをできる方法を発見できたのはすばらしいのかもね。

しかし、マイクロクレジットの仕組みを知っていくうちに思ったことがあるのだが、これはゴールと言う経済書に書かれた全体最適化やTOCと呼ばれる改善策を銀行に対して行えば導けた結論だったのではないだろうか。バッチを小さくして商品の回転を早めて・・・など銀行の業務に全体最適化をもっていけばマイクロクレジットと同じことになる。今まで客じゃない人もとりこめる。まあ堅い銀行は新規事業をしてまで手をひろげたくないのかもね。それにしてもなんやかんやで、世界は不効率にうごいているのね。案外、ゴールドラット博士を日本に全権改革大臣として雇えば少しは効率的になるかね。まあ問題は、政治家や官僚が誰もそれを求めていないことでしょうね。

最後に皮肉な世界が見つかったのでひとつ紹介しておきます。
食糧危機が起きて、外国から食糧援助が行われるとそれに絡んで、政治家は横領したり、援助が行われた物資を船から降ろす人も居る。トラックで運ぶ人も居る。大衆に配る人もいる。まあ援助が行われることによって、仕事をもらえたり横領して自分の懐を暖めれる人がでてくる。彼らは援助が続く限り生活は安泰である。しかし、自国の生産が回復すると仕事を失ってしまうので、国内復興にマイナスの力を発揮し、永遠に援助を受けれる国にしようとするらしい。
インドの物乞いは、子供がより援助を受けやすいように、小さいうちに子供をつぼに入れて育てて体を変形させるらしい。人々はその異形をみて物乞いに金をくれるようになるらしい。
まあそんなこんなで、援助によって起こる弊害もあるらしい

捜さないで佐賀県

2006年10月21日
今年度で佐賀県が無くなるそうですね。来年からは、長崎と福岡に分割併合されるそうです。やっと日本のお荷物が解散してくれましたよ。佐賀県民も佐賀県庁に勤めるゴミもこれで社会から一掃されることでしょう・・・
なんか佐賀県が佐賀誹謗中傷コンクールを開催していると言う話だったんですけど、佐賀県を誹謗中傷するのは案外難しいですね。あまりにカス過ぎて中傷すら思いつきません。過去の鳥取の件といい今回の佐賀といいホント荒廃した県は最悪ですね。

朝、目覚ましテレビをみていたら、モーニング娘がテレビに出ていました。今何人所属しているどころか、吉澤さん以外顔をみても一人も名前がでてきませんでした。私ももう年とったってことなんでしょうかね。っていうか、モーニング娘に所属する人の容姿が前衛的すぎてきしょかったんですけど将来あんな容姿がはやるんでしょうかね。顔とかかわいいんですけどね、腕とか足とか細すぎて、宇宙人のイメージ図を見ているような感じを受けました。痩せ志向もいいですけど、やせすぎだと飢餓の難民を見ているみたいで気分が落ち込むのは私だけなんでしょうかね。

ところでアイドルってどんな風になっていけばいいんでしょうかね。モーニング娘を見る限り一世を風靡するのも考え物のようなきがします。また広末さんのように売れて結婚して個人の幸せに走ったりするのもファンにとって辛いものがあるような気がします。私は新垣結衣を信仰するにあたって、新垣さんがどのようになっていくといいのかね。
私が長年ファンでいるためには、そこそこにしか売れない方がいいんじゃないでしょうかね。それで、濡れ場やヌード関係の仕事もするようになって、20代後半からはアイドル売りできなくなるので、声優に転向してオーディションで主役を獲得したり、その派生でネットラジオ始めたりしてくれるといいのかね。
私の望むアイドルの成功って、一般的にみればぜんぜん成功って部類に当てはまらないですね。それにしても、応援したいけどそれほど売れずに濡れ場の仕事してくれた方がいいって思うのは駄目ですね。あーあ私に偶像崇拝はあっていないんでしょうかね。

10月20日の日記

2006年10月20日
ゲームは提供されるものではない。自分で作るものである。人から提供されるゲームで満足しているようでは駄目じゃないかね。そんなこんなで最近私は新しいゲームを創作した。

何がきっかけだったか忘れてしまったが
http://www.gendama.jp/
最近、上のげん玉というポイントポータルサイトに行くようになった。ポイントポータルサイトとは、ポイントを貯めてそのポイントを現金などに換えるサイトである。かなり胡散臭そうな雰囲気が漂っている。そこで私は、新たなフリーメールを取得して問題が起きたらそのフリーメールアドレスを破棄するつもりで上記のサービスに参加した。基本的に、ポイントを金をかけずに集める方法は、無料会員登録を行うというものである。別に特別な技能が要るわけでもない。ただ、げん玉に行って紹介されているさまざまなサイトに無料会員登録していくだけでポイントがたまっていく。単純作業の繰り返しである。登録するサイトによってポイントが付加されるまでの時間に違いがあるが、会員登録さえすればそっこうポイントが付加されるサイトがいくつかあって、そこだけに登録したとしても、数十分もかからず300円分のポイントが貰えた。ポイントを現金やウェブマネーに返還するには他のサイトを経由して手数料も取られるようだが、30分もあれば300円分のウェブマネーを手にいれれそうだった。まだ、やってみたばかりなのでどうなるかわからないが、毎日するのには効率が悪いが、週一ぐらいでやっていれば、時間当たりの効率もそんなに悪くならずにポイントを貯めれそうだった。

さて上のサイト何がすごいかと言うと、別に本人確認が必要ないということである。
いうなれば、他人を演じるロールプレイを行って、与えられたクエスト(会員登録)を行い経験値(ポイント)を貯めていく。会員登録には、住所や電話番号や生年月日や趣味などいろいろなモノを聞かれる。それを間違えないようにロールプレイすることによってクエストをクリアしていく。それでたまったポイントで金を入手できるかもしれない。ということである。ただ週一回300円手に入れたとしてなんなんだ、という感じでもあるが、幸いにして似たようなポイントポータルサイトは点在している。毎日違うサイトをめぐって行けば週2000円分ぐらいは手に入るのではないだろうか。週2000円もしょぼいもんだが、それだけあればネットで使う金ぐらいはまかなえるんとちゃうかね。毎日数十分ポイントサイトでポイントためをしてネットで遊ぶ費用を稼ぐ、これはゲームとして成立しませんかね。ネットゲームで行う採掘や生産などといった単純作業とそうかわらないでしょう。

今、ポイントをウェブマネーに変換しようとしたら、携帯電話のメールアドレスを要求されました。メアドぐらいなら適当に変えれるのでいいですけど、携帯番号を要求されるようになったらサービスを利用するきになれません。たかだか数百円のために毎日勧誘の電話かかってくるのはわずらわしいですし。
さて、今後どう展開するでしょうか。社会は甘いのか、そんなに甘くないのか、結果はまた後日

10月19日の日記

2006年10月19日
最近知ったのですが新垣結衣って最高じゃないですか。はまってしまいそうです。まあ、はまったとしても歌手でもアイドルでもなさそうなので、蒐集したいものがないのが幸いですか。商売に付き合う気はないですがプロフィールに銀行の口座番号が書いてあったら送金したかもしれません。やっぱり私は病気かも知れない。

もう自分はだめだと思う。まともなことを考えれなくなってしまった。文章を書くこともできなくなってしまった。今年は、ノーベル賞は裏開催ですかね。日本人受賞者がいないとノーベル賞がニュースにもならないのですね。将来私が受賞辞退をねらうノーベル平和賞の今年の受賞者は下賎な職業である金貸しらしいです。ノーベル賞も地に落ちましたね。そもそも日の目を見たことがなかったのかもしれないね。元はといえばダイナマイトの利益ですしね。考えてみれば、ノーベル賞自体功績に送られるものだから、ノーベル賞ほしさに不正をする人はいれど、ノーベル賞のために活動してノーベル賞もらえた人はいないですからね。ホント下賎な賞ですよ。来年は障害者に春を売ってる娼婦でも受賞すれば面白いんですけどね。まあそんなこんなでノーベル平和賞受賞者の解説がのっているページがありました。暇だったら下の二つ見比べてみてください。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/539fc1e27cb834f65da8069988fca07c
http://allabout.co.jp/family/volunteer/closeup/CU20061016A/index4.htm
根本的には同じことが書かれているのに、なんか読むと受ける印象がまるっきりちがいます。なんだかなー、やっぱりボランティア啓蒙活動してる人は胡散臭いですね。

10月18日の日記

2006年10月18日
動物にも障害をもった個体がいるのだろうか。身体障害を持った動物の写真は何度か見たことがあるきがする。野菜の農薬が原因で身体障害を持った動物が生まれやすくなったみたいな話だった気がする。ホント、健康至上主義者は適当にでっちあげてでも目に見える不健康を叩こうとするからいただけない。デスノートのキラじゃないんだから片っ端から目に付いた気に入らないものを排除しようとする行動はどうなんだろうか。あさはかだね。

話がそれてしまったが、身体障害なら見ればわかる。では動物には、知的障害やら精神障害をもったものはいないのだろうか。見た目で判断がつかないので、誰もわからないのかもしれないが、いくら教えてもウンコした後、尻を拭かない犬は知的障害を持っているのではないだろうか。散歩に行くと飼い主に言われると嬉々はしゃいで全裸に首輪姿というキチガイみたいな格好で喜んで散歩に行く犬は精神障害をもっているのではないだろうか。
犬だったら、優秀な犬も障害を持った犬も、絶対的能力の差が少ないから問題にならないのかね。

10月17日の日記

2006年10月17日
エイプリルフールのネタを思いついたのですが、半年も覚えていれそうにないので、今日書いておこうと思います。今日がエイプリルフールだと思って生暖かく見守ってください。

今日、階段を上っている時に自分の体が物凄く軽くなっていることに気がついた。手すりを掴んでいないと体が飛んでってしまいそうなぐらいの浮遊感があった。こんなにも軽快に階段上ったのは、生まれてはじめてだったかもしれない。そういえば、最近体重をはかっていなかったなと思い、相当体重が軽くなっただろうと嬉々しながら体重計に乗ったらなんと太ってたよ。まさか体重計が嘘をつくとはさすが今日はエイプリルフールですね。

なんかイマイチですか。頭の中では面白かったんだけどなうまく文章におこせなかった。さて、飲酒運転取締り強化で、居酒屋で消費されるアルコール量がかなり減っているらしい。いままで深く考えていなかったが、これは面白い皮肉への第一歩かもしれませんね。
まあ後年の研究を経て見なければわかりませんが、居酒屋で消費されるアルコールが劇的に減ると言うことは、たぶん居酒屋で飲食していた人たちの健康に多大なる影響を与えると思います。まあ、居酒屋で飲酒しなくなって普通に健康になるのならそれはいい話でしょう。タバコについで酒の規制強化や課税強化につながるでしょう。
しかし世の中そんなに甘いものではないでしょう。私の予想では居酒屋での飲酒量が減ることによって、きっと早死にするサラリーマンが増えるのではないでしょうか。居酒屋で飲む機会が減り家で飲むことになり酒量が増えて不健康になり早死にする人がふえるかもしれません。もしかすると、居酒屋で酒を飲むことですばらしくストレス発散できていたものができなくなったことで早死にするかもしれません。そんなこんなで、飲酒運転の取り締まり強化や罰則強化で飲酒運転での事故が減ったかわりに、多くの人の平均寿命が半年ぐらい短くなったら面白くないですか?毎年2000人事故死する人が減ったかわりに、1000万人の寿命が半年減ったとかだったらどちらがいいのかな。

10月16日の日記

2006年10月16日
寿命を全うして死ぬのが死ぬことの中で一番幸せなのではないだろうか。最近、実感として感じるのが寿命を全うして死ぬ人が非常にするないと言うことです。昔はもっと寿命で死ぬ人がいたのに、最近だと、肺炎だったり癌だったり病死する人が非常に増え寿命で死ぬ人が少なくなりました。寿命は延びたけれどそのおかげで寿命を全うできなくなった、幸せなのか不幸なのか。

またどこかの学校で自殺がありました。小中学生の自殺があるたびに思うのですが、なぜ一番近くにいる両親や家族が自殺しそうだと言うことに気がつかないのに、学校の先生が自殺の前兆に気がつくと思うのでしょうか。
そもそも自殺に前兆なんてものは存在するのでしょうか。男と女では自殺時の成功率がかなり違うようです。女性は非常に自殺未遂が多い。だから女性の自殺には前兆があるのかもしれません。しかし、男の場合はそんなものあるのでしょうか。現に中学生以下の自殺は、男が圧倒的に多いのではないでしょうか。ただ単に男は自殺しやすいだけかもしれませんが、案外女児の自殺の場合は周りが前兆を察知して自殺とめられてるのかもね。そんなこんなで男児の自殺なんて阻止不可能じゃないでしょうか。

10月15日の日記

2006年10月15日
週に20本ものアニメを見ているのに、更に灼眼のシャナをレンタルしてくるアニメマゾとは自分の事ですこんにちは。楽しみにしていたインサイドマンのレンタルも始まったと言うのに借りても見るヒマがない!スケジュール的に仕事から帰ってきたらまず録画してあったアニメを見る→深夜アニメを見る→アニメとアニメの間にレンタルしてきたアニメをみる→一日のノルマが終わったらこれを書く、みたいになってきました。我ながらかなり酷い。

昨日、何をしているときだったか忘れたが、上のような文章を紹介された。アニメを1作2作と呼ばずに1本2本と数える人はアニメオタクの特徴なのかね。
さて週に20本もアニメを見るなんて、そいつは変態だと私は思った。まあ自分が変態だという自覚もあるようだし、そう重度の患者じゃなさそうだしその人の勝手かなと思って軽く聞き流したのだが、よくよく考えてみるとおかしな話ではないだろうか。
たぶん、多くの人が週20作品ものアニメを見る人をまともだとは思わないと思う。しかし、仮に週21本としたら一日に3本のアニメを見ていることになるのだが、時間に直せばたった1.5時間にしかならない。もしアニメじゃなくバラエティ番組とかだったら一日に2時間ぐらい見る人も多いと思う。私の場合下手をすればニュース番組だけで1.5時間越えるぐらいテレビを見ていると思う。トータルだったら1日6時間はテレビを見ていると思う。そう考えると週20本アニメを見るというのは量的にはそう多くないのかもね。週20本アニメと聞いて異常だと感じたのは20本の部分だと思いがちだが、いい年してアニメを見ていることが異常だと暗に思ったのかな。まあ、うがった見方をすれば、駄作アニメの多い昨今、20作も良作のアニメがあるわけがなく、年齢対象が違ったり純粋に見るのも辛いようなアニメを見て20作という本数を稼いでいることに異常を感じたのかもしれないね。もしそうだったとしたら十分私もまともな人間じゃないことになってしまうのだが。

すいません。今日はこの辺で、

10月14日の日記

2006年10月14日
貧乏な若者というと、劇団員だったり芸人だったりがイメージされる。たぶん、若手の劇団員も芸人も多くが貧乏なんだと思う。その上、成功するのは、ごく限られた人でしかない。どんなに努力しても、多くの劇団員や芸人は一度も日の目を見ずに沈んでいく。続けていても、成功する可能性は限りなく低いのに彼らはなぜそれを続けていけるのだろうか。そのモチベーションはどこからやってくるのだろうか。そんなことを考えていた。
最近は、学校化がすすみ若手劇団員や若手芸人は、所属する団体に金を払わないといけなくなった。将来金を稼げる見込みの非常に少ない仕事を志すために金を払わないといけない。そんな非常に不条理な仕事にもかかわらず志願者がなくなることはない。これはどういうことなのだろうか。例えば司法試験でたくさんの人が浪人しているがこれなんかも無駄に才能が浪費されていると聞く。しかし司法浪人の場合、司法試験さえ受かればある程度生活は保障される。なので一生の安定を求めて司法試験に人生をかける人がいることは理解できる。しかし、劇団員や芸人はやっぱりそれとも違うだろう。

んーなんだろうなと考えて思ったのだが、違う自分を演じて他人に見せると言う行為が物凄く楽しいものなのではないだろうか。劇団員や芸人は金や生活のためではなく、それ自体が面白いからそれに取り組んでいるのではないだろうか。でもそう考えると話がわからなくなってくる。もし、したいことだけしていればいいのなら、劇団員や芸人は物凄く楽しいだろう。しかし、客のことを考えずに自分勝手にしているだけでは、マスターベーションと同じである。この日記と何も変わらない。他人のマスターベーションを見たいと思う人なんていないだろう。などと思ったのだが、容姿端麗な女性だったら、オナニーしてるだけで客が呼べるかもしれないね。私が男だから嫌悪しているだけで女性から見ればかっこいい男のオナニー姿をみたいものなのかね。

話が変わってしまったが、多くの劇団員や芸人は、自分がしたいものを演じているわけではないだろう。しかし、それでもなお金を払ってまで演じたいと思うほど、人に演技を見せるのは面白いことなんだろう。

ここまで考えて、すごく手軽に人生を楽しむ方法を見つけたかもしれない。素人が急に客を呼んで演技を披露するのはむずかしいだろう。そこで、日常生活に演技を取り入れてみたらどうだろうか。
仕事場で物凄く仕事が好きな人の演技をするのである。その中で大切なのは、仕事を楽しむのではなく、仕事が好きな人を完璧に演じきっている自分やそれにだまされた同僚や顧客を見て喜びをえるのである。演技をして、同僚や顧客を喜ばせて、金まで入手できる、一石三鳥ではないだろうか。ただ自分が仕事が好きな人を演じればみんなが幸せになれる。これってすばらしい発見じゃないだろうか

10月14日の日記

2006年10月13日
なぜ、巷では今だに大艦巨砲主義ならぬ長身巨根主義が跋扈してるのだろうか。ちびは忌み嫌われ長身がもてはやされる現在はすこしおかしいのではないだろうか。
栄養事情が悪かった昔ならば、体が大きいことは裕福であったり健康であったりそういったことを連想させるので成長不良な人よりもてはやされる理由もあるだろう。また、肉弾で戦い物事が決着していた時代なら、体の大きさは武力になっただろう。しかし今の世界はぜんぜん違う。体が大きくても何のメリットもない。にもかかわらず長身が好まれるのはなぜだろうか。ロリコンが多い日本でさえモデル体系と呼ばれる細身で長身な女性がもてはやされている。短身貧乳女優のアダルトビデオなんてものはニッチの中のニッチで隙間産業もいいとこだろう。さてなぜ、長身巨根巨乳がもてはやされるのであろうか。もう今は過去と時代が変わったのだから大艦巨砲主義が廃れたように、長身も廃れるべきではないだろうか。
どの面でみても短身のものは優れている。地球温暖化など地球環境の変化が問題視されているが、長身者は短身のものにくらべてエネルギーを無駄に消費する。同じ大きさの家であっても短身者のほうが相対的に大きく感じることができる。また寿命の面でも、例えば平均余命を比べると、身長180cm以上の人の平均余命よち身長150cm以下の人の平均余命のほうが圧倒的に長いだろう。短身者は長生きするのである。他にも例を挙げていけばきりがないが、長身者にはなんらメリットがなく、短身者はメリットがたくさんある。にもかかわらず世論は長身信仰が続いている。これはどういうことだろうか。
これはまさに、過去の成功例にとらわれた発想で作られた、柔軟性に乏しい過大なシステムのなれのはて、大艦巨砲主義なのかもね。
私は死後硬直が始まり沈み行く長身巨根巨乳主義からの脱却をはかり、短身貧乳を愛好する幼児体形信仰を始めるときが着ているのだと思います。

10月12日の日記

2006年10月12日
老人が悪いのか社会が悪いのか、一部の金にゆとりがある老人の金の使い方に問題がある。まあ他人の金の使い方に文句を言うのは気が引けているので思ったことの1%も主張できないかもしれない。

老人の金の使い方は非常に間違っている。年金を貰っているのにその貰った年金を、自分のために使わずに孫や子供にプレゼントを贈ることに使用している人がいる。また貯蓄して遺産として子供に残そうとしている人も多いみたいである。何のための年金なんだろうか。若者から徴収された年金は老人に分配されてそれがお小遣いなどとしてまた若者に再分配される。何か間違ってはいないだろうか。まだ、それが老人の地位向上に役に立っているのなら救いもあるが、金のやり取りだけじゃ尊敬されないだろう。ホントに羨ましくなんてないんだからね。

まあ、老人が自分のために金を使わないのは老人だけのせいではないかもしれない。老人が金を使うとして何に使えばいいのだろうか。思いつくの老人ホームの入所料ぐらいしかない。
マックにしてもファミレスにしてもネットカフェにしても、金余りの老人が利用するのに向いているとは到底思えない。日常生活において老人相手に商売をしているところが少なすぎるのではないだろうか。老人は金を使わないのではなく、金を使いたいことがないのではないだろうか。
何だろうね。死ぬまで年金貰い続けるんだから、放蕩息子ならぬ、徘徊老人になって粋に毎日遊び呆けてくれないかね。そうすれ少しは老人になりたいと思うんだけどね。少なくとも現状では老人に憧れを感じないよ。

10月11日の日記

2006年10月11日
ネットは不毛だね。目くそ鼻くそを笑うといわれてしまいそうですが・・・

基本的に本は図書館で借りて読む私は、ブックオフで本を買うとなると最上級の贅沢です。読み終わった後は、思い入れのないページをひきちぎってぐしゃぐしゃに紙を柔らかくしてチリ紙にしています。思い入れのあるページは障子やふすまの穴を塞ぐのに使います。ホント本は万能ですね。ネットを見ていたらブックオフの値札のシールを上手にはがす方法というモノが紹介されていた。
http://news.ameba.jp/2006/10/sp1004_2.html
嬉々して見に行ったのだが目新しい方法は見当たらなかった。しかし不毛なものを発見してしまった。上記のページはコメント欄がついているのだがコメント欄の中で不毛な言い争いが行われていた。

ブックオフで本を買うのが恥ずかしいか恥ずかしくないかで言い争いがおきていた。別に人が何に恥ずかしいと思おうがその人の勝手だと思うのだが、そんなことすら許容できない人間もたくさんいるのね。世界が平和にならないわけだよ。明らかな事実誤認があるならいざ知らず、人が何を感じるか、自分と違うことを思う人がいてもいいと思うのだが。恥ずかしい恥ずかしくないでいったら、本を読むことすら恥ずかしいと思うのですが。20歳になるまでに本は卒業しないとね。本なんて超大雑把にからげれば、ストーリーがあるだけですよ。読書なんていい加減飽きるでしょう。アレンジが加えられればいいのか、飽きずに読んだことのない違う本を読む、それに何の意味があるでしょうか。まあ、他人がすることだからどうでもいいですが。
まあ本だけでなく、ゲームも趣味もテレビ鑑賞もありとあらゆることが恥ずかしいんですけどね。教養のある人間は、何もなくても一生退屈せずに時間を潰すことができます。それが教養というものです。他人から何かを提供してもらわないと時間を潰せないなんて恥ずかしいですよ。
ずーとイマジネーションでオナニーするのが教養なのかと問われると困ってしまいますが、人間なんて生きてるのが恥ずかしい。恥を知らずに生きているのが一番恥ずかしい。だから皆さんも、生きてることの恥ずかしさを自覚してください。生きていくだけで最高に恥ずかしいのだから、個人で撮影した無修正のマンコ画像が流出しても、生きていることよりは恥ずかしくないんだから気にしないでいいのにね。どんどんみんなが自分のマンコ画像をアップしていけば、それがどんだけ恥ずかしくないことか気づくことができるでしょう。
気がつけば私も同じ轍を踏んでいた・・・

10月10日の日記

2006年10月10日
最近自分を卑下しすぎたかもしれない。自画自賛するためにも結果ありきの主張をしてみようかと思う。

整理整頓ができる人はろくな人間がいないんじゃないだろうか。整理整頓するやつは糞である。大体において優れた功績を残すのは整理整頓できない人間である。整理整頓する人間は、仕事の効率などを考えているらしいが、整理整頓されたところからは何も生まれない。もしあなたが機械人間ならそれでもいいだろう。整理整頓されていないところで、紆余曲折を経て失敗などを通じて新しい進歩が生まれる。パッと例を挙げろといわれてもノーベル化学賞受賞の田中耕一氏ぐらいしか思い浮かばない。多くの発明や発見は混沌の中から生まれている。人間楽をしようとしても何も結果は得られない。いちいちモノを探すのは面倒かもしれないが、探し物をしているうちに関係のない2者が組み合わされてすばらしいものになる可能性がある。だから、安直に整理整頓をすべきではない。部屋は汚い方がよい。汚い部屋で苦労してモノを探しているほうが自分の力になる。

最近本屋にいくと、「頭がいい人、悪い人の話し方」とか「仕事ができる人の○○」とかそんな感じの本がたくさん売られている。思うんだけどそんな本を買う時点で駄目な人間から抜け出せないのではないだろうか。できる人間はそんな本を読んだからそんな行動をとるようになったわけではない。自力でその方法がよいと判断できたから優れた人間になったのではないだろうか。それをできない人間が、形だけをできる人間にあわせたとしても、優れた人間に豹変するとは思えないのだが、できない人間は、できる人間を形だけまねしたいということなのかね。

この日記で当たり前のことを主張してもくそも面白くないことが証明されましたね。誰でも考えること書いてもしょうがないね。明日からは、毎日したうんこの硬さと原因でも考えていきましょうかね。

北朝鮮の核実験

2006年10月9日
最近、下痢気味で肛門が痛いなと思っていたら、北朝鮮が原因ですか。北朝鮮もしょぼちんですね。どうせ国際世論を無視して核実験するのなら地下なんてしょぼい所で行わないで、最高級の空中核実験を行えばよかったのにね。もし夜にしてくれれば日本でも綺麗なオーロラがみれたかもしれません。ホントエンターテイメント性のない国は最悪ですね。

それに負けず劣らず日本も最低です。北朝鮮の核実験を受けての日本の対応は何なんでしょうかね。日本の国会議員は何のために国が存在するのか、存在意義をわかってるんでしょうかね。最低限国がしなければならないことは、外敵から国民を守ることです。しかし日本の対応は国連で制裁してもらおうと言うものです。下手をすると北朝鮮がミサイルを撃ってきても同じ事を言っているかもしれません。国連に任せて国連が判断してくれればいい。なぜ日本は国連を過信するのでしょうか。もし本気で国連に頼る気ならば、日本なんて国である必要を失うでしょう。
それほど国が自力で防衛すると言うことは大切だと思います。国連に丸投げしていいような問題ではないでしょう。しかし、誰もそのことを批判しない。国連なんてくそです。クソに群がる→スカトロ→カストロ→社会主義→日本って事なんでしょうかね。なんか風が吹けば桶屋が儲かるみたいなことでしょうか。

10月8日の日記

2006年10月8日
昨日は風が強かったですね。

成田空港には横風用に、今の滑走路と交差した滑走路が必要だと官僚は主張していたそうです。計画がなかなか前に進まず、ずーと横風用の滑走路は作られていませんでした。2000年ごろ入閣していた堺屋氏は官僚に今だに成田に横風用の滑走路が必要と主張する官僚に、「今までに横風が原因で滑走路がつかえなかった事はどれくらいあるのだ?」と質問したそうです。そすたら官僚は「ほとんどないです」と答えたそうです。ではなぜ横風用の滑走路が必要かと問われ、世界中の有名な空港には横風用の滑走路があるから日本の成田にも必要と答えたらしい。

そんなこんなで今だに成田には横風用の滑走路はできていないんだと思う。堺屋氏が正しいの官僚の意見が正しいのか私に判断はできない。しかし、昨日あぜに向かってたっしょんしていたら、横風が吹いていて、おしっこが全部自分の足に帰ってきて風下の足が糖尿でべたべたになった。なんだかな、私は道に仁王立ちになってたっしょんしなければいけなかったのだろうか。もし、横風用の道があれば私は、安全に風下に向けてたっしょんできたであろう。

親は私に気遣いできる人間になりなさいと教育したのに、気がつけば気違いになっていた。気違いと気遣い一字違い、それも微妙な違いなのに近所の評判はえらい違いである。なんだかな。もし私がアメリカに生まれていれば、勘違いしたとしても熟考できる人間になっていたのかね。

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