5月24日の日記

2010年5月24日 日常
技術の発展ってよくわからない部分がありますね。クローン動物をつくるのに成功したと喜んでいるのに、一方では口蹄疫の対処法は殺処分しかない。

で宮崎の種牛が全部殺処分になるとかならないとかで問題になっています。種牛って必要なのは精子だけで、肉とか口蹄疫で害の出る部分って全部関係ないんじゃないでしょうかね。まあ国内では飼えなくなるので公海上の船でも浮かべてそこで飼って精子をとればいいんじゃないでしょうかね。それほどまでには種牛に価値ないのかな。というかこうなる前にバイアグラやマムシドリンクでも飲ませて、今後一生困らないぐらいの精液を確保して置けばよかったのに。
あと、クローンができるのなら、殺処分の前に金玉だけ摘出して、金玉を培養して精子を取り出すのって無理なのかね。金玉単独で精子を作らせることができたら種牛なんて要らなくなるだろうし、生産性もあがるんじゃないかな。

まったく話は変わりますが、破綻しかかっている民間企業に国が税金をつぎ込むと鬼のような批判が飛び交うのに、今回、宮崎の畜産業界に税金がつぎ込まれることを批判している人は見かけません。この差はなんなのかね。日本で口蹄疫が流行る可能性があって、そうなった場合殺処分が法律で決まっているのなら、何らかの保険に加入しておくのが、一般的企業ってもんじゃないですかね。ダメだと言われたJALですら、予測不可能な飛行機墜落に備えて保険に加入してたんじゃないのかね。それなのに、宮崎の畜産業界はなんら危機回避のための対策をとっていなかった。それでこのままでは、宮崎の畜産が滅ぶから国に金を出してくれと言っている。もしこれで金を補助すれば、今後も問題が起きれば国に頼ればいいということで独自の対策なんて行なわれないんじゃないのかね。まあ、税金をつぎ込んでも誰も批判していないのだから、それでいいのかね。
少なくとも、宮崎の牛が全滅しても俺の食生活にはまったく影響ない事は確実である。つうか私の食生活から言えば、国内の畜産業者が全滅した方が都合がいいのかもしれない。やっぱりそんなのは少数派なのかな。

5月23日の日記

2010年5月23日 日常
凄い話が、本に載っていた。何でも生類憐みの令は、犬だけが対象でなく、子供も対象だったらしい。当時、7歳未満の子供は、人間として扱われていなかったらしい。だから死んでも、葬式や埋葬することもなく、そこらに捨てていたそうである。また口減らしの為に子供を殺したり捨てたりすることも普通に行なわれていた。そういったことも生類憐みの令では禁止しようとしていたらしい。なぜ学校の歴史の授業では、今と当時の常識の違いと言う一番重要な事を教えないのだろうかね。少なくとも今の常識で考え江戸時代の批判を行なうのは狂気の沙汰じゃないのかね。

今だったら、犬が死んでも葬式して埋葬する人がいると言うのに、驚きの違いだ。
史実で時代劇をつくったらどうなるんだろうか。飢饉とか疫病が流行ると町に死体があふれていたと聞くし、今の常識からみれば実際の江戸時代って地獄絵図みたいになるのかね。

5月22日の日記

2010年5月22日 日常
脳死臓器移植ってクソじゃないですか。脳死臓器移植が行なわれる案件では脳死に先駆けてできるだけ移植の成功率が上がるように、薬の使用を控えスムーズに臓器移植が行なえるように生きている段階から準備して、脳死になったときできるだけ早く臓器を摘出できるようにしているらしい。
そんな事をしているのに、もうすぐ死ぬ生きた人間から臓器を取り出すことはしようとしない。何が変わるのだろうか。別に厳密には生きた人間でもその人間が臓器移植を望んでいたのなら、生きているうちに体をばらして臓器移植したっていいんじゃないかね。極論、臓器摘出する外科手術とあんまりかわらないと思う。

道徳という分野で非常に疑問がある。よく、すべての母親は子供がかわいいと言われる事がある。すべての親は盲信的に子供の事を考えているでもいい。
多分、一般的にそれは正しいのだと思う。しかし悲しいかなそうでない親子関係の人も必ず存在する。親に疎まれている子供が、学校の道徳の時間にすべての母親は子供がかわいいと言う話を聞いたら、自分の事をどう処理するのだろうか。すべての〇〇は〇〇だという断言って、それに当てはまらない人にとっては物凄い残酷な言葉になるんじゃないかね。
まあ現状だと、虐待やら事故などで親から疎まれている子供は処分されて小学校に送り出されるなんて事はないのかな。間違っているかもしれないがそれだったらちょっと救われた気になれるかな。死ぬ事に比べれば生きているだけで素晴らしいというのも聞いたことあるけど、子供を虐待して殺すような親に育てられるとしてもできるだけ長く生き延びた方が素晴らしいのかね。

5月21日の日記

2010年5月21日 日常
なんで日本にはヌーディストビーチがないのだろうか。裸で出歩く習慣がないのか悲しくなっていた。別に男の裸なんか見たくはないけど、若い女性が裸で歩いていればそれだけで嬉しい。さすがに、市街地を全裸でうろつくのは防犯上よくないかもしれない。しかし、プールとか海岸だったら、裸も水着もそう変わらないだろう。もし水着を着なくなったら、水着を買うお金が浮く。また日焼けも綺麗に全身焼く事ができる。あと私が嬉しくなれる。まだあるかもしれないけどそんなに悪い事はないんじゃないかな。まあ、撮影されてネットにアップされる事をマイナスと考えるなら18歳以下の必要があるけど。
まあ、そんな感じでプールや海岸で裸でいてもほぼ実害なしで男は大半が喜ぶと思うんだけどね。海やプールで裸の人なんて見たことない。

なんで私が幸せに暮らせないか、やっとその理由がわかった。この前、友達と超久しぶりに会ってコンビニによった時に、友達は会計終了後レジの人に「ありがとう」ってお礼を言っていた。お釣りでも多めに貰ったから礼を言ったのかと後で聞いたら、ただ純粋にお礼を言っただけとの事だった。何でもお礼を言ったって減るものじゃなし、それで相手が少しでもいい気分になれるのならと言う事で何かをしてもらった後は、お礼を言う事にしているらしかった。実際、その後、様々なところで「ありがとう」って言っていた。
いやー私の知っている友達はそんな人間じゃなかったのに。というか私の周りに居る人はみんな知り合い以外とのコミュニケーションは悪態しかないような人たちだったはずなのに、衝撃を受けた。宗教にはまっているわけでもなさそうだった。私が今まで気づかなかっただけでその友達は、学校教育で歪んでいた様に見えただけでどうも根は善人だったようである。

で気がついたんだけど、根は一緒か。私は他人に裸を見せたって減らないんだから裸で居てもいいんじゃないかとは思うけれど、自分がやっても減らない事をして他人を喜ばせようなんて思ったことはこれっぽっちもない。なんかそんな事をすると、自分がすり減ってしまうような錯覚を感じてしまう。日本には自己中ばっかりで博愛的な考えをもった女性が少ないから、職業抜きで裸でいる女性がいないのかね。

しかし考えてみたら、私は泳げないので中学校のとき体育の授業でプールに入った時、以降海やプールに行っていない。体育の授業なので女子生徒はみんなスクミズを着てたかな。それ以降の海やプールのイメージってテレビで見ただけだった。まあ言うまでもなくテレビで全裸の人は放送できないから居てもうつさないだろう。ただテレビで見るプールや海はアホみたいに人が居る。という事は、案外実際、海に行けば全裸で焼いている人とかいるのかね。

5月19日の日記

2010年5月19日 日常
ネットの情報なのでどれだけバイアスがかかっているかわかりませんが、前回口蹄疫が宮崎で見つかったときは、優秀な獣医がかなり早い段階で口蹄疫を疑ったので被害が最小限に抑えられたという話がありました。しかし、口蹄疫を指摘したことによって近隣の畜産をしている人達からは、自分達の家畜が全頭処分の対象になりかねないと迫害を受けたとか。そのせいで一時的に獣医師は体調を崩し休業しなければならなくなったとか。

素晴らしい行為をしたのにそれを評価することができなかった。評価する為には、大量感染が必要だったとしたら悲しいものですね。今回のけんで宮崎の畜産業者は、早期発見や口蹄疫を疑う事の重要性を分かったんじゃないかな。何でも今回の大量感染は、三月に水牛が感染してそれを獣医が見逃したところから始まっているらしいですし、もしかしたら前回の教訓が悪い方に働いたのかもね。

私は何の肉でも食いますんで、捨てるぐらいだったら・・・と思ったけど、自分で解体してまで食べたいんだろうか。埋めたの掘り返して肉を入手しようとする人はいないのかな。
あと口蹄疫テロしたら一発で日本中の家畜がアウトになる気がするんですけど、さすがにテロリストはそんな被害額目的のテロはおこなわないのかね。

5月17日の日記

2010年5月17日 日常
何を言おうとしていたのかを忘れてしまったのでグダグダになるのは確実だと思う。まあそれはいつもか。

昔、ソニーの信者だった人にソニータイマーについて批判していたらソニータイマーで壊れた製品は修理すれば直せる。しかし、腐った音のするプレイヤーは修理しようがないと言っていた。当時の彼にはソニー以外の国産メーカーの音楽プレイヤーから流れる音は音楽とは思えなかった。壊れたものは金を出せば直せる。しかし、性能は修理しても直すことができない。音の違いがわかる人にとって見れば修理にかかる費用なんて得られるクォリティに比べれば微々たる物なのね。まあ一般的な人はその製品の性能の違いを感じれないので壊れない製品の方がいいと思ってしまう。

そういえば、国産車と外国車でも似たような話を最近聞いた。日本の車メーカーは法的な決まりとか自動車メーカー同士で決めた協定以外は、あまり重要視しないらしい。パワーウィンドウは対して安全に対する決まりがないらしい。だから国産メーカーはなんの対策もとっておらず、毎年何人かの子供などが窓に挟まって骨折したり死んだりしているらしい。まあ頻度で言えばこんにゃくゼリーほど危険なのかな。まあそれらの窓に挟まる事故は保護者がの不注意が悪いということで処理されているらしい。だから対策がとられず毎年怪我や命を落とす人がいるとか。一方ヨーロッパの車メーカーは、他人に指摘されなくても消費者のご機嫌をとるのが好きらしく、物凄くパワーウインドウが敏感らしい。ちょっと手が触れただけでストップしたりするとか。使用者によるとちょっとした事で止まるのでわずらわしいとか。まあ、車を買うときのパワーウィンドウの善し悪しで車を選ぶ人なんて居ないだろうからどうでもいいのかな。
というか、昔みたいに手回しでいいんじゃないかね。運転してて車の窓を開ける必要があるときなんてもうほとんどないんじゃないかな。

5月15日の日記

2010年5月15日 日常
風邪をひいて寝ていたら数日が過ぎていた。

その数日間に見ていたテレビで、ここに書けそうな事は一つしかなかった。ただ余りに最低な内容なので書くべきじゃないのかもしれない。
便秘特集というのをやっていたんだけど、女性の中にはうまくウンコができなく便秘になる人がいるらしい。食生活とかホルモンバランスとかそういったものではなく、排泄という行為がうまくできないらしい。まずその検査法がやばかった。バリウムと小麦粉を混ぜた物体を腸一杯になるまで浣腸で注入しておまるに座ってウンコを出す姿をCTで撮影して腸の動きを見る。何でもうまく肛門を緩めれない女性は、膣に空間があるために直腸に圧がかかると肛門からウンコが出ずに膣方向に腸が押し広げられて、便の感覚はあるけどウンコが出ないと言う状態に陥るらしい。本人は便意はあるけどウンコが出ないという状態に悩むらしい。また便通のよくなる食事をとっても改善せずにウツ状態になる人もいるとか。
その後治療法の紹介もやっていたんだけど、普通に手術とかもあったんだけど、一番驚いたのは、風船を肛門に入れて膨らませてそれを引き抜く事でウンコをする感覚をつかむという訓練だった。大体の人はその訓練を数度すれば、うまく排便ができるようになるとか。そんな練習しないとウンコがうまくできないって女性はなんなんだろうか。
つうかもう、どうせなんでもありなら、膣にバイブを刺してウンコすれば直腸が変形する事もなくうまくウンコができるんじゃないのかな。これで今年のノーベル医学賞は私のものだな。

まあ朝のテレビはカオスです。

5月11日の日記

2010年5月11日 日常
沖縄米軍基地問題のニュースを見て思ったんだけど、誰も現実を把握できていないのはわざとなんですかね。沖縄に基地がある事で、中国や北朝鮮からの攻撃に対する抑止力になることが、一番の基地がある理由みたいな話になっていますが、現実は違うと思うんだけど。第二次世界大戦のあと、一番戦争をしている国はアメリカだと思う。世界中で一番危険なのはアメリカ一択だとおもうんですけど。沖縄に米軍基地があることで、世界で一番危ないアメリカから攻撃されないというそのメリットの為だけに米軍基地を住まわせ金を撒いているんじゃないのかね。

5月10日の日記

2010年5月10日 日常
ギリシャがオリンピックの呪いにやられましたね。うわさでは中国も万博終了後バブルがはじけて大不況がやってくるという話もあります。そういえば3回ぐらい前はアメリカもオリンピックを開催していましたか。オーストラリアって最近大不況になりましたかね。とりあえず、オリンピックを開催すると大不況がやってくる呪いがあるんじゃないかな。

5月9日の日記

2010年5月9日 日常
最近、気がつくと一日が過ぎていている。物凄い憂鬱な季節に今年もなったのかね。ある事を日記のネタにしようと思っていたんだけど、調べる時間が無かったので、見当違いかもしれない。

やっと、なぜアイドルが成立するのか分かった。最近のシングルCD売り上げランキング上位を見ていて思ったんだけど、最近CDが売れてる人達って歌唱印税を貰っていない人が多いんじゃないだろうか。アイドル系はほとんど印税を貰っていないんじゃないかな。だからいくらCDが売れても収入が増えるという事にはならないんじゃないだろうか。CDだけじゃなく、ほぼすべて売り上げに応じた報酬を得ていないから、どんなに商品が売れてもそうそうにドロップアウトできないのかな。
いくら応援して金を貢いでも、アイドルに直接金が流れず引退が早まる事が無いのならなかなかいいシステムかもしれないね。まあ終末がアイドルの交際発覚だとするとそれはそれで悲惨なのかね。

5月8日の日記

2010年5月8日 日常
そういえば、昨日NHKでやっていた盗撮の冤罪で捕まった発達障害を持った人の特集は酷かった。ホント知らない方がよかった。

エスカレーターで携帯を操作してたらはずみで持っていた傘が前の女性に触れたらしい。運悪くそのタイミングでメール送信したので電子音が鳴ったらしい。それを聞いた女性が盗撮されたと勘違いして、その男性を駅員の所まで連れて行ったらしい。男性は発達障害だったこともあってか、状況がつかめないまま、駅員の所までつい行って、その後警察に盗撮していたとして逮捕されたらしい。携帯電話には、盗撮した画像は残っていなかったものの、女性が盗撮に気がついたので画像を消去したという事に警察はしたらしい。あとは、警察おとくいの脅迫か洗脳かしらないけれど、男性を恫喝して上申書や供述調書がつくられたとか。何でも上申書は内容が気に入らないとかで、警察が気に入る無いようになるまで十回ぐらい書き直しさせられたらしい。裁判が始まって弁護士に諭されたかなんか知らないけれど、男性はやっぱり自分は盗撮してないと無罪を主張することにしたらしい。しかし、地方裁判所では、供述調書や上申書に信憑性があるので有罪となったらしい。
納得できなかった男性は、控訴したらしい。高等裁判所では、被害者の女性に弁護士側からの尋問があったらしい。そこで弁護士が実際にカメラの撮影音を被害者女性に聞かせて事件当時聞いた音と同じ音だったか質問したらしい。そしたら女性は、違うと言い出したらしい。どうやら、メールの送信の際にでた電子音をカメラの撮影音と勘違いしていたらしい。そんなこんなで、高裁の判決では、供述調書や上申書には信憑性のかけらもなく警察の作文だとかなんとかで無罪だとか。

この酷さは、なんなんだろうか。私の日本語以上に酷い。もしこんなドラマあったら現実離れしすぎでこんな事があるかと批判するんだけどな。

5月7日の日記

2010年5月7日 日常
昨日、痴漢冤罪のニュースを見た。今日は、盗撮の冤罪で捕まった発達障害を持った人が紹介されていた。どちらも警察が一方的な思い込みを持って捜査を始めた事が冤罪を生んだと言われていた。本当にそうなんだろうか。
少なくとも、警察が一般人を脅して自白させて犯罪を捏造しても、それにかかわった警察官が罰せられる事はない。まあ出世できなくなるなどは、あるかも知れないが表向きの処罰はないのではないだろうか。別に法律的にはそれが悪い事ではないようである。ネット上のうわさでは、女性がこの人痴漢ですと主張すれば、主張された人はとりあえず痴漢の現行犯で逮捕されるらしい。その後、警察は脅して容疑者に痴漢を認めさせるらしい。基本的に容疑者が発言する都合の悪い内容の発言は嘘をついていると言う事にされるらしい。

なんとインドですら無実の人を逮捕するのが難しいというのに、日本ではとりあえずこの人痴漢ですと言ってくれる女性さえ居れば、誰でも逮捕される恐れがあるらしい。多くの人は警察の捜査方法に問題あると思っているようだが、本当にそうなのかね。
盗撮は調べていないが、少なくとも痴漢という犯罪は無いらしい。下着の中に手を入れて性器を触れば、強制わいせつ罪だし、それ以外はめいわく防止条例違反とか威力業務妨害とか、あとは軽犯罪法違反だったかな。状況に応じて検察が適当に罪状を決めて起訴するらしい。多分、刑法ができた時点では服の上から尻や胸を触るぐらい犯罪ではなかったのではないかね。痴漢をした犯人を捕まえる事の重要さより、被害者と被疑者の触った触らないだけで痴漢という罪をつくると冤罪を防げない事を心配したんじゃないのかね。痴漢という犯罪が無いにもかかわらず、痴漢の現行犯で容疑者を逮捕して、その後取調べで罪状を決めるなんて、後出しじゃんけんというか別件逮捕というか、そんなことが認められている事の方がもんだいじゃないのかな。
痴漢は犯罪じゃなくするか、もしくはちゃんと痴漢という罪を刑法で定義するかどっちかしないと痴漢冤罪はなくならないんじゃないかな。

5月6日の日記

2010年5月6日 日常
スラムドッグ$ミリオネアの原作となった小説の日本語訳をすこし読んだんだけど、驚くほどクソだった。ネタの発想はいいと思ったけど、全体のストーリーが物凄くクソだった。映画は、ちゃんとした脚本家がましなストーリーにしたのかね。もしかしたら、日本語訳を行なった翻訳者がクソなのかもしれない。
小説は無学で貧しい若者がミリオネアに参加してクイズに正解していく物語なのだが、番組スタッフが常時若者は無学だから絶対クイズに正解することがないと思い込んでいるのである。最終問題など2択にするライフラインを残していたにもかかわらず無学な若者は問題の答えを知らないから絶対正解しないと思い込んでいた。ミリオネアの面白さは4択なので答えを知らなくても正解できる可能性があることじゃないのかな。また、選択問題なので答えをしらなくても消去法で答えに近づく事もある。なんで問題の答えを知らないから絶対間違えると思えるのかがよくわからなかった。
あと、二問目に司会者が早々に挑戦者が間違えるのを嫌って問題を若者が答えの知っている問題に変更していたんだけど、あれは司会者が行なった不正として賞金の支払いをストップできるレベルだとおもうんだけど。
あとインドって私が思っているよりはまともな国なのかね。不正を疑われて逮捕された若者だけど、警察に拷問を受けて自白を強要されていたら弁護士が助けにやってきて逮捕拘留する権限が警察にない事を主張して抗議したら保釈になっていた。拷問の違法性が問われないような国で、無実の人をとりあえず拘束しておく法律がないなんて信じれない。インドは私が思っているよりまともな国なのかな。

5月4日の日記

2010年5月4日 日常
最近、NCISという洋物の連続ドラマを見る機会があったんだけど、なかなか面白かった。今シーズン7をアメリカで放送していると聞いて、あまりの長編未完結に見る気がなくなったんですが、どこの世界も、ヒットした作品の続編ばかり作っているのは同じなんですね。

刑事モノのドラマだったんですけど日本のドラマと何が違うのかな。基本的に縄張り争いがあったり、お調子者が出てきたり、殺人事件を解決したり、やってることは同じなんだけど面白さがちがう。なんだろうね、アメリカ人だったら何をしてもおかしくいないと言う先入観があるから、現実離れしててもたえれるのかね。

5月2日の日記

2010年5月2日 日常
自分はアスペルガー症候群かもしれないと思った。精神科医に判断してもらわないとなんと言えないけれど、もし私がアスペルガー症候群だったら、アスペルガーの人は犯罪者予備軍と言う話に納得できる。
何をするのもかったるくて仕方なかったんだけど、もしこれに自暴自棄が組み合わさったら確実に犯罪者になるんだと思う。つうか、このかったるさがアスペルガーによるものだったら絶望的である。うつ病とかブロイラー病なら後天性の病気なので治る事もあるかもしれない。しかし、アスペルガー治るような病気ではなく生れつきの性格みたいなもんらしい。麻薬をやればかわるのかもしれないけど違法だし、このかったるさから開放されるには死ぬしかないのかね。そもそも、かったるいのはアスペルガー症候群だからなのだろうか。


5月1日の日記

2010年5月1日 日常
明るいニュースと暗いニュースがある。皆さんはどちらを聞きたいだろうか。と言っても同じニュースなので、明るいニュースを聞きたかったらロリコンやペドフィリアになろう。暗いニュースをお望みなら一般人になろう。

そのニュースと言うのは、新聞に載っていたのだけどブルセラで下着を売っていた人たちが子供を出産して母親になってるらしい。そういった事をしていた親は罪悪感無しに金の為に望まれると、子供の裸の写真を撮ってマニアに売るらしい。感覚はブルセラと同じで、別にデジカメで子供の裸の写真や動画を撮ってネットをかいしてマニアに売っても直接マニアとの接触がないので軽い感覚で児童ポルノ販売を行なえるらしい。
さて、賢人の皆さんなら気がつくと思うけれど、ブルセラの次に流行ったのは援助交際である。金の為に売春を行なっていた高校生。援助交際を行なっていた人たちなら、金の為に子供に売春させることに抵抗感が薄いんじゃないだろうか。アホな識者どもが、二次元を児童ポルノに含めるかどうかを議論しているうちに、時代は金を払えば子供と売春できるようになろうとしているのかもしれない。特に母親が管理する売春は、表ざたになりにくいんじゃないかな。客と母親間で金銭トラブルにでもならない限り露見する事はないんじゃないだろうか。あーあ、売春させられる子供はかわいそうだね。
こんな事にならない為にも、援助交際は悪い行為だと、している人たちにわからせる事が必要だと口をすっぱくして言っていたのに。ただ国税査察官がおとり捜査を行なって、売春しまくってその後脱税を摘発しまくればよかった。国の金で買春する仕事なんて、やっぱり今の時代だったら、仕分け人の蓮舫さんにばっさり斬られるのかね。まあ、いいか
そういえば、振り込め詐欺で200万円以上とられている高齢者もいるみたいですが、彼らって贈与税の支払いはどうなるんだろうか。まあ、いいか

4月30日の日記

2010年4月30日 日常
国債は国の借金で、のちのち国民が返していかないといけない負の遺産だと言っている人は脳みそが腐ってるのかね。どう考えても、踏み倒すか超インフレ誘導かわからないけど、将来国がまともに借金を返す気が無いのは常識なんじゃないだろうか。多分過去の歴史をみてもそう言えると思う。
なにか安定資産に貯金を変えないといけないと思うのだが、何が適当なのかわからない。黄金週間だし、アイドルのウンコでも買おうかな。

仲里依紗が女子高生のコスプレをしていると聞きつけてテレビを見たんだけど、どうもマンガのコスプレをしてマンガのマネをしているらしかった。主人公は27歳のが扮していて非常に再現性があったらしい。
そんなことはどうでもいいのだけど、番組の最後に「劇中で高校生がタバコを吸っているシーンがでてくるがフィクションであり、実際には犯罪なのでまねしないでください」見たいな事が表示されていた。それを言ったら、高校生ヤンキーが殴りあいの喧嘩をしているのはいいのだろうか。不良グループが主人公の学校に押しかけて主人公に殴りかかるシーンがあったんだけど、そっちの方がよっぽどまねしてはいけない行為なんじゃないかな。

4月29日の日記

2010年4月29日 日常
なぜそこらに出没する露出狂って男ばっかりなのかね。少なくともAVの中でしか女性の露出狂を見たことが無い。女の露出狂って実際にはいないのかなと儚い気持ちいっぱいだった。しかし、よく考えてみたら、男の露出狂なんてうわさだけで映像ですら見たことない事に気がついた。しょうがないので私が露出狂になって今の小学生には露出狂に出会う体験をさせてあげようかね。
そういえば、十年ぐらいのスパンで見た場合、11~20年ぐらい前だと、蜂に刺された時は、針が残っていたら針を抜いて、刺されたあとに誰かに直接小便をかけて貰うと気持ちよくなれるという言い伝えみたいなものがあった。もしかしたら、小便をぶっかけるほうが気持ちいいという話だったかも知れない。多分メジャーな話だと思ったんだけど、ここ最近10年ぐらいで考えてみると蜂に刺されたら小便という話をまったく目にしなくなった。実際、衛生面かなんかで見ても小便なんかかけないで水か何かで傷口を洗浄して医者に行く方がいいらしい。10歳以下の子供だと蜂に刺されたら小便という話はまったく知らないのかな。公園で蜂に刺された子供を見かけて小便をかけたら逮捕されてしまうのかね。なんか世知辛い世の中になってしまったね。昔だったら小便かけ放題だったのに。


チェンジザルールという本を知っているだろうか。私は要約が苦手なんだけど、そもそも要約だけでなく意見を伝える事が苦手なんだけど、三行で説明する。
システムが新しくなると、新しいシステムにあったルールが必要になるけれど、多くの人は惰性で古いシステムのルールをそのまま新しいシステムでも使い新しいシステムの能力を100%引き出すことができない。また、もし新しいシステムにあったルールをつくろうとしても、旧システムの限界を基準にルールを創ってしまい、これまた新システムの能力を100%発揮できない事が多いらしい。
わけがわからんが、ルールは絶対ではなく状況にあわせてルールも変更すべきって事なのかな。

信じれないだろうが前置きが長くなってしまった。変更しなければいけない国のルールを見つけたかもしれない。
その昔、日本はなぜ基本授業料無料の義務教育を導入したのだろうか?それは、当時の人たちが教育を受けることを望んでいなかったからではないだろうか。後進国を見ると子供が勉強するなんてとんでもない、働いてもらわないと家計が立ち行かないという例がよくあるように思う。昔の日本もそんな感じだったのではないだろうか。100%とはいわないけれど、多くの一般市民は自分で金を出してまで学校に子供を通わせて勉強させたいなんて思っていなかった。どちらかと言えば子供に勉強より働けと思っていたのではないだろうか。今は多分働けと思っている親が少数派なのではないかな。税金を使う事で国民の意識を変えることに成功した。そのおかげで国民全体の意識が変わって、最低高卒くらいはと思うようになったし、識字率は上がり簡単な計算なら誰でもできるようになった。それと関係あるかわからないけど経済成長もした。
税金の使い方とすれば義務教育は素晴らしい成果をあげたと思う。しかし、時代は変わってしまった。多くの人は、勉強は重要だと思い込み義務教育の学校だけでなく、高校や塾にまで通うようになった。という事は、もう税金を使って義務教育を行なう意義が失われてしまったのではないだろうか。金は無く学校にいけない人の援助ぐらいは必要かもしれないけど、もう一般大衆に無料で学校を提供しなくても一般大衆は勝手に学校に通うのではないだろうか。
同じような事が医療保険でもいえる。後進国では、ちょっと具合が悪くても医療費が高くつくからと我慢して病院にいかない。そしてとうとう我慢できなくなってから医者に行く人が多いらしい。最初から病院にかかっていれば対した事ない病気でも悪化するまで我慢してから病院にいく為に莫大な治療費が必要となり用意できずに治療が受けれず死んでいく。もし、最初から病院にかかっていれば比較的安価で助かる人も死んでいっている。そういった人の意識を改革する為に、健康保険制度ができたのではないだろうか。結果は、世界上位の長寿国になった。早期治療で人の命も助けれて、治療費は安くなったんじゃないかな。医者嫌いな人がへって何でもかんでも医者に行く人が増えて医療費が増え続けている。病院や製薬会社にしても、金が無い貧乏人でも高額な治療を受けれるので無尽蔵に金をかけて医療水準を上げていっている。安い金で早期に治療できる事に健康保険の意味はあるけど、難病を多額の金をかけて治す事に税金を使うのは間違っているのではないかな。だから、日本の社会保障費が上昇し続けている。

そんなこんなで、税金って国民の望みを叶えるために使うのではなく、国民の意識を変えるために使うのが素晴らしい使い方なんじゃないかな。自分の望みなら税金の補助が無くても自分でする。しかし、意識の改革はそう簡単に起こらない。最初は嫌々税金の力でやっている内に頭がおかしくなって、それ無しではやっていけなくなる。そんな分野に税金を使うべきじゃないのかな。

そう例えば露出とかね。裸で出歩くのは気持ちよい行為である。しかし多くの女性は最初の一歩を踏み出さずに露出の快感を知らないまま老いていく。羞恥心という壁をなくせば幸せになれる。その一歩を踏み出させるために税金を使うとかどうだろうか。

4月28日の日記

2010年4月28日 日常
日本から死んでわびるという風習がなくなったのは、何が原因なのかな。とりあえず、政府の高官とか政治家とか裁判官警察官検察官は、法的には整備されていない道義的な問題が発生したときは死んでわびるべきじゃないのかな。それか、ちゃんとそれを罰する法律をつくるか。問題ではあるけれど違法ではないから批判するしかないって事が多すぎるような気がする。
その点、北朝鮮は違う。スケープゴートだったとしても、デフレ失敗の責任を取らされて政府の高官が1人死刑になったそうで。まあ誰かが死んだから許される問題でもないか。

そういえば、カソリックを信仰している人たちは教義で自殺が禁止されているらしい。だから、アメリカでは、弾の入っていない銃を振り回して警察官に射殺してもらうとする人がいるのかね。という事は、自殺したい人はいるけれど教義によって自殺できない人がいるのかね。そんなことなら、死にたい人を殺す商売始めましょうかね。それとか人を殺してみたい人と死にたい人をマッチングするサービスとか。日本じゃカソリックの人なんてごくわずかで商売あがったりになるとは思いますが、死にたい人を殺して差し上げる商売始めましょうかね。

4月27日の日記

2010年4月27日 日常
将棋のソフトがプロ棋士と対戦するらしい。商売価値をもたせる為に時間をかけて下級者から当てていって最終的には名人との対戦をするということらしい。

まあ数年たって名人とコンピュータが戦う頃にはコンピュータの方が強くなっている可能性が高いらしい。プロが本気で興行として、ソフトとプロ棋士の対戦を考えているのなら、とっと名人を出して、名人側駒オチのハンデをつけた将棋をした方がいいんじゃないだろうか。多分、駒オチのハンデがあっても名人が勝ったと聞けば、コンピュータと名人の力の差は物凄くあると感じるのが一般人ではないだろうか。駒落ちで負けるようなら、ハンデ無しなら話にならないと思ってもらえるのではないだろうか。

私の予想でしかないが、多分、今後コンピュータ強くなればなるほどプロが駒落ちのハンデを背負った方が将棋に勝ちやすくなると思う。なぜならば、将棋って真似ができるボードゲームである。例えば、私でも過去に同一局面でプロ棋士の指した手を真似していけばプロがさした将棋と同じような将棋をする事ができる。実際将棋には膨大なデータがありそれを参考にやっていけば、終盤までは何とか形になった将棋をする事ができる。前例の無い手を指された時点で自力がばれてしまうが、それまでは弱くてもごまかす事ができる。
次にコンピュータの将棋の特性だが、人間を含めてだがまだ将棋の途中で数値的に先手と後手どちらかが有利なのかを評価する方法を持ち合わせていない。人間は長年の経験でなんとなくの感覚を持っている。コンピュータは膨大な過去の対局データから先手か後手どちらが有利なのか評価する関数を持っているが、それが完璧かどうかはまだわからない。ただ、将棋は相手の王を取るゲームなので、終盤になれば、全通りの可能性を考えてどちらの勝ちか判断する事ができる。まあ、経験から言えば、コンピュータの評価関数は、終盤に近づくほどたぶん正しい結果をだせる。
あと、一般人は駒落ちと聞くとまったくその駒が無くなった分のハンデを負うと考えがちだが実際はちがう。例えば角落ちの場合、角が居なくなった分、そのスペースに駒を一手で進める事ができる。もし角がいたら角をどかしてからじゃないとそこに駒を動かす事はできない。また、相手に攻められた際に、角を守る必要が無くなる。角を相手に取られると、相手の持ち駒になるので相手の攻撃力が増えてしまう。しかし、角が最初からいない場合、その駒をとられる心配は無くなる。実際は、そんなメリットは微々たる物なので、角がいないデメリットに勝つことができない。しかし、戦法によってはメリットをひきたたせてデメリットを抑える事ができる。
また、プロの間でハンデ戦が行なわれる事は稀なので、まだ序盤どうすればいいのかお互いよくわかっていない。コンピュータは、序盤の評価が苦手なうえに、参考になるプロ棋士のハンデ戦の対局データを持ち合わせていない。すなわち、ハンデ戦の序盤データがコンピュータに集まるまでは、プロ棋士はハンデ戦をした方がより一般人に対して有利にアピールできるんじゃないかな。最悪負けたら、それからハンデ無しの対局にうつれるんだし、とりあえず最初は、そこそこの棋士とコンピュータのハンデ戦から始めるべきだったんじゃないかな。ただ、問題は、現時点で駒落ち将棋の強いプロ棋士って、物凄く少なく、羽生名人ぐらいしか強豪といえる人がいないことである。

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