時期を過ぎた話だけどウインドウズ7が発売されて、一般大衆にまでウインドウズ7を勧めているメーカーやテレビは何を考えているのかね。PCをさわるのが趣味の人以外、一般人でウインドウズ7を使ったほうがいい人なんていないんじゃないかね。過去の例から考えても、マイクロソフトが発売する一般向けのOSって発売から半年くらいは、製品として売っていいレベルのものではないでしょう。もし家電メーカーが同じ様な品質の家電を発売したら問題になるような欠陥品しかないようなきがします。欠陥品を売ってもネットでアップデートして不具合を直せるからというような安易な気持ちで欠陥OS売ってるんじゃないのかね。現に、発売日の次の日テレビの生放送で披露していたウインドウズ7は、固まって動いていなかった。サービスパックが出るまでは、マイクロソフトのOSは一般人には地雷だと思うんだけど、なんでみんなで売ろうとしてるのかね。
電車の中で物を食うのがマナー違反だと思う人が増えてきたみたいだ。だんだん、日本人の心が狭くなって着てるんじゃないかね。どんどん住みにくい国になっている。
物を食うのがマナー違反だと言っている人たちは、表向きはにおいが気にいらないらしい。本心はただ自分がしない事をしている人を見るのが嫌なんだろう。電車での化粧なんかも結局は、化粧しない人だったり、家で化粧しないといけない人だったりが、文句を言っているのだと思う。その感情は羨ましさではなく、異分子を嫌う様な意識なのかな。
少し前に、携帯電話に電話がかかってこない寂しい人間が、電車の中で電話する人たちをマナー違反だと叩いていた事があった。寂しい人間が多かったようで、電車の中で電話をするのは少数派、だから迫害するという流れになった。迫害は上手くいって、電車で通話する行為は迷惑行為となった。その結果がどうだろうか。ただ気に食わない少数派を迫害していただけなのに、それが理由じゃ後ろめたいので、電話の声が迷惑だと表向きは主張されるようになった。その結果、電車の中で騒ぐ事も迷惑行為になった。もとは通話が迷惑だったはずが、電車の中でうるさくする行為すべてが迷惑行為になってしまった。
それで困ったのが、子連れの親子である。昔だったら電車の中で子供が泣いたって別に気に止めるような事ではなかった。子供がうんこちんこまんこと連呼していてもまあよかった。それが、電車の中で騒ぐ事すべてが迷惑行為となった事で、子連れの親子の立場が無くなってしまった。別にみんなが好き勝手騒いでいれば子供が泣いたって問題ないだろう。しかし、みんなが静かにしようとしている所で子供が泣き出したら、いくらしょうがないと言っても立場がないんじゃないかな。
公共の場のマナーって、大体が二種類に分けられる。公園レベルか公演レベルかのどちらかである。昔の電車は確実に公園レベルのマナーしか求められなかった。やりたかったら公園でやる所の青姦をしたってよかった。電車の中では公園と同じで犬の散歩はしてはいけない。ゴルフの練習なんかも厳禁である所も同じである。また公園で花火をしてもいいようにマナー的には電車の中で花火をしても良い。ただ、気の小さいJRは、規約で花火や火器の使用を禁止しているので、マナー的には電車で花火をしてもいいが、JRの車両では規約上花火はしてはいけない。残念である。
それが最近では、公演レベルのマナーを求めようとしだした。そういった場所のマナーでは、いくら子供が泣くのは自然現象だといっても、そこに子供をつれてくる事自体がマナー違反である事が多い。電話の電源も切ることが求められるし、物を食べるのもマナー違反だろう。電車の中もそうなろうとしている。
もし、そうなったら電車はひさんである。公演で物を食うのがマナー違反なのは公演している人に失礼だからだけど、電車だとただ単に気に入らないみたいな理由しかないので、結局は、においが周りの人に不快感を与えるから食事はいけないみたいな流れになると思う。それが一般的になったら、食事だけでなく、加齢臭がただよう中年も、加齢臭を消すために香水つけて加齢臭+香水の匂いの中年もみんなマナー違反になって、電車で乗り合わせると堂々と嫌な顔して、暗にお前の存在はマナー違反だと突きつけてくる人が増えていくんじゃないだろうか。そんな事になったら、中年男性は家だけじゃなく通勤電車にまで居場所が無くなってしまう。
電車内での携帯の通話を禁止した事で子連れの親子の立場が無くなったように、電車内での飲食禁止は電車内での中年の立場を危うくするものである。
自宅のように気がついたら居場所が無くなっていたなんて事にならないように、中年男性のみなさんは、電車の中での飲食がマイノリティにならないように行きは滋養強壮剤、帰りは酒を片手に電車にのるようにしましょう。
物を食うのがマナー違反だと言っている人たちは、表向きはにおいが気にいらないらしい。本心はただ自分がしない事をしている人を見るのが嫌なんだろう。電車での化粧なんかも結局は、化粧しない人だったり、家で化粧しないといけない人だったりが、文句を言っているのだと思う。その感情は羨ましさではなく、異分子を嫌う様な意識なのかな。
少し前に、携帯電話に電話がかかってこない寂しい人間が、電車の中で電話する人たちをマナー違反だと叩いていた事があった。寂しい人間が多かったようで、電車の中で電話をするのは少数派、だから迫害するという流れになった。迫害は上手くいって、電車で通話する行為は迷惑行為となった。その結果がどうだろうか。ただ気に食わない少数派を迫害していただけなのに、それが理由じゃ後ろめたいので、電話の声が迷惑だと表向きは主張されるようになった。その結果、電車の中で騒ぐ事も迷惑行為になった。もとは通話が迷惑だったはずが、電車の中でうるさくする行為すべてが迷惑行為になってしまった。
それで困ったのが、子連れの親子である。昔だったら電車の中で子供が泣いたって別に気に止めるような事ではなかった。子供がうんこちんこまんこと連呼していてもまあよかった。それが、電車の中で騒ぐ事すべてが迷惑行為となった事で、子連れの親子の立場が無くなってしまった。別にみんなが好き勝手騒いでいれば子供が泣いたって問題ないだろう。しかし、みんなが静かにしようとしている所で子供が泣き出したら、いくらしょうがないと言っても立場がないんじゃないかな。
公共の場のマナーって、大体が二種類に分けられる。公園レベルか公演レベルかのどちらかである。昔の電車は確実に公園レベルのマナーしか求められなかった。やりたかったら公園でやる所の青姦をしたってよかった。電車の中では公園と同じで犬の散歩はしてはいけない。ゴルフの練習なんかも厳禁である所も同じである。また公園で花火をしてもいいようにマナー的には電車の中で花火をしても良い。ただ、気の小さいJRは、規約で花火や火器の使用を禁止しているので、マナー的には電車で花火をしてもいいが、JRの車両では規約上花火はしてはいけない。残念である。
それが最近では、公演レベルのマナーを求めようとしだした。そういった場所のマナーでは、いくら子供が泣くのは自然現象だといっても、そこに子供をつれてくる事自体がマナー違反である事が多い。電話の電源も切ることが求められるし、物を食べるのもマナー違反だろう。電車の中もそうなろうとしている。
もし、そうなったら電車はひさんである。公演で物を食うのがマナー違反なのは公演している人に失礼だからだけど、電車だとただ単に気に入らないみたいな理由しかないので、結局は、においが周りの人に不快感を与えるから食事はいけないみたいな流れになると思う。それが一般的になったら、食事だけでなく、加齢臭がただよう中年も、加齢臭を消すために香水つけて加齢臭+香水の匂いの中年もみんなマナー違反になって、電車で乗り合わせると堂々と嫌な顔して、暗にお前の存在はマナー違反だと突きつけてくる人が増えていくんじゃないだろうか。そんな事になったら、中年男性は家だけじゃなく通勤電車にまで居場所が無くなってしまう。
電車内での携帯の通話を禁止した事で子連れの親子の立場が無くなったように、電車内での飲食禁止は電車内での中年の立場を危うくするものである。
自宅のように気がついたら居場所が無くなっていたなんて事にならないように、中年男性のみなさんは、電車の中での飲食がマイノリティにならないように行きは滋養強壮剤、帰りは酒を片手に電車にのるようにしましょう。
桑島さんがナレーションするということで、朝っぱらからNHKを見た。日曜までNHKの番組を見た事で、今週は朝はずっとNHKを見ていた事になる。アニメも見なくなったし、NHKばかり見るのようになったのは加齢なのかな。
『未来をつくる君たちへ~司馬遼太郎作品からのメッセージ~ 』という番組なのになぜか賢人が正岡子規の事を中学生に紹介するという内容だった。なかなか面白かった。番組に好感を持ったからかも知れないがナレーションが物凄くよく感じた。前にNHKで子供の食事に関するドキュメント番組のナレーションを桑島さんがした時にはお世辞にも上手いといえないというか、イマイチだったのにいつの間にかナレーションも上手くなったのかね。これでもう死角なしだ。
次回の予告もあったので次回はあるんだろうけど、いつあるのかね。30分番組なんだから、出し惜しみせずに、全部一気に放送すればよかったのに。あーこんな番組が増えてくれば言う事ないんだけどな。
『未来をつくる君たちへ~司馬遼太郎作品からのメッセージ~ 』という番組なのになぜか賢人が正岡子規の事を中学生に紹介するという内容だった。なかなか面白かった。番組に好感を持ったからかも知れないがナレーションが物凄くよく感じた。前にNHKで子供の食事に関するドキュメント番組のナレーションを桑島さんがした時にはお世辞にも上手いといえないというか、イマイチだったのにいつの間にかナレーションも上手くなったのかね。これでもう死角なしだ。
次回の予告もあったので次回はあるんだろうけど、いつあるのかね。30分番組なんだから、出し惜しみせずに、全部一気に放送すればよかったのに。あーこんな番組が増えてくれば言う事ないんだけどな。
太陽光発電装置を家に設置すると、通常買う電気代の二倍の値段で買い取ってもらえるらしい。何でこんなあほな制度はじめたのかね。太陽光発電装置を設置して買取契約を結んだ後に、太陽光発電装置は売り払って、光度計つきの張りぼてを設置して、コンセントの電気を直流にして、張りぼての光度計の値を参考に太陽光で発電した電気として電力会社に売れば、簡単に電気代浮かせれるんじゃないかね。電力会社はノイズでも測って、本当に太陽光発電で発電した電気なのか調べるのかね。あれ、太陽光で発電した電気は自宅のインバータで交流にしてから売るのかな。そうなったら、もうただコンセントから電気を引っ張って、売電用にしてしまえばいいのか。まあ同じ契約の電気だと無理があるかもしれないから、二世帯住宅とかで契約を複数している人しか無理なのかね。まあ何にせよ、電気関係の仕事をしている人だったら、簡単に偽って売電できるんとちがうかね。それで一般消費者の電気代が値上げされるって言うんだからやってられない。
最近のエコカーにしても、ハイブリットだからエコという印象を植え付けようとしてるような気がする。仕事で使わないんだったら、リッター5キロも走らない、マフラーからガソリンを撒いて走るポンコツアメ車の方がプリウスよりよっぽど、CO2排出少ないんじゃないかね。ポンコツアメ車だったら整備に手がかかりすぎて休日走り回る事もできないし、高速で走ってエンジンが熱くなるとぶっ壊れるので家の周りを巡回するぐらいにしか使わないしね。本当にCO2の排出を減らしたかったら、車関連の税金をすべて燃料税でとるべきじゃないのかね。車の利用頻度にかかわらず同じ重量税をとるのは間違っていると思う。また、燃料代が税金で高くなればなるほど、高燃費の車の価値が上がるわけで、車関連の税金は燃料にかけた方がいいんじゃないかね。
最近のエコカーにしても、ハイブリットだからエコという印象を植え付けようとしてるような気がする。仕事で使わないんだったら、リッター5キロも走らない、マフラーからガソリンを撒いて走るポンコツアメ車の方がプリウスよりよっぽど、CO2排出少ないんじゃないかね。ポンコツアメ車だったら整備に手がかかりすぎて休日走り回る事もできないし、高速で走ってエンジンが熱くなるとぶっ壊れるので家の周りを巡回するぐらいにしか使わないしね。本当にCO2の排出を減らしたかったら、車関連の税金をすべて燃料税でとるべきじゃないのかね。車の利用頻度にかかわらず同じ重量税をとるのは間違っていると思う。また、燃料代が税金で高くなればなるほど、高燃費の車の価値が上がるわけで、車関連の税金は燃料にかけた方がいいんじゃないかね。
中華まんとか肉まんとか聞いてて思ったんですけど、なんで女性器の形をした物はないんでしょうかね。あんまり変な形をしたものは、食べ物でも売ったらいかんのかね。ジューシー肉汁あふれる肉まんなんてどうかね。トッピングでフランクフルトを突き刺して売れば客単価も上がって店も文句ないんじゃないかね。
推理小説だと90%バラバラ殺人事件が発生したら、猟奇的な目的で死体をバラバラにしたのではなくて、運ぶためだったり隠すためだったり、理解不能ではなくちゃんとした理由がある。
そんなもんは小説だからだと思っていた。死体をバラバラにする行為は異常者の専売特許だと思っていた。しかし、よく考えてみると実際にテレビを賑わしているバラバラ殺人事件も、当初の放送では猟奇的な面を強調して放送しているものの、実際犯人が捕まってみると、実用的な理由で死体をバラバラにしている事がほとんどだと思う。
と言う事は、実際に起きているバラバラ殺人事件を含めても猟奇的な理由で死体をバラバラにしている事件なんてほとんどない。それなのに、私はバラバラ殺人事件と聞くと猟奇的なものを感じてしまう。このギャップは何なんだろうか。昔は、素人が死体をバラバラにするのはものすごい大変みたいなイメージもあったが、実際のバラバラ事件の話を聞くとそれほど大変でもないみたいである。
そんなもんは小説だからだと思っていた。死体をバラバラにする行為は異常者の専売特許だと思っていた。しかし、よく考えてみると実際にテレビを賑わしているバラバラ殺人事件も、当初の放送では猟奇的な面を強調して放送しているものの、実際犯人が捕まってみると、実用的な理由で死体をバラバラにしている事がほとんどだと思う。
と言う事は、実際に起きているバラバラ殺人事件を含めても猟奇的な理由で死体をバラバラにしている事件なんてほとんどない。それなのに、私はバラバラ殺人事件と聞くと猟奇的なものを感じてしまう。このギャップは何なんだろうか。昔は、素人が死体をバラバラにするのはものすごい大変みたいなイメージもあったが、実際のバラバラ事件の話を聞くとそれほど大変でもないみたいである。
世の中わからん。ゆとり世代と言われている人たちがいる。私もゆとりかもしれないが、ゆとり世代は、目上の者に対する態度や言葉遣いがなっていないと言っている人がいたが、それってもしかしたら人間性の違いって可能性はないかね。もしゆとり世代が、自分が上の立場に立った時に、手下の態度や言葉遣いを気にしないのなら、そういうスタンスの生き方として認めてもいいんじゃないかね。少なくとも、自分の意思ではなく社会的立場で態度を変えるのが絶対という事でもないだろう。まあ今はゆとりじゃない人が多数なのでゆとりが叩かれているが、ゆとりが順調に増えれば、ゆとりの考え方が一般的になるんじゃないかな。
まったく話は変わるが、久しぶりにyoutubeで邦楽を聴いていて思ったのだけど、字幕付で歌詞のある歌以外、聴いていてもまったく歌詞が頭に入ってこなかった。それどころか、何を言っているのか、何のことを歌っているか分からない事もあった。母国語の聞き取りでこんなんだから、英語のリスニングできるはずがない、できなくて当たり前だったんだと思う。多分、音を聞いて判断する能力がものすごい低いんだと思う。
でゆとりの私が何を理解できないのかというと、郵便配達のバイトしている知り合いと外を歩いていたら、郵便配達していたおばちゃんが「もう仕事終わったの?いいわねー」と言って通り過ぎていった。その言ったおばちゃんもバイトらしい。バイトなので時間給である。知り合いは、せっかちで効率よく仕事をして時間内で仕事を終わらす。おばちゃんは、仕事が遅くて残業をしている。聞いた話だと、そのおばちゃんの配達区を知り合いがすると、今の配達区で配るよりも短時間で終わるらしい。別におばちゃんの仕事量が多いから残業しているわけではない。ただ仕事が遅いから残業しているだけなのに、給料は仕事が遅く長時間働くおばちゃんの方が残業代が出て多い。それなのに、おばちゃんは自分が貧乏くじを引いた様な反応している。
似たような事例だと、親戚に飽食しすぎて糖尿病になった人がいる。ちがう親戚のおばちゃんは糖尿病になった親戚の人の事を可哀そうだといつもいっている。予想不可能な事が起こって病気になったのなら可哀そうかもしれないが、生活習慣病などは、なって当然で、別に悲しむような事情はないんじゃないかね。かわいそうだと思うのなら病気になる前に止める事もできたはずである。
まったく話は変わるが、久しぶりにyoutubeで邦楽を聴いていて思ったのだけど、字幕付で歌詞のある歌以外、聴いていてもまったく歌詞が頭に入ってこなかった。それどころか、何を言っているのか、何のことを歌っているか分からない事もあった。母国語の聞き取りでこんなんだから、英語のリスニングできるはずがない、できなくて当たり前だったんだと思う。多分、音を聞いて判断する能力がものすごい低いんだと思う。
でゆとりの私が何を理解できないのかというと、郵便配達のバイトしている知り合いと外を歩いていたら、郵便配達していたおばちゃんが「もう仕事終わったの?いいわねー」と言って通り過ぎていった。その言ったおばちゃんもバイトらしい。バイトなので時間給である。知り合いは、せっかちで効率よく仕事をして時間内で仕事を終わらす。おばちゃんは、仕事が遅くて残業をしている。聞いた話だと、そのおばちゃんの配達区を知り合いがすると、今の配達区で配るよりも短時間で終わるらしい。別におばちゃんの仕事量が多いから残業しているわけではない。ただ仕事が遅いから残業しているだけなのに、給料は仕事が遅く長時間働くおばちゃんの方が残業代が出て多い。それなのに、おばちゃんは自分が貧乏くじを引いた様な反応している。
似たような事例だと、親戚に飽食しすぎて糖尿病になった人がいる。ちがう親戚のおばちゃんは糖尿病になった親戚の人の事を可哀そうだといつもいっている。予想不可能な事が起こって病気になったのなら可哀そうかもしれないが、生活習慣病などは、なって当然で、別に悲しむような事情はないんじゃないかね。かわいそうだと思うのなら病気になる前に止める事もできたはずである。
多くの企業は顧客の求めている物を提供できていないという話はよく聞く。
いい加減農機具メーカーも商売方法を変えた方がいいんじゃないかね。アホな農家は知らないけれど、多くの農家は農業機械を集めるのが目的ではない。そもそも専業じゃなかったら、それほど農業に思い入れがないのかもしれない。最近の傾向としては、組合を作って共同で農業機械を買って、機械の購入費の負担を減らそうとしている。
しかし、考えても見れば、耕耘機が欲しいわけではなく、楽に田を耕したいだけではないのだろうか。田植え機が欲しいのではなく、楽に田植えしたいだけではないのだろうか。
結局、機械そのものよりもその作業を楽にしたいだけなのではないだろうか。それならば、提供すべきサービスは農業機械の販売ではなく、田を耕したり、田植えしたり稲刈りしたり、機械がないと大変な作業を変わりにする事なんじゃないだろうか。機械がなくてもできる作業は、兼業農家がして、機械が必要な作業をすべてをサービスと提供した方が喜ばれるんじゃないかね。
農機具メーカーの人が大型機械で大量の仕事をやれば、農家の機械購入維持費の年割りぐらいで作業を委託できるんじゃないかな。時給300円ぐらいの農業はそんなに甘くないのかな
いい加減農機具メーカーも商売方法を変えた方がいいんじゃないかね。アホな農家は知らないけれど、多くの農家は農業機械を集めるのが目的ではない。そもそも専業じゃなかったら、それほど農業に思い入れがないのかもしれない。最近の傾向としては、組合を作って共同で農業機械を買って、機械の購入費の負担を減らそうとしている。
しかし、考えても見れば、耕耘機が欲しいわけではなく、楽に田を耕したいだけではないのだろうか。田植え機が欲しいのではなく、楽に田植えしたいだけではないのだろうか。
結局、機械そのものよりもその作業を楽にしたいだけなのではないだろうか。それならば、提供すべきサービスは農業機械の販売ではなく、田を耕したり、田植えしたり稲刈りしたり、機械がないと大変な作業を変わりにする事なんじゃないだろうか。機械がなくてもできる作業は、兼業農家がして、機械が必要な作業をすべてをサービスと提供した方が喜ばれるんじゃないかね。
農機具メーカーの人が大型機械で大量の仕事をやれば、農家の機械購入維持費の年割りぐらいで作業を委託できるんじゃないかな。時給300円ぐらいの農業はそんなに甘くないのかな
死に逃げに対する嫌がらせとして、墓をぶち壊して骨ツボをウンコまみれにするというのは、どれくらいインパクトあることなのだろうか。少なくともすでに死んだ人には何の影響もないでしょう。そんな事されるのならおちおち死んでられないと思う人も居るのだろう。私にはまったく理解できませんが、少し前八つ墓ダムの建設中止の反対派の住民の中には、先祖代々の墓をダムのためにわざわざ掘り起こして移転したのだから、ダム建設中止なんて到底認められないといっている人も居た。そういった考え方が一般的なら、先祖代々の墓に悪さをされるという懸念が自らの行いを正す可能性はあるのかね。まあ、殺人事件などの暴力事件にはあまり関係なさそうですが、詐欺とか横領犯で信仰深い人には、墓が壊されるかも知れないという懸念が行いを正すということはあるのかな。
テレビを騒がすような事件が起こると、自宅が落書きされたり、放火されることなどありましたが、今まで報復で墓が壊されたって事例はあるのかね。とりあえず、身内を殺されて量刑が気に入らなくて裁判官に文句を言う人は、そんな奴を産み落とした家系を憎んで墓を壊したらどうなるんだろうか。信仰心が薄くなったとはいわれていますが、報復で墓が壊されたらインパクトは大きいんじゃないだろうか。
テレビを騒がすような事件が起こると、自宅が落書きされたり、放火されることなどありましたが、今まで報復で墓が壊されたって事例はあるのかね。とりあえず、身内を殺されて量刑が気に入らなくて裁判官に文句を言う人は、そんな奴を産み落とした家系を憎んで墓を壊したらどうなるんだろうか。信仰心が薄くなったとはいわれていますが、報復で墓が壊されたらインパクトは大きいんじゃないだろうか。
極端な話として子供手当てを現金で渡すとパチンコ代にしてしまうと危惧している人がいる。さて子供手当てをパチンコ代にして何が悪いのだろうか。
例えば、同じ収入のパチンコ好きの世帯あったとする。片方は子供がいて、もう片方は子供がいない。子供がいる世帯は子供に金がかかってパチンコに行く金もない。子供がいない世帯は、子育てに使う金がいらないのでパチンコに行く金がある。これって不公平じゃないかね。そういえば私の周りの子供のいない夫婦は、比較的自分の趣味に金をかけることができている。つりが趣味で船を所持している人もいたし、百万円超えるような機器で音楽を聴いている人もいた。
社会保障が充実していなかった昔なら子供がいないと老後が心配だったと思うが、今の場合年金を受給する年齢になっていても子供に金銭的援助している親なんていくらでもいる。直接的な見返りを求めない人は、子を持つことをなんとも思わないだろうけど、何らかの見返りを求める人が多いから少子化が進んでいるんじゃないだろうかね。最近はさまざまな所属するコミュニティでの妬みからくる結婚して子供を作れという圧力も減って、子供が欲しいと思う人以外で子供を持つ人が減っているんじゃないかな。
少子化がいけないと言って子供手当てを配るというのなら、子供のために使う金というよりは、子供の養育費のせいで子供がいなかったらできたであろう親の趣味に使える方がよくないかね。っていうかそうしないと少子化対策にならないんじゃないかな。昔は子供は社会の資産でもあったけど、その家族の資産でもあったと思う。しかし今は、今後の社会にとって必要な人的資源かもしれないが、家族では負債でしかない。離婚の際は重荷になるし、飲み会にも手軽にいけなくなるらしい。金銭的にも時間的にも子供は時間をとりすぎる。
まあそんなこんなで、国としてどうしても将来の労働力として子供が必要だというのなら、子供のいない世帯から税金をあつめて、子育てしている世帯の親が子育てしていなかったらできたであろうことに補助したっていいんじゃないかね。
豊かな国になって子供に期待を託すよりももっと直接的に楽しい娯楽が増えて、子育てを苦痛と思う人も増えてきたんだろうと思う。そんな子育てだから国の将来のための使役として子育てしてう人に少しぐらい報酬出したっていいだろう。
まあ、自分たちが苦労して子育てしたときは金もらえなかったのに、これから金貰えるのはズルイという妬みから子供手当てを批判しているのなら、それはしょうがないかもしれないな。
例えば、同じ収入のパチンコ好きの世帯あったとする。片方は子供がいて、もう片方は子供がいない。子供がいる世帯は子供に金がかかってパチンコに行く金もない。子供がいない世帯は、子育てに使う金がいらないのでパチンコに行く金がある。これって不公平じゃないかね。そういえば私の周りの子供のいない夫婦は、比較的自分の趣味に金をかけることができている。つりが趣味で船を所持している人もいたし、百万円超えるような機器で音楽を聴いている人もいた。
社会保障が充実していなかった昔なら子供がいないと老後が心配だったと思うが、今の場合年金を受給する年齢になっていても子供に金銭的援助している親なんていくらでもいる。直接的な見返りを求めない人は、子を持つことをなんとも思わないだろうけど、何らかの見返りを求める人が多いから少子化が進んでいるんじゃないだろうかね。最近はさまざまな所属するコミュニティでの妬みからくる結婚して子供を作れという圧力も減って、子供が欲しいと思う人以外で子供を持つ人が減っているんじゃないかな。
少子化がいけないと言って子供手当てを配るというのなら、子供のために使う金というよりは、子供の養育費のせいで子供がいなかったらできたであろう親の趣味に使える方がよくないかね。っていうかそうしないと少子化対策にならないんじゃないかな。昔は子供は社会の資産でもあったけど、その家族の資産でもあったと思う。しかし今は、今後の社会にとって必要な人的資源かもしれないが、家族では負債でしかない。離婚の際は重荷になるし、飲み会にも手軽にいけなくなるらしい。金銭的にも時間的にも子供は時間をとりすぎる。
まあそんなこんなで、国としてどうしても将来の労働力として子供が必要だというのなら、子供のいない世帯から税金をあつめて、子育てしている世帯の親が子育てしていなかったらできたであろうことに補助したっていいんじゃないかね。
豊かな国になって子供に期待を託すよりももっと直接的に楽しい娯楽が増えて、子育てを苦痛と思う人も増えてきたんだろうと思う。そんな子育てだから国の将来のための使役として子育てしてう人に少しぐらい報酬出したっていいだろう。
まあ、自分たちが苦労して子育てしたときは金もらえなかったのに、これから金貰えるのはズルイという妬みから子供手当てを批判しているのなら、それはしょうがないかもしれないな。
久しぶりに読書していたらものすごい重要な事が書かれていた。ただ私には、すでに用無しになった事だった。せめてもの救いは、昔私がそれを知っていたらあと2割は学校生活を楽できた。という何の生産性もない事だったというだろう。
本に書かれていた内容は、人間には聞いて物事を把握する人と、読んで物事を把握する人がいるらしい。ほぼすべての人は、どちらか片方が得意でもう片方が不得意らしい。自分が不得意な手段で情報を得ようと思ってもまったく頭に入らないらしい。
ちなみに、自分がどちらかの属性を持っているように相手もどちらかの属性を持っているので、相手に何かを伝えたい場合は、相手が得意とする方法で伝えないと要領をえない事になってしまうとか。
幸いなことに、受け手は不得意を克服するのが非常に困難だが、文章を書いて伝える能力や話しをして相手に伝える能力は、訓練すれば人並みになるらしい。だから、伝える方が相手に合った方で伝える努力をするのが意思疎通する最良の方法らしい。
もうひとつ重要な話があって、情報を記憶するのに必要な手段は人によって違うらしい。これは二個に分類できるとかの話ではなくて、ホント人によってまったく違うらしい。中には手に入れた情報を他人に話すことで理解を深め自分の記憶にできるなんて人もいるらしい。そんな人は雑談禁止の学校じゃうまく記憶できないんだろう。また、難しいもので書いて覚えるのが得意な人の中にも、すぐに書く事で記憶できる人や、少し時間をあけてまとめて書く事で記憶できる人など、書いて覚える人でも人によって覚えやすいタイミングが違うらしい。自分に最適な記憶法を探すことが一番重要らしい。いくらノートをキレイに書いても覚えられないという人は、きいてみてしゃべってかいて自分にあった勉強法を探すことから始めるべきらしい。自分に合っていない勉強法ではぜんぜん身に付かない。
そんなこんなで、私が勉強できなかった理由がやっとわかったよ。いろいろ試した結果、私が最高に記憶できる方法はマスをかく事だった。考えてみれば授業中にマスターベーションした記憶も無いし、自宅でマスターベーションする際も、参考書を片手になんて事はありませんでした。今の今まで駄目人間として生きてきましたが、もし授業中マスターベーションしながら先生の話を聞いていたら今頃私はどうなっていたでしょうか。もっと早く自分の性癖に気がつけなかった事が悔しいです。
今学生生活を送っているモノの、ぜんぜん勉強できない、ぜんぜん記憶できないという人は一度試してみてはどうでしょうか。めくるめく世界がその先に待っているかもしれません。きっとそれは、気のせいではなくちんぽに血が集まりすぎての貧血でしょう。
本に書かれていた内容は、人間には聞いて物事を把握する人と、読んで物事を把握する人がいるらしい。ほぼすべての人は、どちらか片方が得意でもう片方が不得意らしい。自分が不得意な手段で情報を得ようと思ってもまったく頭に入らないらしい。
ちなみに、自分がどちらかの属性を持っているように相手もどちらかの属性を持っているので、相手に何かを伝えたい場合は、相手が得意とする方法で伝えないと要領をえない事になってしまうとか。
幸いなことに、受け手は不得意を克服するのが非常に困難だが、文章を書いて伝える能力や話しをして相手に伝える能力は、訓練すれば人並みになるらしい。だから、伝える方が相手に合った方で伝える努力をするのが意思疎通する最良の方法らしい。
もうひとつ重要な話があって、情報を記憶するのに必要な手段は人によって違うらしい。これは二個に分類できるとかの話ではなくて、ホント人によってまったく違うらしい。中には手に入れた情報を他人に話すことで理解を深め自分の記憶にできるなんて人もいるらしい。そんな人は雑談禁止の学校じゃうまく記憶できないんだろう。また、難しいもので書いて覚えるのが得意な人の中にも、すぐに書く事で記憶できる人や、少し時間をあけてまとめて書く事で記憶できる人など、書いて覚える人でも人によって覚えやすいタイミングが違うらしい。自分に最適な記憶法を探すことが一番重要らしい。いくらノートをキレイに書いても覚えられないという人は、きいてみてしゃべってかいて自分にあった勉強法を探すことから始めるべきらしい。自分に合っていない勉強法ではぜんぜん身に付かない。
そんなこんなで、私が勉強できなかった理由がやっとわかったよ。いろいろ試した結果、私が最高に記憶できる方法はマスをかく事だった。考えてみれば授業中にマスターベーションした記憶も無いし、自宅でマスターベーションする際も、参考書を片手になんて事はありませんでした。今の今まで駄目人間として生きてきましたが、もし授業中マスターベーションしながら先生の話を聞いていたら今頃私はどうなっていたでしょうか。もっと早く自分の性癖に気がつけなかった事が悔しいです。
今学生生活を送っているモノの、ぜんぜん勉強できない、ぜんぜん記憶できないという人は一度試してみてはどうでしょうか。めくるめく世界がその先に待っているかもしれません。きっとそれは、気のせいではなくちんぽに血が集まりすぎての貧血でしょう。
夏場になると、母親はパチンコに夢中になっているうちに子供が車の中で熱中症で死んでいたなんて事故や事件が毎年起きている気がする。この間まで私は、こんなに毎年テレビで似たような事故のニュースを流しているのにパチンコ脳のやつらはテレビも見ないアホなのかと思っていた。まあ、実際問題それ以上の人数の子供が毎年プールや川海で溺れ死んでいるんだけどそれは許されるみたいだし。
パチンコ放置の熱中症はどうも事情が違うみたいだね。考えもしなかったんだけど、積極的に殺そうとは思わないけど、できれば子供に死んでほしいと思っている親が存在しているみたいだね。もっとあくどい親は風呂に沈めて溺死させるんだろうけど、多くの人は自分の手で殺す事には抵抗があるみたいだ。のでほって置いたら死んでいたなんて状況は殺す根性はないけど子供に死んでほしいと思っている親には、車で熱中症なんてのは願ったりかなったりの事故なんだろう。事故が発覚後は馬鹿な真似をしていればそう重い罪にもならない。
何年も虐待する親に比べてどうなんだろうか。
まあ、もしかしたらパチンコばかりしていると子供が邪魔になるのかもしれないね。子供手当てが実施されたら夏場、パチンコ中に車に放置されて死ぬ子供はいなくなるんじゃないかね。そうなったら子供の命をこども手当て以下の価値としか思っていない親がいるという笑えない笑い話として道徳の本に載せられたりしてね。
そんな極端な例は置いておくとしても少なからず親が望まずに産んだ子供ってのは存在するみたいだ。そんな、親に育てられた子供は非常に非行や犯罪にはしりやすいらしい。堕胎という手段も用意されているけど、そう手軽に何度もできるものじゃないみたいだし、金もかかる。
少子化対策を今後本気でやっていく気があるのなら、捨て子を認めてなおかつ子供を国が運営する養護院に捨てる場合は、50万円ぐらい払うというシステムを作ったら、堕胎もへって出生数も増えて、あとは子供を欲するロリコンとか里親に託すとかしてれば少子化は改善の方向に向かうんじゃないだろうか。ただ、問題は誰も少子化を自分に影響ある問題だと思っていないことだろうと思う。
パチンコ放置の熱中症はどうも事情が違うみたいだね。考えもしなかったんだけど、積極的に殺そうとは思わないけど、できれば子供に死んでほしいと思っている親が存在しているみたいだね。もっとあくどい親は風呂に沈めて溺死させるんだろうけど、多くの人は自分の手で殺す事には抵抗があるみたいだ。のでほって置いたら死んでいたなんて状況は殺す根性はないけど子供に死んでほしいと思っている親には、車で熱中症なんてのは願ったりかなったりの事故なんだろう。事故が発覚後は馬鹿な真似をしていればそう重い罪にもならない。
何年も虐待する親に比べてどうなんだろうか。
まあ、もしかしたらパチンコばかりしていると子供が邪魔になるのかもしれないね。子供手当てが実施されたら夏場、パチンコ中に車に放置されて死ぬ子供はいなくなるんじゃないかね。そうなったら子供の命をこども手当て以下の価値としか思っていない親がいるという笑えない笑い話として道徳の本に載せられたりしてね。
そんな極端な例は置いておくとしても少なからず親が望まずに産んだ子供ってのは存在するみたいだ。そんな、親に育てられた子供は非常に非行や犯罪にはしりやすいらしい。堕胎という手段も用意されているけど、そう手軽に何度もできるものじゃないみたいだし、金もかかる。
少子化対策を今後本気でやっていく気があるのなら、捨て子を認めてなおかつ子供を国が運営する養護院に捨てる場合は、50万円ぐらい払うというシステムを作ったら、堕胎もへって出生数も増えて、あとは子供を欲するロリコンとか里親に託すとかしてれば少子化は改善の方向に向かうんじゃないだろうか。ただ、問題は誰も少子化を自分に影響ある問題だと思っていないことだろうと思う。
やばい、話を見かけた。日本は三審制だから安心と学校で習ったのだけど、上告理由が限定されているので事実上民事は二審、刑事は一審と変わらないらしい。
そもそもは、この前新聞を読んでいたら交通事故の民事裁判で地裁と高裁で180度意見が変わって明らかに事実認定が非科学的な高裁の判決で結審したという話がのっていた。最高裁は事実認定の見直しは行わないので明らかに非科学的な高裁の判断で結審してしまったらしい。少なくとも私は、高裁の裁判官の判断よりも、工学博士が高裁の判断は力学的におかしく非科学的という判断の方が正しいと思う。事故の詳細もそんな感じだった。事故により片方の運転手は死んでしまっているので、生きている運転手の意見に心証を左右されすぎて非科学的な判断が行われたらしい。
こんな暗い話題は新聞に載せないでおいてほしいものだ。気分が暗くなる。
そもそもは、この前新聞を読んでいたら交通事故の民事裁判で地裁と高裁で180度意見が変わって明らかに事実認定が非科学的な高裁の判決で結審したという話がのっていた。最高裁は事実認定の見直しは行わないので明らかに非科学的な高裁の判断で結審してしまったらしい。少なくとも私は、高裁の裁判官の判断よりも、工学博士が高裁の判断は力学的におかしく非科学的という判断の方が正しいと思う。事故の詳細もそんな感じだった。事故により片方の運転手は死んでしまっているので、生きている運転手の意見に心証を左右されすぎて非科学的な判断が行われたらしい。
こんな暗い話題は新聞に載せないでおいてほしいものだ。気分が暗くなる。
最近は便利になったもので、家にいながらネットで図書館の本の在庫を調べることができるようになった。あとは、予約なんてくそみたいな制度がなくなればいうことないんだけどな。どう考えても公共の図書館に予約って制度は変じゃないかね。まあ古い本なら予約制度あってもいいかもしれないが、新着のベストセラーなんかで予約が10も20もたまるような本に予約制度なんてどう考えてもおかしいと思う。
まあ愚痴はいいとして、ここ4ヶ月ぐらい近所の図書館に入った本を借りたくて毎日ネットで見ていたんだけど、いつ見ても貸し出し中だった。予約がはいっているのならわかるのだが、いつ見ても予約は0件で本は貸し出し中だった。ホントこれだから、違法合法問わず著作物を金払わないで手に入れようとするやつにろくなやつは居ないなと思っていた。あまりに返却されないようなので、少しはなれた図書館まで借りに行く羽目になった。ホントめんどくさい。そう思って本を借りに行ってびっくりした。本を借りてきて机の上に置こうとしたら、同じ本が机の上にもう一冊置いてあった。よく見ると近所の図書館のバーコードシールが張ってあった。それを見て思い出したんだけど、かなり前に近所の図書館に行ったときに、新着図書のコーナーに好きな著者の本があったので借りてきていたのをすっかり忘れていたのだった。なんだかなー。やっぱり借りてたのはろくでなしだった。
まあ愚痴はいいとして、ここ4ヶ月ぐらい近所の図書館に入った本を借りたくて毎日ネットで見ていたんだけど、いつ見ても貸し出し中だった。予約がはいっているのならわかるのだが、いつ見ても予約は0件で本は貸し出し中だった。ホントこれだから、違法合法問わず著作物を金払わないで手に入れようとするやつにろくなやつは居ないなと思っていた。あまりに返却されないようなので、少しはなれた図書館まで借りに行く羽目になった。ホントめんどくさい。そう思って本を借りに行ってびっくりした。本を借りてきて机の上に置こうとしたら、同じ本が机の上にもう一冊置いてあった。よく見ると近所の図書館のバーコードシールが張ってあった。それを見て思い出したんだけど、かなり前に近所の図書館に行ったときに、新着図書のコーナーに好きな著者の本があったので借りてきていたのをすっかり忘れていたのだった。なんだかなー。やっぱり借りてたのはろくでなしだった。
やっぱり、学校の先生って普通の人しかならないから思慮が狭いのかね。
昨日テレビを見ていたら、新型インフルエンザにかかった子供がいじめられるのをどう防ぐかみたいな事に取り組んでいる教職員が紹介されていたんだけど、そのなかで先生が作った物語を道徳みたいな時間に読んで感想を討論していた。
その物語というのが、クラスメイトが新型インフルエンザにかかって、学校閉鎖になって予定されていた運動会の日程が変更になり、主人公の父親が運動会に出れなくなって、休みの少ない父親との運動会を楽しみにしていた主人公が最初に新型インフルエンザにかかったクラスメイトを恨むみたいな物語だった。ただ、新型インフルエンザにかかったクラスメイトは人一倍うがい手洗いをしてインフルエンザに注意していたらしい。そんなクラスメイトは悪いのかという議論をしていたのだけど、そんな条件がなかったらどうするのだろうか。
私の小学校時代苛められていたのは、不潔だと苛められているのに毎回持ち物検査でハンカチを忘れて服で手を拭いていた。不潔だと苛められていたにもかかわらず、ハンカチは持ってこずに服で手を拭いていた。そんな場合はいじめてもいいのだろうか。もしインフルエンザにかかった児童がインフルエンザ感染に気をつけていなかったら、インフルエンザにかかったからいじめてもいいのだろうか。
女性のアイドルは加齢で劣化する人が多いと思うんだけど、昭和の歌謡番組の特集みたいなの見て思ったんだけど、男のアイドルは年をとっても劣化している人が少ないんじゃないかね。それってただ、僕が男だから男のアイドルに興味がなく劣化に気がつかないのかね。ただ歌声はみんな加齢で劣化していた。ご本人さんが今歌うより昔の映像の歌のほうが確実にいいね
昨日テレビを見ていたら、新型インフルエンザにかかった子供がいじめられるのをどう防ぐかみたいな事に取り組んでいる教職員が紹介されていたんだけど、そのなかで先生が作った物語を道徳みたいな時間に読んで感想を討論していた。
その物語というのが、クラスメイトが新型インフルエンザにかかって、学校閉鎖になって予定されていた運動会の日程が変更になり、主人公の父親が運動会に出れなくなって、休みの少ない父親との運動会を楽しみにしていた主人公が最初に新型インフルエンザにかかったクラスメイトを恨むみたいな物語だった。ただ、新型インフルエンザにかかったクラスメイトは人一倍うがい手洗いをしてインフルエンザに注意していたらしい。そんなクラスメイトは悪いのかという議論をしていたのだけど、そんな条件がなかったらどうするのだろうか。
私の小学校時代苛められていたのは、不潔だと苛められているのに毎回持ち物検査でハンカチを忘れて服で手を拭いていた。不潔だと苛められていたにもかかわらず、ハンカチは持ってこずに服で手を拭いていた。そんな場合はいじめてもいいのだろうか。もしインフルエンザにかかった児童がインフルエンザ感染に気をつけていなかったら、インフルエンザにかかったからいじめてもいいのだろうか。
女性のアイドルは加齢で劣化する人が多いと思うんだけど、昭和の歌謡番組の特集みたいなの見て思ったんだけど、男のアイドルは年をとっても劣化している人が少ないんじゃないかね。それってただ、僕が男だから男のアイドルに興味がなく劣化に気がつかないのかね。ただ歌声はみんな加齢で劣化していた。ご本人さんが今歌うより昔の映像の歌のほうが確実にいいね
PCが無くてテレビばかり見ていたのだけど、ザッピング用に音声と映像を切り離せるテレビって無いのかね。音声だけ元チャンネルのままで、映像だけザッピングできるとかなり便利なような気がする。音が無くてもわかる番組が増えてきた。また音声だけあれば、重要なシーンを見逃すこともなくなると思う。絶対便利だ、
そういえば、テレビを見る時間が長い子供ほど成績が悪いという話をどこかで聞いたことがある。ついでに、親が貧しい子供は、成績がよくないという話も聞いたことがある気がする。ということは、地上波デジタル化っていい機会じゃないだろうか。地上波デジタルで貧乏人からテレビを取り上げれば、親の収入による学歴格差が解消にむかうんじゃないかな。
そういえば、テレビを見る時間が長い子供ほど成績が悪いという話をどこかで聞いたことがある。ついでに、親が貧しい子供は、成績がよくないという話も聞いたことがある気がする。ということは、地上波デジタル化っていい機会じゃないだろうか。地上波デジタルで貧乏人からテレビを取り上げれば、親の収入による学歴格差が解消にむかうんじゃないかな。
最近ろくなアニメがないと思っていたのだが、やっと原因がわかったかもしれない。大体過去に人気がでて、十年単位で人の記憶に残るようなアニメってものすごいエロい物ばかりである。最近公開された映画は知らないが、アニメ版のエヴァンゲリオンはエロかった。何がエロいって、出てくる美少女中学生がみんな中年オヤジに好意を寄せているシチュエーションからしてエロい。最近やっているアニメといえば、裸などでエロさを出そうとしているがそんな直接的なものは愚の骨頂である。
そういえば、宮崎駿なんかはもうエロいというかスゴイ。何十年も前、カリオストロの城で中年オヤジと美少女の絡みを出していた。そして、風の谷のナウシカでは、美少女が魔物の触手に陵辱されるシーンがあったりした。それ以前から触手に嬲られるのがエロいという感覚はあったのかね。そこからのジブリ作品は、女キャラの低年齢化を売りにしていって、それが限界を迎えて、最近ではショタと人面魚で大ヒットをとばしていた。アニメの面白さって間接的なエロさなのかもしれない。
というわけで、父親が娘の女友達と不倫する漫画ってあるのかね。このシチュエーションはどうだろうか。
そういえば、宮崎駿なんかはもうエロいというかスゴイ。何十年も前、カリオストロの城で中年オヤジと美少女の絡みを出していた。そして、風の谷のナウシカでは、美少女が魔物の触手に陵辱されるシーンがあったりした。それ以前から触手に嬲られるのがエロいという感覚はあったのかね。そこからのジブリ作品は、女キャラの低年齢化を売りにしていって、それが限界を迎えて、最近ではショタと人面魚で大ヒットをとばしていた。アニメの面白さって間接的なエロさなのかもしれない。
というわけで、父親が娘の女友達と不倫する漫画ってあるのかね。このシチュエーションはどうだろうか。
気がついたらPCが壊れていた。暇で暇でしょうがない。新しいPCを買ったのだが届くのが週末なので、週末まで終末気分である。しょうがないので久しぶりにここに何か書こうと思ったのだが、まともな事しか思いつかなかった。もしかしたら私はPCから解脱してものすごいまともな人間に改心したのかもしれない。
テレビを見ていたらなかなか面白い番組を何個かやっていた。最初は東京大学の応援団リーダ部の活動を特集する番組。なんかすごく面白かった。ヤンキーの精神教育みたいな事を東大生が真剣に取り組んでいた。練習と言って団長が「数え」と言うと、団員はやめの声がかかるまで20分ぐらい腕を振り回して数を大声で数えていた。みんな汗だくで倒れる人もいた。いろいろなスポーツの練習を見てきたが、これほどきつそうな練習はしらない。
実際の応援でも弱小東大野球部の応援で、案の定東大野球部が負けると、自分たちの応援が悪かったから負けたんだと言って、罰練習が始まった。罰練は大声を出して走る事みたいだった。何から何までDQN集団みたいな感じですごかった。一部、重要な応援前に気合入れだと称して団長が「俺に向かってあたって来い」といって団員全員が団長に群がっていく姿は青春ドラマみたいだったが、何から何まで異次元の応援団、それも日本の最高学府とのギャップがものすごく面白かった。応援団は面白い。青春を感じたい人は応援団いいんじゃないだろうか。今は大学が最高だと思うけど、社会人が入団する応援団あってもいいんじゃないだろうかね。
あと深夜に酪農家の紹介をしていたんだけど、日本の農業の問題を再認識させてくれる番組だった。結局江戸時代の米が給料だった時代に、米を作りまくってインフレになった状況と今は似ているんじゃないかね。米を外国から輸入しないという条件つきだが、今の日本の稲作農業が直面している問題は、設備の過剰投資により生産性があがりすぎて生産過剰になっていることみたいだ。耕運機は必要かもしれないがあとは、みんな手作業に戻して、設備投資の費用を落として生産性を低くすることそこが多くの農家が生き残る方法である。もちろん、最近は乾燥機で乾燥させている米も天日干しに戻して、何が何でも生産性を下げるしか大量の農民を生き残らせる方法はないんじゃないかな。
テレビを見ていたらなかなか面白い番組を何個かやっていた。最初は東京大学の応援団リーダ部の活動を特集する番組。なんかすごく面白かった。ヤンキーの精神教育みたいな事を東大生が真剣に取り組んでいた。練習と言って団長が「数え」と言うと、団員はやめの声がかかるまで20分ぐらい腕を振り回して数を大声で数えていた。みんな汗だくで倒れる人もいた。いろいろなスポーツの練習を見てきたが、これほどきつそうな練習はしらない。
実際の応援でも弱小東大野球部の応援で、案の定東大野球部が負けると、自分たちの応援が悪かったから負けたんだと言って、罰練習が始まった。罰練は大声を出して走る事みたいだった。何から何までDQN集団みたいな感じですごかった。一部、重要な応援前に気合入れだと称して団長が「俺に向かってあたって来い」といって団員全員が団長に群がっていく姿は青春ドラマみたいだったが、何から何まで異次元の応援団、それも日本の最高学府とのギャップがものすごく面白かった。応援団は面白い。青春を感じたい人は応援団いいんじゃないだろうか。今は大学が最高だと思うけど、社会人が入団する応援団あってもいいんじゃないだろうかね。
あと深夜に酪農家の紹介をしていたんだけど、日本の農業の問題を再認識させてくれる番組だった。結局江戸時代の米が給料だった時代に、米を作りまくってインフレになった状況と今は似ているんじゃないかね。米を外国から輸入しないという条件つきだが、今の日本の稲作農業が直面している問題は、設備の過剰投資により生産性があがりすぎて生産過剰になっていることみたいだ。耕運機は必要かもしれないがあとは、みんな手作業に戻して、設備投資の費用を落として生産性を低くすることそこが多くの農家が生き残る方法である。もちろん、最近は乾燥機で乾燥させている米も天日干しに戻して、何が何でも生産性を下げるしか大量の農民を生き残らせる方法はないんじゃないかな。
大阪の橋本知事が部下に無礼なメールを貰ったとかで激怒していたが、一番一般社会を知らないのは自分じゃないかね。そんなくだらない内情を外に訴える人なんて一般企業にはいないだろう。大体口の利き方や態度が無礼な人は、上司の裁量において冷遇されるのが一般社会じゃないのかね。公式に処分するなんて恥をさらして人気とりをしているようにしか思えない。第一公式でそんな批判をしてしまったらそれこそ今後冷遇したら裁判になってしまうじゃないか。弁護士だったのに何をしているのだろうか。もっと陰湿にいじめて退職を迫るのが普通の企業じゃないのかね。
死刑反対派が死刑を廃止しても犯罪発生率が変わらないと主張しているのを聞くことがある。普通に考えれば死刑は犯罪の抑止力になりそうなものだが、なぜなのかなと思っていたら。いろいろな可能性が紹介されていた。
日本でも当てはまりそうな理由で死刑判決から死刑執行までの期間が長いと死刑制度の犯罪発生率への影響が減ると言うものがあった。もし法律に従って判決から執行までを半年にしたら凶悪事件は減るのかもしれない。どうせなら、最高裁判所の被告席を絞首台にしておいて、死刑判決と同時に床が抜けるような制度にすれば、死刑制度に抑止力があるのなら最高に凶悪犯罪発生に影響を与えるはずだが、実証実験してくれないのでわからないままだろう。
また死刑になる事件が極小なのも原因であるらしい。日本で死刑になる犯罪数は年間数件である。過去に死刑廃止になった国も年間100件も死刑判決でていないだろう。それなのに全殺人事件で死刑の影響をはかっても影響出るわけがない。もし、全殺人事件、情状酌量に関係なく死刑されるとしたら、確実に殺人事件は減るはずである。
まあというわけで、今みたいな生ぬるい死刑制度なら無くなっても影響ない、もしもっと死刑制度を継続するなら、すべての事件で死刑判決出る可能性を持たせて、死刑判決が確定したら死刑を即効死刑を執行するように変えないと死刑制度を維持する理由がないんじゃないかな。
そういえば、強姦殺人して、子供と女を殺した少年の実名や写真の掲載された本が売り出されたようで少し話題になっていた。少年法がどうだとか、更正に影響あるから発禁にしてくれと裁判所に訴えたらしいけど、よくわからんね。死刑になるやつに更正なんてありえないだろう。更正の見込みがないから死刑判決がでたわけで更正の見込みがない人の更正を阻害することがありえるのだろうかね。まあ死刑がまだ確定していないのがネックになっているのかね。
日本でも当てはまりそうな理由で死刑判決から死刑執行までの期間が長いと死刑制度の犯罪発生率への影響が減ると言うものがあった。もし法律に従って判決から執行までを半年にしたら凶悪事件は減るのかもしれない。どうせなら、最高裁判所の被告席を絞首台にしておいて、死刑判決と同時に床が抜けるような制度にすれば、死刑制度に抑止力があるのなら最高に凶悪犯罪発生に影響を与えるはずだが、実証実験してくれないのでわからないままだろう。
また死刑になる事件が極小なのも原因であるらしい。日本で死刑になる犯罪数は年間数件である。過去に死刑廃止になった国も年間100件も死刑判決でていないだろう。それなのに全殺人事件で死刑の影響をはかっても影響出るわけがない。もし、全殺人事件、情状酌量に関係なく死刑されるとしたら、確実に殺人事件は減るはずである。
まあというわけで、今みたいな生ぬるい死刑制度なら無くなっても影響ない、もしもっと死刑制度を継続するなら、すべての事件で死刑判決出る可能性を持たせて、死刑判決が確定したら死刑を即効死刑を執行するように変えないと死刑制度を維持する理由がないんじゃないかな。
そういえば、強姦殺人して、子供と女を殺した少年の実名や写真の掲載された本が売り出されたようで少し話題になっていた。少年法がどうだとか、更正に影響あるから発禁にしてくれと裁判所に訴えたらしいけど、よくわからんね。死刑になるやつに更正なんてありえないだろう。更正の見込みがないから死刑判決がでたわけで更正の見込みがない人の更正を阻害することがありえるのだろうかね。まあ死刑がまだ確定していないのがネックになっているのかね。