7月17日の日記

2007年7月17日
自民党にとっては恵みの地震となったようですね。しばらくは地震の話題で持ちきりになるでしょうし、被災地を見てまわるアベ首相にすこし高感度が上がるかもしれません。
さて私は参院選誰に投票しようかと新聞を見ていたのですが、ホント可愛い候補っていませんね。おっさんおばさんばかりじゃないですか。一番かわいい人に投票しようかと思っていたのに可愛いと思える人が1人もいないとは私に投票するなということなのでしょうか。しょうがないので、投票用紙にはアイドルの名前でも書くことにしましょうかね。
思ったのですが参院選、女性党に対抗してAV女優党ってできませんかね。もちろん候補はみんな現役のAV女優で「ノーモザイク、擬似セックスをしている偽装AVを市場から追い出す、AV出演及び購入の年齢制限の緩和」などを党の公約にします。政見放送では、できれば性器をさらしてバイブを使ってオナニーだけしてくれればいいです。まあ無理なら胸だけを出して自分で自分の胸を愛撫してよがってくれればいいです。ちょうど持ち時間に合わせて絶頂をむかえたりして視聴者にプロは違いをわからせます。まあそんなこんなで、独身男性をターゲットにしたAV女優党ってできませんかね。面白くない選挙がすこしは楽しめるものになるでしょう。その上、日本のエロDVD売上げから見れば数人ぐらいは当選できるのではないでしょうかね。当選したあかつきには、新人国会議員ものの企画モノAVがとり放題です。

日本の農業がうまくいかないのはなぜかを考えてみた。
案外原因は簡単なものじゃないかね。50年前と比べると今の農家は非常に楽になった。例えば稲作について考えてみると、代かきから始まって田植え刈り取りまですべて機械化された。稲自体も品種改良されたし、除草剤、殺虫剤、化学肥料なども優れたものがでてきた。今の農業がうまく行かない原因はここにあるのではないだろうか。確かに、様々な技術革新で農家の労働が減ったことはすばらしい。しかし楽になった分手作業でするよりも金がかかるようになった。効率を考えれば機械化したほうがいいのは確かである。しかし、今の農家は機械化や除草剤、殺虫剤、化学肥料などを利用したおかげで浮いた時間を何に使っているのだろうか。いくら効率がよくなっても、それで浮いた時間を浪費してしまったら生産性が向上するわけがない。早い話、今の農家の失敗は金をかけて高効率化したにもかかわらず、そのおかげで浮いた時間を有効に使えていない。それでは経費だけ増えてうまくいくわけがない。
土地は限られているのにどうしろと思うかもしれないが、農家において稲作は一番楽な生産物らしい。一番手間がかからないかわりに利益もすくない。もし同じ広さの土地で野菜や果物を生産しようとすると手間5倍で利益3倍になるらしい。また、現代人は有機栽培で生産したものに魅力を感じている人もいる。除草剤、殺虫剤、化学肥料を利用しないで人力で行えばそれだけで米の売値を上げれるのではないかね。
結局のところ、今農家がうまくいっていないのは浮いた時間を仕事にままわす、働き者の農家が少ないからではないかね。まあ基本的に日本の農家は世襲制なので今にダメな農家は淘汰されていって働き者の農家がダメ農家から土地を吸収していくので、日本でも農業が成立するようになるんじゃないですかね。まあ農家保護政策でかなり先の話になりますか。
農業の問題って構造的な問題ではなく人の問題じゃないのかね。

7月16日の日記

2007年7月16日 読書
スカイクロラから始まってクレィドゥ・ザ・スカイでこのシリーズは完結したようである。作者が意図したのかどうかは知らないが、新感覚の小説だった。多分、多くのまともな読者は読んでもこのすばらしさに気がつかないと思う。もしくは途中で挫折するかのどちらかだろう。
うまく伝える自信がないが珍しく絶賛したくなったので何がよかったのかを紹介しようと思う。
このシリーズは5作でている。一年間隔ぐらいで出版されていた。私は買う価値のない本だと判断して図書館で借りてこのシリーズを読んでいた。1作目を読んだ感想は森氏のオナニー小説だなと言うものだった。読み終わったとたんに本のストーリーが思い出せなくなるほどどうでもいい話だった。1年たって、そんな評価すら忘れたときに2作目が出た。図書館で新刊コーナーに森氏の本が並んでいたので借りてみて読み終わったときにやっと続編だという事に気がついた。くだらなかった上に1年も時間が空いていたので1作目をすべて忘れていた。それでも2作目は普通に読むことができた。ただ読み終わった感想は1作目とまったく同じだった。ふと、1作目を忘れているから2作目が面白く感じないのかと思って読みかえそうかとも思ったのだが面倒だったので1作目2作目とも記憶から抹消された。また1年後、図書館で背表紙につられて本を手にとったら3作目だった。これまた、なぜか借りて読んでみる事にした。明らかに前回の話と変わっているような気もしたのだが面倒臭いので違和感を抱えたまま読み終えてとっとと本を返して違和感を忘れて解決することにした。もうここまできたら惰性なので1年おきにこのシリーズを図書館で借りるのが習慣になっていた。

最終巻がでてそんな私の苦行が報われる時がきた。なんと私と同じような状態で物語に参加している登場人物が出てきたのである。年をとらない主人公は、長年生きている内に記憶が多くなりすぎて頭がおかしくならないように物凄く忘れっぽいという設定だった。だからなんとその主人公は、前作で自分がどんな活躍をしたかを覚えていない。前作に登場した人物を覚えていない。前作で乗っていた戦闘機の名前を覚えていないのである。ここでポイントが高いのは、乗っていた戦闘機の名前は覚えていないのに戦闘機の特徴はイメージとして覚えているのである。なんと私もストーリーなどは綺麗に忘れていたのに、主人公が乗っていた戦闘機の特徴は覚えていたのである。他にも1作目にでていた登場人物で一番目立っていた人の存在だけ記憶していた点など、前4作を読んだけどほとんど何も覚えていない私と前4作に登場したけど、ほとんど忘れてしまった主人公の記憶がリンクするような感覚を覚えたのである。当たり前の話だが作者が私の記憶を知っているはずがないので、私が忘れたことを作品の中の世界でも忘れられているなんてことは今まで一度もなかった。
その上、それに気づいてからそれを気にしだして本を読み出したらあることに気がついた。多分、作者は登場人物の名前が覚えにくいように書いているのである。ストーリーも覚えにくいように書いているのである。だから特にわすれっぽい私は読み終わった瞬間にその本のあらすじがわからなくなるほどに忘れてしまったのである。
5年かけて読者の記憶と作中の主人公の記憶がリンクするように狙ってこの本を書いていたのならこの作者は天才やね。まあ忘れっぽい私だから偶然かもしれないけど。まあ時間のある人は5年かけて忘れても読み返しをせず読んでみると面白いかもしれません。ちなみに本の刊行された順番と物語上の順番は一致していないらしいです。

7月14日の日記

2007年7月14日
最近、批判する力のない人が増えすぎているのではないだろうか。批判する力のない人は、批判意見をみてもその批判の価値がわからず一様にうなづくだけである。だから、みのもんたや細木さんなど無価値と思われる批判も過剰に評価してしまうのではないだろうか。今日は、批判が不得意な人のために批判解説をしてみようかと思ったのだが私も批判初心者だったようだ。最近ネット上で感動する話として「少年とクワガタ」と言う話が話題に上がることがある。
これを題材に批判レベルを解説しようと思ったのだがイマイチろくな批判を思いつかなかった。そもそも感動するポイントがわからなかった。クワガタを店に買いに行くなんて狂っているだろう。そんな狂ったサイクルに何の疑問も持たないで買いに言った少年が何えらそうに店員に説教しているのだろうか。そもそも足のもげたクワガタは、貴様みたいな店に昆虫を買いに来るクソガキがいるから生産されたものだろう。誰も店にクワガタを買いに来ることがなければクワガタは森でのうのうと生きれたのに、無理やり商品として採集されてその最中で足がもげてしまったのである。自滅して車にはねられて足がもげたガキとは次元が違うだろうに。客商売で何も言い返せない店員を言いくるめて満足して300円払って帰る障害者なんて最悪じゃねえか。

ちなみに本文は出版されいるらしく勝手に引用してはいけないかもしれないので興味のある人は検索サイトで「クワガタと少年 ノーベル賞 サッカー」とでも検索して探してみてください。

7月13日の日記

2007年7月13日
寝るとき見る夢と将来の願望をあらわす夢、この二つが漢字まで一緒で同じ夢ということに違和感を覚えていました。
多分、昔の日本人は将来の夢なんて概念は存在しなかったのではないかね。江戸時代に寺子屋に通っていた子供の書き物を読んだことがあるのですが、誰一人として、プロ野球選手になりたいとかワールドカップに出たいとか、公務員になりたいなんて人もいませんでした。江戸時代の多くの子供は夢がなかったのだと思います。だから何百年も江戸時代が続いたのでしょう。
さて、最近の若者も夢がないといわれています。夢なんて概念は外国から入ってきたものなので、夢がない最近の若者はそれが日本人としては普通じゃないんかね。生まれたときから夢という概念があった、大正や昭和初期生まれの人間を見てみれば、人間にとってどれだけ夢が害あるものかわかるでしょう。夢があるから戦争が起こるのです。
今騒がれている年金問題もそうです。貴様ら年金受給者の年代の人間がみんな腐っていたから年金で問題が噴出しているのだろうと。そんなことで騒ぐなと言いたいですよ。貰えるだけましだろう、その上、30代の現役世代よりもらえる予定額よりも多いのに、文句を言うなんてどれだけ腐った世代なんだろうか。

7月12日の日記

2007年7月12日
全治○○週間のように怪我の程度を表す場合がある。例えば殴られて全治2週間の人と車にひかれて全治一ヶ月の人がいたとニュースが流れた場合、9割の人は後者の被害者の方が被害が大きかったと判断するのではないだろうか。しかし、必ずしもそうとは言い切れないらしい。全治とは、病気やけがなどが完全に治ることをさす。すなわち完治しない病気やけがなどは含まないのである。例えば腕が切断されて再結合が不可能な場合、切断面が完治するまでの時間が全治までの時間である。だから腕を複雑骨折した場合より腕を切断した場合の方が全治までの時間が短いということもありえる。一般的には腕切断のほうが被害の程度が大きいと感じると思う。
日本を平和だと思わせたい勢力にとって、被害の実態を隠せる全治というのは便利な言葉なんですね。

7月11日の日記

2007年7月11日
最近、右クリックすると『右クリックはできません』などと書かれたダイアログボックスが表示されるHPがある。人に紹介できるHPでこのブロックがかかっているページをあげるのは難しいのですが例えば
http://blog01.seigura.com/koyamakimochi/
このHPがそうである。多分、ブラウザの設定を変更してJAVAを切れば普通に右クリックできるようになるのだろうけど、わざわざ設定変更までするのがだるい。そもそも、私が右クリックしたいのは、リンクを新しいウインドウで開きいてタブをいっぱいにしたいだけである。それなのに右クリックを禁止されていたら、忙しい左手でshiftを押しながらリンクをクリックしないといけなくなってしまう。ホント面倒くさい。俺の左手は忙しいのよ。
などと思っていたのですが簡単に回避できる方法を見つけました。
方法は簡単で右クリックの際にボタンを押したままにしておき出てきたダイアログボックスを右を押したまま左クリックで閉じて、その後右クリックしたかった場所で右クリックのボタンを離すと普通に右クリックした状態になります。今まで知らなかったのですが、マウスって押した時と離した時2度作用するのですね。
というか、右クリック禁止ってなんか意味のある行為なのかね。不便なだけじゃないのかね。

7月10日の日記

2007年7月10日
風呂に入ろうとパンツを脱いだら、パンツの尻の部分に茶色いシミが数点ついていた。気付かないうちにウンコを漏らしてしまうなんてもう最低だと思ってパンツをよく見てみたらシミは血痕だった。私の中ではお漏らし疑惑から解放されたのだが、状況から考えて家族に見つかったらあらぬ疑いをもたれてしまうような状況になってしまった。洗濯機がシミを綺麗に消し去ってくれればいいのだが・・・
状況証拠からして最悪である。昨日は、物凄いゲリに悩まされて何度もトイレにはしったところを目撃されている。短絡的に考えればパンツのシミは下痢に耐えれずお漏らしした跡のようである。すこし好意的に見て血痕だと気付かれたとしても、下痢で痔が悪化して出血した跡だと思われてしまう。
しかし真相は違うのである。私の家の便座には便座カバーなんてものはついてなく、プラスチックの便座に直接座って排泄する。最近は、時期が悪く換気扇をまわしても密閉されたトイレの中は蒸し風呂のようになってくる。そんなトイレの中で便座に座っていると汗がにじんでくる。特に、便座に密着している尻や太ももの部分がむれて最低の状態になる。ちょうど昨日は下痢で何度も長時間トイレに座っていたので、便座に触れていた部分に汗疹みたいなかぶれが発生してしまった。それで痒いのでかいた結果がパンツについた血痕の正体である。

私は無実だーと主張したいのだが、脱いだパンツを持ってかぶれた尻を見せて血痕のできた経緯を説明するのはどう考えても無理がある。だから何も対策はとっていないのだが、汚名多き私の肩書きに新しくウンコ垂れが仲間入りしてしまうのかね。救われない世界である。

7月9日の日記

2007年7月9日
電車の駅と言っても電車以外の駅はあんまり想像できないが、電車の駅には「痴漢はおかん」みたいなポスターが貼ってある。
これって問題発言じゃないかね。痴漢とは漢と字にあるように女性にみだらないたずらをしかける男をさす言葉である。数の大小を別にすると痴女と呼ばれる女性版の痴漢も存在するらしい。しかし痴漢は男だけである。
言葉狩り信者が、数の大小にかかわらず男女差別になるような言葉を狩っていった結果、スチュワーデスもキャビンアテンダントやフライトアテンダントと呼ぶようになりました。看護婦も看護師、保母さんも保育士・・・
それなのに痴漢は痴漢のまま。これは不当に男が評価されていることになりませんかね。別に少数ながら痴女もいるんだから、痴漢と限定しないでいただきたいものです。この抗議はどこにいえばいいんですかね。

7月8日の日記

2007年7月8日
最近、まろやかに酒を飲むようになったら二日酔になる頻度が高くなった。昔ならアルコールが分解される前に、飲酒量が許容範囲を超えてリバースしていたので飲んでも体内で消化されるアルコールが少なく二日酔になることは少なかった。最近はすぐには吐かないペースで飲むようになって次の日二日酔で吐くことが増えた。時間がたってから吐くと胃酸の影響でものすごい不快感満点の吐瀉感を感じる。辛い思いをして吐きながら、異常なペースで飲んですぐ吐くのと、ゆっくり飲み飲みすぎて次の日に二日酔で吐くのはどちらが健康的かななんて不健全な疑問が頭をよぎったりした。
そういえば、安い洋酒を買ってきたら、体に害のありそうな保存料や着色料が成分に含まれていたので、アルコールが体に害があるということを忘れて「けしからん酒だな、私が成敗してくれる」と飲みすぎてしまったこともあった。

人間は同じ失敗を繰り返してはいけない。そこで昨日は、二日酔で吐きそうになる前に牛乳を飲んで胃酸を中和してまろやかなゲロにできないか挑戦した。結果は最高にクリーミーなゲロになって胃酸の苦痛を軽減できたのだが、副産物として牛乳の脂肪成分が胃酸と反応して、チーズやヨーグルトみたいな白い固形物も一緒に出てきた。
それを見ていて、私の好きなアイドルが自分の母乳を飲んでそれを胃酸と混ぜて吐いて固形物だけを集めて脱水して酒のつまみの珍味として発売してくれないかなと思ったりした。どうだ凄いだろ、今日はこれぐらいで勘弁してやる

7月7日の日記

2007年7月7日
今日はあんまり書くことがないので、もしかしたら人のPCからファイルを盗めるかも知れない方法を書いておこうと思う。PCの知識が無い素人考えなので多分実際には使えないと思う。

ネットにはUPロダと呼ばれるファイルをアップロードできる掲示板みたいなものがある。ここにファイルをアップロードするのはものすごく簡単である。アップロードしたいファイルのパスを書いて送信ボタンを押すだけである。それだけで手軽にファイルがアップロードできてしまう。
JAVAでは、送信ボタンをクリックしなくてもページを開いた瞬間、送信ボタンを押した状態でページを開くことができたと思う。だからもし、相手のパソコンの欲しいファイルのパスがわかっていたら、JAVAとアプロダを使ってファイルをアプロダに強制的にアップロードさせることが可能じゃないかね。
今年もまたNHKミニミニ映像大賞の時期がやってまいりました。今年のテーマは「大切なもの」らしいです。私も応募したくてストーリーだけ考えてみました。

佐渡島に住む少女が主人公。学校や私生活で嫌なことがあると近所にある鳥小屋に、深夜に忍び込んで中で寝ている鳥を蹴っ飛ばして憂さ晴らしをする日々。日に日に鳥小屋の中のとりは減っていく。気がつくと鳥小屋には最後の鳥が蹴り殺されて倒れていた。帰宅後テレビで、朱鷺が絶滅したことを知る。

BGMは奥華子さんの「ガーネット」。タイトルはもちろん「朱鷺をかっ蹴る少女」
こんな感じでどうですかね。本当は実写でとりたいのですが、実写で朱鷺を蹴っ飛ばしてたら確実に捕まると思うので、アニメ化するしかないですか。

7月5日の日記

2007年7月5日
先週末に頭が悪いので湯治に行っていたのだが、すっかり忘れていた。温泉の効能では私の呆けた頭を治すことは無理だったようである。
しかし、温泉に行ったことがすべて無駄になったわけではない。温泉に行っている間24時間以上インターネットから隔離された生活を送った。多分丸一日以上ネットから離れたのは5年ぶりかもしれない。昼過ぎに旅館に到着して、温泉に入り、その後夕飯までの2〜3時間、テレビしか置いていない旅館の部屋で1人時間を潰していて一時間の長さを感じることができた。テレビを見ても夕方なのでろくな番組を放送していない。テレビしかない部屋でテレビを見なかったら本当にすることがなかった。夕飯までのたかだか2〜3時間を潰すのにこんなに苦労しているのに夕飯を食い終わった後、普段寝る時間までには6時間以上もあるのでだんだんこの暇すぎる生活に耐えれるか不安がつのってきた。そんなこんなで指の指紋の皺の数を数えていたら何とか夕飯の時間になった。

安宿だったので夕飯は大きな食堂みたいなところでバイキング形式だった。ここで私は大きな判断ミスをしてしまった。いろいろな料理があったのだが、材料の原価が高そうであっさりして大量に食べることに向いていそうな刺身をおかずに刺身を食べることにした。早い話、刺身しか食わなかった。途中からは生魚に飽きて、なべ用の固形燃料に火をつけて刺身をあぶってたべたり、なべで刺身を煮たり、そこまでして刺身を食べないといけないのかと思えるぐらい無理をして刺身だけを食べて腹いっぱいになった。多分その日その旅館のバイキングで、食った料理の原価が一番高かったのは私である。それに満足して部屋に帰って大失敗をしていたことに気がついた。別に私は、この旅館のバイキングを赤字にしたくてやって来たわけではない。私がどんだけ食べようと誰も得していなかったのである。そう考えると、料理で並んでいたチキン南蛮がうらやましくなってきた。最初見たときに、鶏肉原料で油っぽいチキン南蛮はどう考えても1000円分も食べれそうに無かった。下手をしたら私の想像以上にチキン南蛮は安く作られているかもしれない。そう考えてチキン南蛮を回避したのだったが、よく考えてみれば私の数少ない夢の一つに、チキン南蛮だけを食べて腹いっぱいになりたいというものがあった。別に自分が食った原材料費がいくらであろうと、私は夢を叶えるためにチキン南蛮を腹いっぱい食べるべきだったのではなかったろうか。そう考えると物凄くやりきれない気持ちになってきた。
しょうがないので酒を買ってきて飲んでいたら気絶して、気がついたら朝だった。0時過ぎたら朝一番に温泉に入ろうと思っていたのにそれもかなわなかった。何もせずに休日が流れていってものすごい残念な気持ちになった。
目的を見失うとろくでもないということが身にしみました。ただ唯一の収穫は、何もすることが無く何もしていないと休日がものすごく長く感じられるという発見である。今回の週末は体感でいったら一週間休んだぐらい休日が長く感じられた。別に何もしていなかったので楽しい休日だったわけではないけど。暇で退屈な休日を送れば休日が長く感じられる。それがわかっただけでもよしとしようか。

7月4日の日記

2007年7月4日
マクドナルドのテキヤキバーガーは豚肉製らしい。テリヤキソースさえうまく使えれば、猫肉でも犬肉でも人肉でも美味しく食べれるようになるのかね。あまりクローズアップされていないが、もし今後肉不足になることがあればテリヤキソースが表彰される日が来るのかね。

昔は、マクドナルドのバーガーにはミミズが入っているとまことしやかに囁かれている時期があった。最近は耳にしなくなったので若い人はきっとそんな話知らないだろう。今の若者とは一つジェネレーションの壁ができているのかね。でも改めて考えてみると、へんな話だよね。マクドナルドがバーガーにミミズを混入していたとしてその利点がまったくない、にもかかわらず、なんとなく噂話として成立していた。どちらかといえば、牛を安価で育てるために鶏糞を牛の食料にしているという話の方がショッキングだと思うがこちらはあまり話題になることはない。別にミミズだったとしても食えるように加工してあればそう問題ではないでしょう。ホルモンとかだったらウンコの通り道を食ったりしてるわけですからね。このわけのわからなさが、この噂のはびこった理由だったりするのですかね。

コンビニ弁当を食っていると奇形児が生まれてくるとか、携帯電話の電波がどうのこうのとかも同様じゃないですかね。多分100歳を超えて健康に長生きしたい人には大きな影響を与えるかもしれませんが、一般人の寿命にはたいして影響ないんじゃないですかね。
そういう細かい話をしだしたら、車に乗る際、歩道側と中央線側で死亡率に有意な差があると思いますが車の後部座席に座るさいにどちらがわが安全か?などそういった議論は見られません。電車の一両目は危険ですし、毎日風呂に入ることも寿命にマイナス影響を与えるかもしれません。身の危険といわれると食べ物ばかりに目がいきがちですが、すべての行動を寿命に関連付けて研究したら、それほど今騒がれてることが危険じゃなく、普通に行っている例えば外出する際にスリッパを履かずに靴を履くということが物凄い危険を呼び寄せてるかもしれません。

7月3日の日記

2007年7月3日
最近日本の繁華街にパンダを呼び込みたいのかと思えるぐらい街に竹があふれている。あっパンダは笹かまぼこか。まあ七夕に向けて街には短冊つきの竹がそこらじゅうに置かれている。
私は短冊に書くような神頼みや人に頼んでまで叶えたい願いがもうないので、他人がどのようなことを書いているのか竹につけられている短冊を見ていた。人の願い事が書かれた紙は見ていて面白いものだった。
幅広い年齢層の人が短冊を書いているようだったが、字が汚い私が見ても字が汚いと思ったりひらがなを書き間違えているような字を覚えてる途中の子供が書いたような短冊には、実現可能かなんて考えていない本当に夢が書かれていた。例えば『プリキュアになりたい』こんな願い事が書かれていた。キュアホワイトになりたいのかキュアブラックになりたいのか、それともキャラではなくプリキュアという作品になりたいのかといろいろ疑問がわいてきた。他にももしプリキュアになったとして何がしたいかも疑問である。これを書いた子供の周りには悪の組織があるのだろうか。また自分が正義の味方になるためには、周りにいる人たちが悪の組織の構成員に危害を受けなければいけない。今は平和なのに、その平和を捨ててまで正義の味方にあこがれるのだろうか。気付いていないだけかもしれないが、子供向けのヒーローものは、まず最初にヒーローがいるわけではなく、悪の組織出現などで必要にかられてヒーローが誕生する場合がほとんどである。だからヒーローになることを望むということは、悪の組織出現を望むということにほかならない。

さて、字が綺麗で漢字なども豊富に使われた大人が書いたと思われる短冊には、自分の行動しだいで実現できそうな夢というよりは目標と思われる書き込みが多かった。特に多かったのは、『○○とずっと一緒に入れますように』のようなカップルで来て場の雰囲気で書いたようなモノである。大人になると願いが現実によりすぎていけない。

他というと小学生が書いたと思われる短冊に面白いものがあった。『100円玉が2万個欲しい』というものである。多分小学生にしてみれば、100円玉2万個は想像もできないような大金なんだろう。しかし、考えてみれば100円玉が2万個でも200万円にしかならない。すこし額は多いが大人になれば手に入らない額ではない。この短冊をみて小学生っていいなと思った。ちなみに私はショタコンではないですから、物体としての小学生がいいわけではなく、発想の方向性に憧れを感じる。

7月2日の日記

2007年7月2日
世の中発想の転換をすれば幸せになれるかもね。ミートホープ社の事件後しばらくたって、マスコミはミートホープ社の偽装レシピを手に入れて偽装肉の味や原料費がどれくらいになるのか試していました。
結果はもちろん精肉店の経営者など精肉のプロからテレビ出演者まで、まったくわからない。美味しいといっていました。肉の原価は、半分から2/3ぐらいになるそうです。テレビではそこからミートホープ批判になっていったわけですが、視点を変えてみるとこれは明るいニュースではないですかね。
今まで廃棄していたような肉の部位などをうまく配合すると、安く美味しい肉が出来るということです。ミートホープは偽装していたので問題になりましたが、本当に味がホンモノと区別できないぐらいで値段が半分から2/3になるのなら、堂々と加工肉と表示して販売すれば、食より金に感心のある私みたいな層にはうけるんじゃないですかね。
まあ、ミートボールは偽装していないので問題になっていないですが、捨てるようなクズ肉の団子らしいです。マックのテリヤキバーガーは豚肉100%という話をネットで見て気付いたこともありました。そんな感じで偽装さえしていなければ肉の味なんてタレでどうにでもなるので、安い加工肉が今後豊富になっていくことを私は願います。

6月29日の日記

2007年6月29日
思っているより現実って適当なのかもね。森博嗣氏のブログか日記を見ていたら、読者からamazonで本が品切れしているという苦情を受けて森氏が出版社にそれを伝えて、それを受けて出版社はamazonに本を出荷しているらしい。人力過ぎはしないかね。ネット書店はコンピーター化されたすばらしいモノだと思っていたが、品切れと在庫補充すら満足にしていないなんて、品薄にしておくのが儲かるひけつって事なのかね。いくらでも返品できる出版業界で在庫を減らすのが成功の秘訣だったりしたら、適当なハウツー本を作れそうな感じですね。

6月28日の日記

2007年6月28日
http://www.toyokeizai.net/online/magazine/story02/index.php?kiji_no=33

3行以上の文章を紹介するのは大変しのびないのですが、ありえない話が紹介されていた。
『TV番組で私が「リサイクルに出されたペットボトルは1本もペットボトルになっていません」と言うと、スタジオから「えーっ!」と驚きの声が上がり・・・』
こんな記述があったのだが、こんなのはテレビの演出だろう。ペットボトルがペットボトルにリサイクルされているなんて思っている人が存在するとは思えないのだが。もしいるのなら何よりもそれが一番のおどろきである。ペットボトルからペットボトルを作ったとして何が凄いだろうか。技術的には物凄い難しいのかもしれないが、ペットボトルからペットボトルを作ったとしても何も凄くないだろう。なんなら集めたペットボトルを綺麗に洗って再利用すればいいだけの話である。
私が知っている限りでは、ペットボトルは糸にリサイクルされている。普通の糸に比べて、縮れて絡みやすく非常に扱い辛い。実際リサイクルされているからといって褒められたものではないと思う。

まあそうは言っても、ゴミがゴミじゃなくなったからすこしは評価すべきなのかね。上記の記事を書いた武田氏は、初期状態とくらべてリサイクルがプラスに作用しないといけないと主張しているようだが、別にそんなにハードルを高くしないでいいんじゃないかね。ペットボトル製造に使った石油量よりリサイクルにより節約できる石油量がが少なくても全然かまわないだろう。リサイクルするために使われる石油より節約出来ればいいはずである。捨てるよりリサイクルがましだったらそれでいい。
まあペットボトルのリサイクルに関して、ペットボトルを集めるためにどれくらいのエネルギーが使われているか計算することは非常に難しい。馬鹿なリサイクラーたちは、リサイクルのためと信じてペットボトルを洗って回収場所まで運んでいる。エネルギー的にみればかなり無駄遣いになっていると思われる。別にペットボトルをそのまま再利用するわけではないのでそんなに綺麗な水で洗う必要もない。また回収場所までペットボトルを運ぶために車を使う人までいる。リサイクルしやすいようにとそのために無駄なエネルギーを使っている。
まあ何だ、落としどころがわからないのでこのへんで。

6月27日の日記

2007年6月27日
酒を飲んですぐに全力疾走すると物凄い勢いで酔いが回る気がする。昨日似たような事例を体験した。カレーを食べて全力疾走したら口からカレーが物凄い勢いで出てきた。これは新発見である。

さて最近、受動喫煙危険性がいろいろ発表されるようになってきた。受動喫煙をすると健康に良くないのはイメージ通りである。しかし、受動喫煙の問題点を見ているとある疑問が浮かんでくる。受動喫煙はたぶん他人の吸うタバコの副流煙を吸うことだと思う。考えるまでもなく受動喫煙者より喫煙者の方が沢山、副流煙も吸っていると思う。しかし、みているとたまに喫煙者の受ける害の方が受動喫煙者の受ける害より軽い時がある。それは主流煙より副流煙のほうが有害だからということで片付けられているが、意味がわからない。なにか重大な秘密が隠れているのだろうか。案外、タバコの主流煙には伏流煙の害を予防する効果が遭ったりしてね。もしそうだったら、昔産廃処理場で働いている人が、産廃からでる毒ガスに負けないためにタバコで肺を鍛えてるといっていたのを笑えなくなったしまうな。

6月26日の日記

2007年6月26日
世の中、飲酒運転が大問題となっているけれど、酔っ払いの害はそれだけじゃないんじゃないかね。
スコシ話が変わるが、食料品でバイオエタノールを作ることに文句を言っている人はもちろんウイスキーやウォッカなどのアルコール類を飲んでいないんだろうね。もし飲んでたら俺が殺すからな。首を消毒して待っていやがれ。アルコールだけでなく、コーヒーなんかも、コーヒー豆生産のために普通の穀物を育てる畑を潰しているという話を聞くので飲まないのだろう。まああんな泥水どうでもいいか。

飲酒運転が散々問題視されていますが、所詮夜間や朝、外出せず道から離れた部屋で生活していれば、どれだけ飲酒運転が横行しようともその害から逃れることが出来ます。別に事故に遭う方が悪いとは思いませんが、白旗あげて家にこもっていれば飲酒運転に害されることはありません。
最近思ったのですが、酒を飲みながらネットをしている人って案外多いんじゃないですかね。ネットの掲示板でも酔っ払いの会話のように堂々巡りの議論が繰り返されています。他にも意味不明だったり上機嫌すぎたり、しらふの常人が書いたとは思えない発言でネットは埋め尽くされています。ひきこもりで一日中ネットをしていないといけない私にはそんな酔っ払いの書き込みが大変不快でなりません。
まあ私も人のことはいえず、酒が入った状態で日記を書くことがあります。書いてるときは、最高だー自分は天才だと思っているのですが、次の日などに酔いがさめて読み返してみると、何が面白いかわからない駄文が書かれています。もう二度と読みたくないような駄文です。今日読んでも明日読んでも来年も再来年もいつ何度読み返しても抱腹絶倒だらけで感心しきりの私の日記群に、酔ったとき書いた日記は汚点となっています。
そんな感じでネット世界には酔った勢いで書かれた駄文があふれて害をなしています。そんな飲酒の害からネットを救うために、飲酒書き込みの禁止を法律で決めてくれませんかね。PCに飲酒検知器を取り付けてそこに息を吹きかけないとネットに書き込みできないようになりませんかね。もしそうなれば、ネットがよりいっそう快適なものになるに違いありません。
まあ私の場合、自分に酔っていることがほとんどなんですけどね。

6月24日の日記

2007年6月24日
理科の実験装置で、土の中にいる小さい虫を集める装置で、漏斗の上に金網を置いてその上に土をしきつめてその土をライトで照らすと光を嫌う虫が下に逃げて金網を通り抜けて下に落ちてきて集まるという装置がある。なんか印象的な装置名だった気がしたが思い出せなかった。
最近思い出せないことが多い。こんなんでは長年の研究が埋もれてしまう。そんな危機感にかられて今日はとっておきの情報を明文化して置こうと思う。

『キチガイは手ぶらを好む』長年の人間観察からこのような格言を見つけることに成功した。キチガイが何なのかをこれを定義するのは難しい。
例えば一般論として男の方が女よりキチガイが多いと思う。女性は男性に比べてバックを持ち歩く傾向が強いと思う。恥女は見たことないのでしらないが、男の露出狂は手ぶらだった。まあ陰部をさらけ出すのにバックを持っていると邪魔だからかもしれないが露出狂は手ぶらであることが多いと思う。他にはキチガイの代名詞である糞ガキも手ぶらで行動することが多いと思う。あと一番は、私の兄が手ぶらで行動している。
こんな感じでどうだろうか。外を手ぶらで行動している人がいたらキチガイだと思って目をあわさないようにするのが賢明かもしれない。

< 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 >

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索